10.噛み合わない過去
「そろそろ行かないと検査場を通れなくなるよ」
紫苑の言葉に、薔次郎は軽く頭を下げた。
「戻りましたら、顔を出します。青也様にお土産を買ってきましょう」
「蝦夷のお土産か。きっと喜ぶよ」
「何がいいでしょう。お菓子は好きではないようですし」
「そうだねぇ……。蟹とかなら食べるんじゃない?」
高い土産の品を要求された薔次郎は、何度か瞬きをしてから苦笑を零す。
「紫苑様の好物では?」
「俺はあんな面倒くさい食べ物、嫌いだね。すぐにかぶりつけるようなのがいい」
「そうですか。では蟹を買ってきましょう」
立ち上がった薔次郎は、「そうだ」と思い出したように呟く。
「月追いの仕事ですが、いくつか妙なものがありました。どうも彼は、十妖老直属でありながら、妖魔士連盟と協力状態にあったようです」
「まぁあいつのオトモダチは山ほどいたからね。刑務局の
「えぇ、そうでしょう。もしそうであれば、逆も然りです。連盟本部の表沙汰に出来ない案件に月追いが関わっていたかもしれない」
「だろうね。あの頃は随分無茶苦茶なことをしてたから」
「紫苑様」
薔次郎の視線が紫苑を射抜く。薄笑いを浮かべていた紫苑は、それに何か返そうとして、しかし表情を少し強張らせた。
「十二年前に月追いのことを尋ねた際にも思ったことですが、あの時は緊急事態が続いていたので言及はしませんでした」
「何、突然」
「紫苑様は妖魔士を辞めてから十年もの間、行方知れずでした。月追いと交流があったと言いますが、それなら我々の耳にも入って良いはずです。しかしそのような記憶はありません。月追いが何かの意図で隠していた可能性が高い」
「まぁ、俺は一般人だったしね。あいつも遠慮してくれたんじゃないの」
曖昧な言葉を使ってはぐらかそうとする紫苑に、薔次郎は手を緩めなかった。
「一般人であった紫苑様が、どうして当時の連盟本部の内情をご存じなのでしょう。月追いが貴方のことを一般人と見做したなら、そんなことを教えるはずがない」
「……妖魔士に戻ってから調べたんだよ」
「それなら、どうして白峰冬悟朗様の所属を間違われたのですか。確かに最初は刑務局でしたが、死亡した時は
「調べ方が悪かったのかなぁ。勘違いだよ、勘違い」
「貴方は十年間、何をしていたのですか」
斬りこむような問いに、紫苑は数秒だけ黙り込んだ。自嘲するかのように口元を吊り上げた後、正面から薔次郎を見据える。
「専門学校を出て、会社員として働いてたよ。まぁ、その間に稔のお手伝いしてたかもしれないし、結婚もしていたかもしれないし、もしかしたら殺し屋だったかもしれないね」
「私は真面目に聞いています」
「ノリが悪いなぁ。……互いに酒飲みだったから東都の飲み屋で再会したんだよ。「星のランタン」っていうバー。酒は俺のほうが強かったし、あいつも俺の前じゃ口が軽かった。始末屋になったことを知らない旧知の人間は俺しかいなかっただろうからね」
それだけだよ、と紫苑は寂しそうに呟いた。
「出来損ないの元妖魔士にしか心を開けないぐらい、あいつは神経を尖らせて生きていた。ちょっと口が滑ってたことぐらい許してやってよ。機密事項はどんなに泥酔しても言わなかったんだからさ」
薔次郎は唇を噛みしめ、小さく頷いた。もはやそれを咎める相手はこの世におらず、何を話したかは紫苑の記憶の中にしかない。それを逐一問いただす権利は誰にも無かった。
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