第四話 そして全ては過去の中

1.東都の空と巨木

 憂鬱な色の雲に覆われた空が、どこまでも広がっている。

 海保青也は紺青の双眸を細めて、視線を南の空に向けていた。秋に入ってから急に冷え込むこととなった一因である長雨は、昨日よりは小降りになったが、未だに止む様子はない。


 視界の先には、雨空を唐突に遮るかのような、巨大な木がそびえ立っている。太い幹に太い枝。四方に伸びた枝と葉が、その木の生命力を示している。


 高層ビルが乱立する東都でも、自然はまだ多く残る。妖魔士の活動において自然は欠かせないものであり、排除すればするほど、マシラの出現率も多くなる。


 従って、その木が高層ビルの狭間にあることは珍しいことではない。いくつかのビルよりも高いことにおいても、まだ許容範囲でもある。


「……へぇ」


 青也は口角を吊り上げて、首を少し傾げた。

 そびえ立つ大樹が抱える問題は、生えている場所でも、その大きさでもない。その木が昨日までは存在しなかったことである。


「いつ生えたと思う?」

「さぁ。深夜ではないでしょうか」


 問いに答えたのは、青也の世話役である内海準一だった。

 没落流派である裏青蓮院流において、実質上の幹部筆頭であり、働く能力のない統帥と、働く気配のない副統帥に代わって、様々な業務を行っている。


 どんな時でもスーツ姿で、生真面目な態度を崩さない。自由奔放な青也とは真逆にある人間だった。


「それよりも青也様、この雨の中で屋根の上にいらっしゃるのは感心しません」


 青也と準一がいるのは、屋根の上だった。百年以上前に建てられた日本家屋は、何度も改修を繰り返してきたものの、十二年前からは屋根の修繕にも困る有様だった。割れた屋根瓦を無理矢理継ぎ合わせ、雨が降る度に雨漏りが発覚するような状態である。


「雨漏りするから見に来たんだよ」


 青也は右手に持った大工道具を準一に見せる。傘も合羽も持たずに屋根に上がったものだから、その手も道具も水浸しで、準一はそれを見て大きな溜息をついた。


「そんなのは他の者に任せればいいんです。貴方は統帥なんですよ」


 姿が見えない青也を、準一は暫く母屋の中で探していた。だが、外が雨であることと、生まれた時から面倒を見ている少年の性格から、すぐに屋根の上だと気付いた。


 青也がすることは基本的には意味不明であり、それを制止出来る者はいない。唯一の例外として、青也の叔父である紫苑は言うことを聞かせることが出来るが、紫苑がこの家に来ることは稀である。


「じゃあ雨漏りはお前に任せる。俺はあの木を見に行く」


 青也は道具を準一に差し出した。準一は溜息をつきながら首を左右に振る。


「ダメです、と言ったら?」

「あれ、種類は何かな? あれだけ大きくなるのって、杉とか檜とかが怪しいと思うんだけど」

「無視ですか」

「あ、果実樹って可能性もあるか。木の大きさって実の大きさには関係ないんだっけ?」

「青也様、私の話を聞いて下さい。行って良いとは言っておりません」


 少し強い口調で準一が言うのを聞いて、青也は不思議そうな表情になった。


「なんで?」

「何でって……。あそこはうちの管轄ではありませんし、貴方を野放しにすると何があるかわからないからです」

「なるほど、理解した」


 そう言うと、青也は老朽化している屋根瓦を蹴って屋根から飛び降りた。雨でぬかるんだ地面に着地して、少々バランスを崩したが何とか踏みとどまる。


「青也様!」

「要するに、通りすがりを装って見てくる分には問題なしってことだろ?」

「違います! そうやって身勝手に動き回るから、嫌なんですよ!」

「そうか。勝手に出かけるのは良くないよな。じゃあ六時までには帰るわ」


 青也は帰りの時刻を告げると、門に向かって歩き出す。雨音の向こうで「予定なんか聞いてません!」と叫ぶ準一の声がしたが、右耳から左耳へと華麗にすり抜けていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る