3.苦情は受け付けない
『……腰が痛いんだけど』
「受け身取らないからだろ」
『いや、そっちは問題ない。痛いのは青也君に蹴り飛ばされたほう』
「痛いなら湿布貼れよ」
『苦情なんだけど』
電話の向こうで、玲一路は不機嫌な声を出す。だが普通の人間が誤って蹴ってしまったのであれば、謝罪や菓子折りの一つか二つは出てくるかもしれないが、青也はわざと蹴ったので、そのどちらも出すつもりがない。
「お前の腰なんか、あってもなくても大して変わんねぇだろ」
『僕、軟体動物とかじゃないんだけど!』
「いいから、さっさと調べたことを言え。次は腰もぐぞ」
『理不尽。……さっきの不良だけど、確かに兄貴分というかリーダーみたいなのがいたみたいだね』
青也は駅前のロータリーにあるベンチに座り、携帯端末を耳に当てていた。隣に座った淳平は、顔を近づけて内容を傍受している。店を出る時に持って出てきたギターのケースと一緒に青也の刀も抱えて持っているため、妙な組み合わせになっていた。
『でも去年の七夕の日に事故死してるよ』
「事故死?」
『工事中の鉄骨が落ちてきて、それに潰されたんだってさ』
淳平が息を飲む音が微かに聞こえた。
「何処で?」
『東都駅の近くだよ。強風に煽られた鉄骨がクレーン車から外れたらしいよ。怖いよね』
「……そんな事故あったか?」
『死んだそのリーダー格が妖魔士で、マシラ討伐中のことだったんだって。だから揉み消されちゃったんじゃない?』
青也はその言葉に「へぇ」と呟いた。
「あいつ、やっぱり妖魔士か。どこの?」
『東都の北西にある、第二級流派「青峰」だよ。特に有名な妖魔士でもないし、師範代ですらなかったらしいけど』
「その事故、ちょっと気になるな。お前、それ調べて俺の携帯に送れ」
『え、何で? 僕が不良に絡まれたことと、この事故に何の関係があるの?』
「お前が今後、健やかに過ごすためには大いに関係あるな。兎に角、よろしく」
相手が何か言いかけたが、青也は構わずに通話を終了した。
玲一路が事故を調べるかどうかは自由であるが、青也に対しては不良から助けてもらったという借りがある。真面目で大人しい玲一路が、それを返さないわけはない。
妖魔士は成人前には一定以上の「調査能力」を培われる。学ぶだけで一切使わない妖魔士も多いが、体が不自由な玲一路は家でも出来ることの一つとして、熱心に調査方法や情報収集の練習を行っている。
青也は何度か、入院中の玲一路に会いに行って、それらの練習に付き合わされていたので、能力の程度は把握していた。完璧とは言えないが、十六歳の少年としては上出来すぎる出来栄え。事故死した妖魔士の身辺を探るぐらいなら簡単なことと思われた。
「どう思う?」
青也が淳平に尋ねると、歯切れの悪い口調が返された。
「偶然にしては出来すぎだけど、何でそんなことが起きるんだ? まさか七夕の願い事って言うんじゃねぇよな?」
「誰が叶えるんだよ、そんな物騒な願い事」
「そりゃ、願い事を見た誰かだろ。神様とか」
「七夕の願い事なんて沢山あるのに、わざわざそれだけ選ぶか? しかも二年連続で」
純粋な疑問を口にする青也に対して、淳平はますます面倒そうな表情になる。気味の悪い符合に対して、まともに向き合うことを避けているようだった。
「同じ時期に、同じ場所で、同じように鉄骨が落ちてくるなんて偶然じゃありえねぇだろ。それこそ超常的な力が働いたんじゃない限り」
「けどさぁ、東都駅の周辺なんて頻繁に工事してんじゃん。それにマシラも多いから、重機が暴走したりするし」
青也は「ほら」と駅舎の方を指さす。二階の一部が無残に崩れ、それを鉄板などで補強している箇所があった。
「あれも確か、先月にマシラがクレーン車を倒したせいだし」
「でもただの偶然だと思うか? 本当に?」
「偶然じゃなきゃなんだよ。マジで誰かが書いた願い事のせいだと思ってんのか?」
ファーストフード店から持ち出した短冊を右手の指で摘まみ、青也はそれを前後に揺らす。紙と凧糸が擦れあって、少し硬い音を出した。
「そりゃ血で書いてあるから薄気味悪いけどさ、他に何か仕掛けがあるわけでもねぇし」
「仕掛けがないから余計に怖いんだっての。俺は青也と違って、常識的な感性を持ってんだからな」
「それじゃ俺が常識的じゃないみたいだろ」
「逆に聞くけど、どこらへんが常識的だと思ってるんだ?」
淳平が問いかけると、青也は少し考え込んだ。
頭の中にいくつかの「常識」を思い浮かべ、そのうち一つを取り上げる。
「猫を抱っこする時は許可を取る」
「待て」
思わぬ返答に淳平は唖然とした表情を浮かべた。
「え、誰に?」
「猫に」
「……それが常識的だって思ってんの? いや、別にいいんだけどさ、もっと他にあるだろ?」
「え、トイレの便器で皿は洗わないとか?」
「洗うのかよ」
「はぁ? そんなわけねぇだろ、常識じゃん」
「もうそれ常識とか非常識とかの話じゃねぇし……」
溜息をついて頭を抱える淳平を、青也は不思議そうに見つめる。
「どうしたんだ?」
「どうしたは俺の台詞。青也、お前どうやってこれまで生きて来たんだよ」
「そういうことはあまり考えないようにしてる」
「だろうな!」
不良だったにも関わらず常識は身に着けている淳平は、常識から逸脱したところにいる青也に対して、怒りを通り越した呆れ顔を向ける。
「ったく、青也は相変わらず青也だな。嫌になってきた」
「でも俺が笹とかになってたら困るだろ?」
「そりゃ困るよ。何事かと思う」
淳平は青也のマイペースを通り越した何かには慣れている。それでも鉄骨で死にかけた直後は気も立っており、なかなか順応できる状態ではなかった。
視線を反らして駅前の方を見ると、そこにも七夕用の竹飾りが風に吹かれて揺れていた。折り畳み式のテーブルが傍にあり、その上に短冊とサインペンが置かれている。親に連れられた子供が、必死になって願い事を書いているのが見えた。
「あーぁ」
淳平はそれを見ながら、思わず呟いていた。
「海保青也が俺と同じ目に合いますよーに」
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