10.共闘する妖魔士

 けたたましい警報が鳴り響く、五階建てのビルの前まで来た青也は、一足遅かったことに気付いて舌打ちした。

 通行人と、中から避難してきた人々が口ぐちに何かいいながらビルを見ている。


「おい、郁乃」

「わかっている」


 瞬時に仕事用の態度に戻った郁乃は、周囲を見回して、ある一点に目を付けた。


「第三席、あそこが手薄だ。俺は違うルートから入る」

「了解。しくじるなよ」


 郁乃の気配が傍らから消える。

 青也はその行方を確認することもなく、人混みを掻き分けるようにして前方へと進む。入り口前には、警備員と妖魔士が野次馬を制すようにして、避難を呼びかけていた。

 視線を左右に巡らして、友人二人の姿がないことを確認する。


「あいつらは中か。怪我してなきゃいいけど」


 姿勢を低くして、右足に力を入れる。

 警備員と野次馬が密集している正面出入り口。それを真横に見据える場所。


 郁乃が指摘した通り、そこは中の様子も伺えないうえに道路に近くなっているので人が少なく、警備員たちも気を張ってはいない。


 思い切り地面を蹴り、警備員たちの後ろに飛び込む。

 青也は足は速くないが、脚力が特化しているので瞬発力だけは良い。


 実際、死角から急に現れた青也に周りは反応出来なかった。

 そのまま中へと走る背中に、制止の声がかけられるが、青也の耳には届かない。

 中に入ると、そこに大きな狼が血のような、涎のようなものを垂らしながら暴れまわっていた。


 綺麗に展示されていた商品が、軒並み倒されている。

 何故か一つだけ、根元から引きちぎられたような状態の棚があったが大した違いでもない。


 青也は携えていた日本刀を抜き、妖魔札を取り出した。

 妖気を注ぎ込んで数秒後、全身の妖気と刀が繋がる感覚が走る。


 刀の先に妖気を送り込むイメージのまま殺気を出せば、それに気付いた狼の妖魔が、針金に巻かれた首だけをこちらに向けた。


 空気が張りつめる感覚に青也は高揚する。

 床を蹴り、間合いに入ると、狼が低いうなり声をあげて飛びかかってきた。

 刀を一閃し、鼻先を斬る。微かに手ごたえがしたが、斬る直前で狼が鼻先を上げていたらしく血を出すには至らない。


「いい反射神経! ご褒美やるよ!」


 半歩後ろに下がって、刀を下から上に振り上げる。

 狼の肩口の毛がまとめて切れて宙に舞った。

 遠巻きに見ていた他の妖魔士達が、突然現れた青也に漸く反応する。


「おい、何手を出しているんだ!」

「危ないからやめて!」

「本部の刑務局が来るまで大人しくしていたほうが……」


 それらの雑音に、青也は振り返った。


「そういうわけにもいかねぇんだよ。暴れれば暴れるだけあいつらの思うつぼ、だしぃ?」


 その背に狼が前足の爪を振りかぶる。

 女の悲鳴が聞こえるが、青也は平然とした表情で刀を持った腕を上げた。爪を受け止めた拍子に金属音が鳴り響く。


光明蓮華コウミョウレンゲ


 妖気が青い刃となり、刀から放出される。刃先が上に向いていたために、それは狼の前足を切り裂くには丁度良い位置だった。


 怯んだ狼に向き直りながら、青也は一度刀を鞘に納める。

 そして左足を踏み込んだと同時に鞘から刀を抜いて、右上に振りぬいた。


 先ほどの攻撃を受けた右前足を庇うようにしていた妖魔は、その左前足も切り裂かれて口から悲鳴を撒き散らす。

 だが妖魔は本来高い生命力を持ち、そう簡単に死ぬ生き物ではない。

 従って、両腕を裂かれた程度では、怒りを増幅させても体力を奪うには至らなかった。


 血まみれの前足で床を踏みしめて、妖魔は尻尾を垂直に起立させる。

 その毛が逆立つように四方に膨張したと思うと、次の瞬間青也の目の前に火柱があがった。


「ぅわっとぉ!」


 青也は右側に受け身を取りながら回避し、牽制として刀を真横に振る。

 狼は火の粉を散らすようにして飛び上がり、青也と距離を取った。


 その間合いを縮めようとした青也の足元に、小さな金属音と発砲音が重なる。

 弾の飛来した方向、右側を見れば、カウンターの上に立ったまま銀色の拳銃を構えている郁乃がいた。


 発砲のタイミングと射撃の腕から、今のものが青也への攻撃ではなく注意を促すものだったことは明らかだった。


「気を抜くな、もう一匹いる」

「知ってるよ。それはお前にやる」


 押しつけの言葉に、しかし反論はない。

 ただ仮面の奥で郁乃が笑ったような気配があった。


 青也は刀を構えなおすと、鋭い眼で狼を捉える。息を吸うと一瞬だけ止めて、吐き出す勢いと共に地面を蹴った。

 同時に郁乃が銃を構えたままカウンターから飛ぶ。妖気で強化された脚力で緩やかな弧を描くようにして、青也の右側に着地した。そしてもう一度跳躍したかと思うと、狼の頭を踏み台に高く飛び上がる。


 思わぬところから頭を踏みつけられて、狼の注意が逸れたのを青也は見逃さなかった。

 狼の目が自らの左側を見て、また正面に戻る一瞬でその死角へと入り込む。

 至近距離、その息遣いすら感じとれるほどの位置で青也は左下に構えた刀を、地面と水平に振り上げた。


「赤蓮華」


 先ほど使った「式」とは違い、これは妖気の構築を必要としない「術」だった。

 式と違って構築によるタイムラグは発生しないうえに強力な効果を生むが、個人の才能や鍛錬を必要とする。また術を使うのに妖気を武器とは別に全身にも送り込まなければいけないために消費が激しく連続では使えない。


 しかし青也はそれに躊躇うことはなかった。

 失敗した後のことは頭にはない。その距離と敵の状態から自然とはじき出された行動にすぎなかった。


 鋭く重い一撃を生むことが出来るその術は、確かな感触と共に狼の喉笛に入る。

 頸動脈ごと叩いたためか、一瞬だけ筋肉が収縮して刀を弾こうとしたが、狼が昏倒するほうが早かった。


 白目を剥いた狼が喉笛を晒しながら、横向きに倒れていく。

 その頭上では飛び上がった郁乃が銃口を真っすぐ天井に向けていた。

 そこに張り付くようにしていたのは、真っ黒な毛を全身に生やした大きな蜘蛛。緑色の複眼をせわしなく動かし、狼と同じように涎を垂らしている。


 郁乃は飛び上がったことにより、当然訪れる重力を冷静に計算に組み込みながら、複雑な式を構築する。

 式の構築で必要なのは冷静であることと集中力があること、そして複雑な式を覚えていられる記憶力。


 直観的な戦闘は青也に劣るが、郁乃は妖魔士の中でも最高水準の知能を持っていた。

 青也が式の構築を諦めるほどの時間で、複雑な式を編み上げる程度には。


「俺を見下ろすとはいい度胸だ」


 冷笑を仮面の奥で浮かばせて、郁乃は照準を定める。

 自らの美学にも嗜好にもそぐわない妖魔の頭に向けて引き金を引く。

 妖気の弾丸が銃身を抜けて外に放たれた瞬間、赤い火花を撒き散らしながら妖気が妖魔の頭に入る。

 爆ぜるような音と共に妖魔の前頭葉が弾け飛んだ。

 その血を浴びながら、郁乃は宙で一回転して床に着地する。


 数秒後、天井から剥がれ落ちるようにして落ちて来た黒い蜘蛛が、狼の上に落下。衝撃が床を撓ませて、陳列棚や床に落ちていたものを吹き飛ばした。


 それに巻き込まれそうになりつつも、足を踏ん張って耐えた青也が、抗議の目を郁乃に向けて足早に近づく。


「おい」

「なんだ、第三席」

「お前は俺を殺す気か。結構ギリギリなところに落ちてきたぞ」

「滅相もない。俺は十妖老に牙を剥くようなどこぞの諜報妖魔士とは違う」


 それに、と郁乃は淡々と言葉を続けた。


「あの程度で死ぬような脆弱な肉体とも思っていない」

「勝手に人の耐久度決めるな。今度覚えてろよ」


 相手の仮面越しの鼻先に人差し指を突き付けて告げた青也は、更に言葉を続けようとした。


 一方の郁乃はそれを見て、珍しいこともあるものだと考える。

 青也は自己完結の世界で生きている動物なので、誰かに何かを伝えようとする言葉はあまり持たない。

 平素ならともかくとして、一人の直属妖魔士としての郁乃にこれ以上何の感情をぶつけるつもりなのかと身構えた。

 そしてそれは身構えた分、肩透かしを食らうこととなる。


「あと、こいつらまだ動けるぞ」

「は?」

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