9.穿たれる矢

「ジェットコースターには負けるけど、スリルはあるな」


 青也は頭の中で構築した式を展開する。大気中の水分が集まり、妖気を元にして絡まりながら、蜘蛛の巣のように広がる。

 足元に出来たその即席の足場に着地すると、まだ上にいる宗雪を見上げた。本来は防御に使う式であり、妖気の衝撃には強いが物理的な重さには弱い。現に今も、青也の足元では繊維が千切れるような音が聞こえていた。


「オッサン! 幹をこじ開けられねぇか!?」


 大声で叫ぶと、宗雪が負けじと同じ声量で返してきた。


「出来ないことはないけどな! これだけ結束してると反動がかなり大きくなる!」

「よし、やれ!」

「お前は人の話を少しは聞け!」


 怒鳴るように言いながら、宗雪は死角から襲い掛かってきた枝を跳躍して避けた。

 舌打ちしながら弓を構え、その枝に矢を突き立てる。近距離から撃たれた矢は枝を容易に貫通して、その下にあった別の枝に縫い留められた。


 宗雪はそれを踏みつけるように降り立ち、聞えよがしな溜息を吐く。緩慢な動きながらも二人を叩き潰そうとするマシラは、あまりに巨大だった。

 此処が人里離れた山奥であれば、悠長に枝の一本一本を切り離しながら無力化することも出来るだろうが、東都の中心に出現してしまっている。

 暴れだしてしまった今、外にいる一般人たちに危害が及ぶ前に片付ける必要があった。


「反動が強いから、一度が限界だぞ。失敗は許さないからな」

「えー。失敗しても成長の余地有ってことで許せよ」

「俺はお前の学校の先生じゃねぇんだよ!」


 弓を構えた宗雪は、息を吸い込んで肺に溜め込むと、口を噤んだ。弦を引き、現れた矢の先端をマシラの本体である幹へと向ける。弓の射手として鍛えられた目は、何処に矢を打てば本体にダメージを与えられるかを正確に判断していた。


 だが宗雪は、弦から手を離さないまま両目を細める。まるで矢を放つべきかどうか悩んでいるようだった。

 青也がそれに気付いて、攻撃を促そうとした刹那、宗雪の頭上から一際太い枝が振り下ろされた。葉の生えた枝は激しい音を鳴らしながら、宗雪の視界と行動を遮ろうとする。


「何やってんだよ、オッサン! 早く撃てぇ!」


 青也の声に、宗雪は我に返ったように弦から手を離す。光の矢が落ちて来た枝と葉の間をすり抜け、そして幹へと突き刺さった。


 矢から妖気が流れ込み、密着していた幹同士を無理矢理剥離させようとする。本体の危機に気付いたマシラは、それに抗うように枝を振り回した。


「妖気反動だ。避けろ!」


 宗雪はその場から飛びのき、別の枝に飛び移りながら青也に叫ぶ。自分の体に流れ込んだ妖気を排除しようと、マシラは枝や根を無軌道に動かす。それは規則などなく、油断すれば身体ごと弾き飛ばされてしまいそうだった。


 青也はその中で、宗雪が放った矢を見ていた。光属性の妖気で作られた矢は、この状況の中でも見誤ることはない。深く突き刺さった矢は、振動を続ける幹から、何とか振り落とされずにいるようだった。


 妖気により結合が緩んだ幹の隙間から、マシラ特有の緑色の目が覗いていた。しかしその隙間は伸縮を繰り返しており、安定しない。


「あーぁ、ちょっとズレてんな」


 青也は弓には詳しくない。しかし、攻撃を受けた場合のマシラの動きについてはよくわかっている。

 矢が急所を射ったなら、これほど長く抵抗を続けることはおかしい。つまり宗雪の矢は微妙に的を外したこととなる。


「まぁ、仕方ねぇか」


 足元の防御壁は既に崩壊しようとしている。

 青也は意を決して、その壁を強く蹴って宙に飛んだ。もはや敵を排除するというよりも、ただ暴れまわることのみを目的としたかのような枝へと飛び乗り、その上で体勢を変えて別の枝へと移動する。


 冷静さを欠いた敵は、青也にとっては絶好の相手だった。深く考えるよりも直感で動くことを得意とする少年は、理性のない相手には非常に強い。

 生まれ持った野生の勘とは別に、周囲に押し付けられてきた面倒な仕事が、その成長を更に促進していた。


 枝を飛び乗りながら幹に近づく間にも、マシラの体は伸縮を繰り返す。枝同士が衝突して、その一部が破損しても止まる様子すらない。


 青也は不安定な足場の中で、宗雪の矢の場所まで辿り着く。矢の突き刺さった場所に出来た隙間は、青也の体の大きさほどしかなかった。

 幹の中には闇が広がっており、そこに緑色の巨大な目が動いていた。光を反射しないために、何を見ているかすらわからぬ目に、青也は笑みを向ける。


「オッサンが中途半端に妖気入れたから苦しいだろ。助けてやるよ。俺は正義の味方だからな」


 そう言うと青也は、目の中心に思い切り刃を突き立てた。

 水風船を貫くような感触がしたと思うと、刀を持った右手に細い木の枝が絡みつく。


「だーかーらー。触手プレイはお断りなんだよ!」


 右手を上に振り上げ、その細い枝を引きはがす。隙間から抜いた刀にも、その枝の一部が付着していた。

 致命傷は与えたはずだが、未だに抵抗するつもりらしい相手に、青也は二撃目を与えようとする。


「裏青蓮院流……」

「青也! 右に飛べ!」


 下から宗雪の声がした。何かの気配に勘づいた青也は、足元を蹴って宙に飛ぶ。


 重力に任せて落下しながら見たのは、隙間に向かって光の矢が突き刺さった光景だった。それが正確に眼球を貫いたことは、木が途端に動かなくなったことが証明していた。


 青也は落下の途中で体勢を整えると、もう二度と動かないであろう枝を踏みつけて衝撃を殺し、露出した木の根の上に着地する。

 元々そこにはビルの屋上があったはずだが、先ほどのマシラの動きによって原型を失ってしまっていた。


「無事か?」


 先に下に回避していた宗雪が、青也に近づきながら尋ねる。

 青也は相手の顔を数秒見つめた後で、大きな溜息をついた。


「最初から正確にやってくれよ」

「お前が無理難題を言うからだろ。あれでも反動が少なくなるように努力したんだ」


 不機嫌な表情で答える宗雪だったが、自らが踏みしめる木の根の下で大きな音がしたのに気付くと、真面目な表情となる。


「マシラが土台までは破壊したようだな。崩壊するまえに脱出するぞ」

「折角だから、ビルから飛び降りて脱出しようぜ」

「お断りだ。一人で飛んでろ」


 何処までもノリの悪い宗雪に、青也は頬を膨らませる。しかし背を向けてしまった宗雪に、その表情が伝わることはなかった。

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