11.脱出条件

「条件って、例えば?」

「この場合、個体のスペックは関係ないと思うんだよね。例えば身長や体重、妖気の有無などで選別はしないってこと」

「まぁ無関係の人間を巻き込まないためには、それが一番か」

「この近辺の行方不明者は記録されていないから、死んだら出れるってわけでもなさそう。偶然入っちゃった人たちが、殆ど無自覚に出れるような条件だと思う」


 もし条件が複雑で、脱出するのに時間がかかるようなものであれば、既にこの場所が危険区域として報告されている筈である。妖魔士でない者でも、不可解な区域や建物の報告をすることは認められており、それが思いもよらぬ重大事案となることも多い。

 青也もそれは知っているため、素直に同意をした。


「じゃあなんで郁乃は出られないんだ?」

「偶然入り込んだ人たちと行動が違うんだろうね。これだけじゃ判断材料に乏しいから、今度は動物について考えてみようか」

「ただ出られないだけなら、犬とか猫が全くいないのは変だよな?」

「うん。出られないにせよ住み着いてしまう可能性はあるからね。思い出してほしいのは、元々この場所は温泉から出る毒素によって閉鎖されたってこと。つまり動物が住めないような環境だったと考えられる」

「じゃあ最初からいなかったのが、ずーっと維持されてるってことか?」


 郁乃は笑顔を作ると、二回頷いた。


「そういうことだと思う。要するに此処はある日を境に時間が固定されてしまって、一定時間でループし続けている。だから動物とかが入り込んじゃっても、一定時間が経過すると「巻き戻り」が発生して、此処から排除されちゃうわけだね。外にポイッて出されるような仕掛けじゃないかな」

「人間もそうなのか?」

「人間の場合は、それじゃ誤魔化せないよ。でも似たような仕掛けだと思う。そうだなぁ……ある条件を満たせば、外に出る道に強制的に繋がるのかも」


 青也はその仮説に対して、短い同意を返して周囲を見回した。先ほどから何の変化もない景色は、二人のことなど気にも止めていないように見えた。


「……月野稔って四国の阿波の人間だよな?」

「そうだね。飛行機で一時間と少しかな」

「もし東都にいない時に、此処に殺し屋が入ってきたらどうするつもりだったんだ? 駆けつけようにも不可能な時だってあるだろ?」

「まぁ、それは確かに。いくら本人がそのつもりでも天候不良とかで飛行機や船が使えないなんてことは多いからね」

「入り込んだ殺し屋が、万一逃げちゃったら困るよな?」


 大掛かりな罠が見破られれば、それは敵に対して有利な状況を与えてしまうことになる。始末屋とまで言われた男が、そんな失態を犯すとは考えにくい。

 そもそも殺し屋と紛れ込んだ人間との違いが、それほどまでに明確に分かれる物なのか、青也は疑問に思っていた。郁乃は殺し屋に近いかもしれないが、青也は違う。そもそも今日は武器はおろか妖魔すら持っていない。それにも関わらず、未だ外に出れる気配はない。


「すっげぇ嫌な予感がする」

「青也の第六感ってよく当たるから嫌いなんだよねー。今度は何?」

「わかったら苦労しねぇよ。でも、もしかして此処が問題にならなかったのって……」


 突然二人の視界が揺れる。地面が大きく左右に振動したためだった。

 郁乃はその場で軽く跳躍して転倒を防ぎ、青也は腰を低く落とすような構えで耐える。


「な、何?」

「気を付けろ!」


 それは地震ではなかった。遠くに見える山は微動だにせず、ただ平穏を保っている。揺れているのは商店街の中だけで、それでいて廃墟や街灯が崩れる気配もない。


「青也! 上だよ!」


 郁乃が叫びながら指を差す。立ち並ぶ廃墟の壁面に、文字と図形を組み合わせたような紋様が浮かび上がっているのが見えた。一軒だけではなく、全ての建物に同じものがある。


ジン、か?」


 妖魔士は妖気をそのまま物理攻撃に活用する「術」と、複雑かつ複数の効果を生み出す「式」を使用する。青也の場合であれば、刀で急所を的確に突くのが術で、刀から妖気の刃を放出するのが式となる。


 式の効果を継続して使用したい場合は、それを「陣」と呼ばれるものに変換する。上位の妖魔士しか作ることが出来ないとされるが、青也は苦手なので殆ど作ったことがない。ましてこれほどの数の陣を見るのは初めてだった。


 一番近い建物の陣が光り、次の瞬間冷たい空気が青也の頬を掠めた。氷で出来た矢が飛んで来たのだと理解するまでに、青也は瞬き二回分の時間を要した。


「青也!」


 郁乃の声で我に返った青也は、二撃目の矢を回し蹴りで払い落とす。他の陣も起動を始めており、二人へ攻撃の矛先を向けていた。紋様の隙間から突き出す槍、矢、剣はどれも氷で作られている。


「逃げよう!」

「何処にだよ!」

「じゃあ一人で串刺しオブジェにでもなってれば!」


 攻撃を避けるように二人は走り出すが、商店街の果ては見えない。ループに陥った場所では、どこまで走ろうとも無駄なことだった。数分前に通り過ぎたはずの交番が、本屋が、民家が、それぞれの陣から武器を覗かせて二人の行く手に待ち構える。


「なんで、武器持ってこないのかなぁ!?」


 足元に刺さった槍を回避しながら、郁乃が苛立った口調で青也を責める。


「攻撃力しか取り柄がないのに、武器持たなくてどうするわけ?」

「元はと言えば、お前がいなくなるからいけねぇんだろうが!」


 飛来したダガーを避けた青也が声を荒げて言い返す。


「直属妖魔士なら、大人しく自分の仕事だけしてろよ! 気になったもんに首突っ込むな!」

「青也にだけは言われたくないよ!」


 自分の武器である拳銃を構えた郁乃が、走りながらでは定まらぬ照準に舌打ちする。郁乃の妖気は青也より高いが、それでも当たらなければ何の意味もない。


「この商店街、全部燃やすわけに行かないのか? このままじゃどっちもくたばるぞ」

「燃やすにはその攻撃範囲を決めなきゃいけないんだよ。どこでループしてるかわからないのに、出来るわけないじゃん。下手したら自分が燃やした家屋に突っ込んで、こんがり美味しく焼けちゃうよ」


 それに、と郁乃は青也を一瞥して溜息をついた。


「妖気も使えない状態の誰かさんを巻き込まないように燃やすのは無理」

「気にするなよ」

「気にするよ! 青也が死んだら、忍に殺されるからね!?」

「大丈夫だって」


 青也は何度も通り過ぎた駅前の交差点に足を踏み入れ、転がった看板を飛び越える。それを狙うかのように横から飛んで来た矢を、肩に担いでいた釣り道具を投げて叩き落した。父親か叔父のものだった釣り竿は地面に落ち、氷の剣で真っ二つにされる。


「多分、此処で死んだ人間はいなかったことにされるから」

「どういう意味?」

「十年も放置されて、一度も問題になってないなんておかしいだろ。多分、ここで死んだ人間は最初からいなかったことにされるんだ」

「消滅するってこと? ……あ、そういえば、違法な陣の中にあった気がする。非人道的過ぎるうえに影響力が未知数だから使っちゃダメって」

「これほど大掛かりなもの作って、狙うのがたった五人なんておかしい。本当はもっといたんだよ。それがこの陣で殺されて減ったんだ」


 郁乃の説いた仮説は、人道的観点によるものだった。だが、始末屋であった男の思考回路から考えると、「入ってきたやつを全員殺す」ほうが後腐れもなく放置しておいても問題なく済む。

 元の殺し屋が何人いたのか。それはもう誰にもわからない。


「最悪! 絶対、外に出てやる!」

「同感。でもどうするんだ?」


 二人の総合的な戦闘能力は、ほぼ互角である。だが、一つ一つの才能を取ってみれば、そこには歴然とした差が存在する。

 例えば、持久力や腕力は青也の方が大きく劣る。走り続ければ自ずと青也の方に身体的負担がかかるのを、郁乃も理解していた。


「青也のお陰で、いくつか活路は見えた。速攻で片を付けるよ」

「何か手伝うか?」

「えーっと、死なないように気を付けて」


 特に他に言うこともないと言わんばかりに告げた郁乃は、一瞬だけ加速して青也の前へ出た。左右の壁から降ってくる槍や剣を避けながら、地面を蹴って宙に飛び上がる。

 左手に握った拳銃は、その不安定な態勢でも狙いを定めることに成功していた。引き金を引くと同時に、弾丸として込めた妖気が放出される。狭い銃筒から解放された妖気は、瞬く間に巨大な火となって建物の一つを飲み込んだ。火柱が天を貫くように上がり、大気を焦がす。

 郁乃はその火を見据えながら着地すると、青也を振り返った。


「青也! あれに突っ込むよ!」

「なんか熱そうだけど」

「いいから!」


 青也の腕を掴んだ郁乃は、相手の承諾も待たずに燃え盛る建物の中へ飛び込む。元は何かの店舗だったらしい小さな木造二階建ての玄関は、二人分の体重によりあっさり崩壊する。

 中に転がり込むようにしながら、郁乃は銃を構えなおし、壊れた玄関から向かいの建物を狙撃する。爆発にも似た音を伴い、その建物も炎上した。


「熱っちぃ!」


 飛び込んだ衝撃で軽い火傷を負った青也は、赤くなった右腕を左手で押さえながら郁乃を見た。


「おい、郁乃! こんなことして何に……」

「黙ってて」


 火は瞬く間に隣接した建物に延焼する。周囲の建物は火に反応してか、氷の塊を一斉に放出するが、当の燃えている建物はただ火に身を任せていた。


「やっぱりそうだ」

「何が? というか、崩れるぞ」

「この商店街は同じ時間を延々繰り返してる。でも攻撃陣が発動している建物は、それが機能しないんだよ。もし機能するなら、放っておけば勝手に修復するはずだ。それなのにわざわざ俺達への攻撃を破棄してまで火を消そうとしている」


 破棄という言葉が理解出来ない青也も、郁乃が何を言わんとしているかは何となくわかった。

 恐らく、二人への攻撃を止めれば建物を修復することが出来る。だがこれまでの推測からすると、陣は二人を殺すまで止まらない。かといって燃える建物を放置すれば、いずれ全て燃え尽きてしまう。

 要するに郁乃は、ループする空間の中にもう一つのループを作った。建物が燃えている限り、陣が二人を攻撃することはない。


「建物の中にループが発生しないとすれば、壊しながら進めば外に出られるってこと」

「頭いいな、お前」

「でしょ」


 得意そうに言った後、郁乃は火を避けるために仮面を顔につけた。慇懃な態度で青也に向かって頭を下げる。


「それでは第三席、外にお連れするのに必要なご命令を」

「お前、今更すぎるだろ。まぁ妖魔もねぇから、外に出るまで世話見てくれよ」

「報酬は?」

「暇なら明日、映画観に行こうぜ」

「承知した」


 郁乃は先陣を切り、建物の外へ飛び出す。青也はその背を追いながら、一瞬だけ昔のことを思い出した。

 まだ父親が生きていた頃、五歳頃の微かな記憶。自分は誰かの腕に抱かれて、一人の男の背を見ていた。郁乃よりも大きく、そして少し猫背気味だった。


 ――死にたくなったら使っていいぞ。跡形もなく消してくれる。


 軽い口調で男はそう言った。青也を抱いた誰かは笑っていた。

 恐らくあれが月野稔だろう。何の根拠もないが、青也はそう思った。記憶の中のその背中は、どこか優しさを持っていた。

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