第五話 忘れられた街

1.都市伝説を聞く朝

 東都駅の前はいつも人で溢れている。深夜営業の店が多いために、夜明け近くなっても通行人がゼロになることはない。

 まだ夜明けまで間のある時間帯、空気は冷え切って吐き出す息は白い。海保青也カイホセイヤは首に巻いたマフラーの下から手を入れて、首の熱で暖を取りながら欠伸を零した。

 始発電車が動けば人も増えるだろうが、今のところ駅前にいるのは酒を飲みすぎた酔っ払いや、サービス業の男女ぐらいだった。少なくとも青也のような年齢の人間は見当たらない。


「くだらねぇことでいちいち呼び出すなよ。都市伝説聞くために早起きしてんじゃねぇんだぞ、こっちは」

「青也が勝手に出歩いているだけでしょう。未成年が夜中に何をしているんですか」

「だから、夜中じゃなくて明け方だろ。豆腐屋とパン屋はもう仕事始めてるぜ」


 青也は右手に持った細長い物を手持無沙汰に動かしながら、相手を見る。柳薔吾ヤナギソウゴは眉を寄せて、それの正体を確かめると溜息をついた。


「釣りですか」

「明け方のほうが大物が釣れるんだよ」

「青也、釣りなんて興味ありましたっけ?」

「男なら一度は通る道だろ、釣り。まぁ好きってほどでもねぇけど、偶にはやってみるかと思って」


 薔吾は「はぁ」と曖昧な返事をしただけだった。


「僕は釣りはしたことがないので、それに対する返答は避けますが」

「河童とか人魚釣れないかなー」

「魚を釣って下さい」

「あ、でもクーラーボックスねぇや」

「人魚をクーラーボックスに入れないで下さい。そもそも釣れません」

「で、なんだっけ?」


 青也が唐突に話を切り替えるのは、いつものことだった。薔吾は年下である青也に従属を誓う身であるが、稀にこの自由すぎる少年に疲れ果てることがある。

 ここ数年は青也の「雑談」にまともに付き合わないことに決めていたため、今回も溜息一つで気持ちを立て直すことに成功した。


「釣りに行く途中なのでしょう? 歩きながら話しますよ」

「うん」


 素直に頷いた青也は、先行して歩き出す。薔吾はその横に並び、青也の髪に視線を向けた。緩い癖のある黒髪は、起きてから軽く櫛で梳かしただけで、それが静電気を帯びて頬などに張り付いている。険の強い目もそれで隠されて、普段より幼い顔立ちに見えた。


「髪、ボサボサですね」

「直そうとしたんだけど、丁度ワックスが無くてさ。帰る時に買うつもり」

「いつまで釣りをする気なんですか……。駅前のドラッグストア、九時開店ですよ」


 今から釣りを始めても、最低五時間は釣り糸を垂らすことになる計算だった。それを懸念した薔吾に対して、青也は鼻で笑う仕草を返す。


「流石にそこまで釣りしねぇよ。適当に切り上げて、駅前のファストフード店で朝飯食う」

「なるほど。完璧なプランですね」


 薔吾の皮肉っぽい台詞に、青也は得意気に「だろ?」と返しただけだった。

 裏青蓮院流の統帥である青也は、妖魔士としての仕事の他に統帥としての職務もある。ドラッグストアの開店を待っていたら、朝の職務に間に合わないどころか、完全なサボりである。

 普段なら薔吾はそれを嗜めるところであるが、今日は少々事情が違っていた。


「都市伝説と青也は言いましたね」

「だってそれ、アングラ誌で読んだことあるぜ? ほら、コンビニで売ってるペーパーブックの」


 大通りから外れて、川に続く道に入る。何度も工事された道は歩きにくいが、そもそもその道には歩道の概念がないようだった。車が通れば、身体を横にして避けるしかないほどの狭くて急な道を、青也は早足で進んでいく。


「信憑性がない出版物や情報源は、本物を隠すのには有効です。皆、興味本位で除く程度で真偽を確かめたりしない」

「あの雑誌って本当のこと書いてあるのか?」

「いいえ、九割以上は陰謀論信者の戯言です。そこから本当の情報を探し当てられるのは、僕達のような人間だけです」


 へぇ、と青也は愉快そうに相槌を打つ。


「面白れぇな。じゃあ十二年前に実際にあったわけだ。この東都のど真ん中で『殺し合い』が」

「当時、勢力を持っていた団体が殺し屋を使って、要人暗殺などを行っていたようです。妖魔士とは関係のない団体だったので、本来はこちらが介入するものではありませんでした」

「でも、向こうが妖魔士にちょっかいを出した?」

「はい。妖魔士連盟の上層部の一人が彼らによって殺されました。放置をしていたのが裏目に出たようです」


 坂を下りきると、短い階段が川辺へと繋がっていた。軋む金属製の階段を使って川の傍へ出た青也は、石に足を取られぬようにして先へ進む。出来るだけ平坦な場所に荷物を下ろし、そこを釣り場に決めた。


「殺し屋とは言え、妖魔士でもない連中にこれ以上好き勝手はさせられない。そう判断した十妖老は、当時の直属妖魔士にある指令を出しました」

「お前の先輩にあたる奴だな?」

「僕達は機密情報を扱う都合上、また互いの立場を悪用しないように、それぞれ別名を与えられます。その妖魔士は「月追ツキオい」と呼ばれていました」


 竿を準備した青也は、餌を針につける。街灯もない川辺は暗く、二人の話す声と水の音が少し大きく響く。国内最大級の大きさを持つ駅から徒歩二十分の位置にあるとは思えない、豊富な水量と水勢だった。


「月追い?」


 釣竿を振って、針を川に下ろした青也が聞き返す。


「追跡妖魔士だよな? 名前だけは知ってる」

「本名は月野ミノル阿波國アワコク波条ナミジョウ流の統帥、月野零二レイジ様の弟です」


 波条流というのは、十妖老の一つだった。席次は第五席なので、青也が統治する裏青蓮院流よりも格下となる。統帥の零二は五十歳だが、彫りの深い顔立ちのために少々若く見える。非常に冷静な性格をしており、例え真横で爆発が起ころうとも、通り魔に刺されようとも一切動じないことから、周囲の者には鉄面皮呼ばわりをされていた。


「あのオッサンの弟ねぇ」

「十二年前に亡くなっているので、青也は記憶にないかもしれません。逃亡した犯罪者や、反妖魔士勢力の動向を調査する……というのが表向きの仕事でした。でもその実態は、暗殺者よりも性質の悪い始末屋です」


 青也は竿を少し動かしながら、魚の手ごたえを待つ。偶に川の流れが変化して糸が引かれる感触はあるが、生き物の動きとは違うので惑わされることはない。


「十二年前に彼は三十を少し越えたあたりですから、直属妖魔士として動き出したのは二十代前半です。当時、十妖老は人を秘密裏に処分する駒を持っていなかった。暗殺を専門とする流派はいましたが、彼らは自分達が使いやすい駒が欲しかったんです」

「それで、なんで波条流なんだよ? あそこ、防御専門じゃねぇか」


 防御術に優れた技能を持つ流派。其処から暗殺者紛いの人間が出てくるとは信じがたい。

 青也の疑問を、薔吾は予期していたのような表情で受け止めると、少し言いにくそうに口ごもった。


「最初はちゃんと追跡妖魔士として採用されたんです」

「段々、始末屋になっていったってわけか」

「僕達は皆、大小の差はあれど裏稼業の人間です。青也に聞かせられないようなことだってしています。でも昔に比べたら生温いぐらいなんですよ」

「ご時世のモンダイってやつか?」

「違います。月追いを作ってしまったからです」


 川のどこかで魚の跳ねる音がした。


「十妖老の命令で何でもする始末屋。若かったことや、名門流派の子息だったことで十妖老は彼に随分多くの裁量を与えたそうです。彼によって始末された物はあまりに多かった」

「それで、死んだらわからなくなった?」

「そうです。彼が何をして何を仕込んだか、誰を消して誰を消さなかったか、誰にもわからなくなってしまいました。月追いは死ぬのが早すぎたんです」


 青也は下らなそうに舌打ちして、釣り竿を引いた。餌だけ奪われた針が宙を横切り、手元に戻ってくる。


「今も昔も、十妖老のやってることなんて変わんねぇな。問題が起こったらすぐに撤回、撤回、撤回。馬鹿みてぇ」

「青也も十妖老ですけどね」

「俺は発言権も決定権もねぇから、関係ない。で、その殺し屋のことも月追いが始末したんだろ?」


 薔吾が頷くのを確認してから、青也は再び針を川に投げ込んだ。

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