13.慰謝料請求(終)
東都駅の新幹線ホームには、各地方に向かう車両が並んでいる。
その中の一つ、
本拠地とする
一時間しかない道中を、転寝でもするつもりでいた一帆だったが、それを一つの声が妨害した。
「珈琲飲む?」
「は?」
一帆の眼前に差し出されたのは、一本の缶珈琲だった。
ホームにある売店で売っていたものらしく、側面にテープが貼られている。
その缶を持った手の先に視線を動かした一帆は、悪戯っぽく笑っている青也を見て驚愕した。
「はぁっ!?」
「お邪魔しまーす」
青也は一帆の膝に缶珈琲を投げ、そして自身は隣のシートに腰を下ろした。
「お前、何してるんだよ! これ、摂津行きだよ!?」
「知ってるよ。行き先見たし」
「大体、なんで此処にいるんだい?」
「馬鹿だな、チケット買えば入れるだろ。まぁ自由席のチケットだけど」
青也は自分の分の缶珈琲を開けて、口をつける。
「あ、これ微糖じゃん。俺、無糖派なのに」
「何しに来た? というか馬鹿なの?」
「おっ、グリーン車って座り心地いいな」
「もう発車しちゃうよ? そしたら東都から出ることになる。誰かに知られたら、処罰ものだよ」
「あ、手すりの中からテーブル出て来た!」
「お願い、話を聞いて」
車内アナウンスが、発車まで三分を切ったことを知らせる。一帆は青也の肩を掴むと、無理矢理顔を合わせた。
「どういうつもりだい?」
「え? 慰謝料払ってくれるんだろ?」
「それとお前の奇行に、何の関係が?」
「小倉トースト食いたいなって」
青也は非常にマイペースに答えた。
昨日、仰向けに倒れて夢の中に入った青也は、そこで大きな小倉トーストを見た。柔らかいパンをこんがりと焼き上げ、切れ込みを入れて、艶めく餡を入れた小倉トースト。
夢のお約束、食べる直前で起きてしまうという悲しい結末を迎えた青也は、どうしても食べたくて仕方なくなった。
「三河と言えば、小倉トーストだろ? 食べたい」
「東都でも食べられるよ!?」
「三河への交通費と、小倉トーストと、ひつまぶしと、手羽先。それで慰謝料にするから」
「だから全部、東都で食べれるじゃないか。なんで三河に行こうとするの? 馬鹿なの? あ、馬鹿だったか」
「食べたい! 昨日から何も食ってないから、間違って一帆を殺しそう」
「わぁ、カニバリズム」
発車ベルが鳴り、扉の閉まる音が聞こえた。
緩やかに発車したのを見ると、青也は窓の外を見て嬉しそうにする。
「新幹線久しぶりだなー。いぇーい、グリーン車でーす」
「知らない人に手を振るんじゃない。……仕方ないなぁ」
一帆は諦めたように呟いた。
特権的地位にある一帆は、「研究のため」と言えば大抵の都合はつく。青也を東都から連れ出すのも「妖気の研究」とでも理由をつければ、後から咎められる心配はない。
無論、一帆が青也と仲が良いことを知っている十妖老達は、それが嘘であることに気付くだろうが、殊更それを指摘する暇人もいなかった。
「連れて行ってあげるけど、誰かに言ったら駄目だからね」
「あと味噌カツ」
「聞いてる?」
三河の名産品を淀みなく読み上げる様子に、本当に大丈夫かと一帆は疑いたくなった。
しかし、青也は馬鹿ではあるが愚かではない。保身のために口を噤むことは容易い。そう信じることにして、一帆は膝の上に転がったままの缶珈琲を手に取った。
「青也。こっちが無糖だよ」
「マジか。交換して」
「やだよ。半分飲んじゃったじゃないか」
一帆は缶珈琲に口をつける。安っぽい味の苦い液体が、舌の上を滑って行った。
「全く、お前の奇行にはついていけないね。何をするかわからないんだから」
その苦言に対して、青也は満面の笑みを向ける。
子供っぽさを残した、しかしどこか人を食ったような笑顔で、青也は自信満々に言い放った。
「でも、そんな俺が好きなんだろ?」
END
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