8.巨木の正体

 宗雪が下を見下ろして笑う。

 瓦礫塗れのビルはまだ視野の大部分を占めていたが、二人が昇り始めた場所は握りこぶし程度の大きさになっていた。


「あー。雨に当たったらちょっと頭がスッキリしてきた。つまり、オッサンはこの巣にマシラの気配がないから変だって言ってんだろ?」

「まぁこの木の先にいるのかもしれないけどな。あるいは、もう全部外に出たかだ」


 少し雨が強くなり、宗雪の髪を揺らす。宗雪はその感触に驚いたかのように、首の刺青を覆う仕草をした。


「全部外に出たなら、このビルの周りが地獄絵図になってると思うけど」

「そうだな。ビルの中は多少荒れていたが、あくまで木の成長によるものだ。マシラが外に出ようとしたなら、もっと多くの損害が出ている」

「じゃあこの木の、もっと上にいる?」


 もう一つの仮説について青也が言及すると、宗雪は首を横に振った。


「自分で出した仮説を自分で潰すのも変な話だが、上にマシラがいるのであれば、下から登ってくる俺達に対して何もアクションを起こさないのは不自然だ」

「じゃあこれは巣じゃないってことか?」

「まぁ、はっきりは言えないが……。もうちょっと軟弱な作りだったからな、あれ」


 風が吹くたびに、木の枝同士が擦れあう。青々とした葉同士が騒がしいほどの音を立てては、二人の鼓膜を通過していった。


 青也は上空を見上げ、木の頂点を見ようとする。複数の木が捩じれて寄り合い、互いを侵略するかのように密着しながら上に伸びている。

 思い直したかのように途中で分岐した木の枝には、緑色の葉が雲のように分厚く密集し、それを掻き分けた先に別の世界でもあるかのようだった。


「青也」


 落ちるなよ、と宗雪が言う。それに生返事を返す青也は、何も遮る物のない視界を切り取るかのように、瞬きを数回した。


「十二年前の巣ってさ、どれも人が集まるところに出来てたんだよな? 連盟本部も闘技場も東都駅も、当時の避難場所に指定されたところだろ」


 青也は断片的な記憶を繋ぎ合わせながら口を開く。


「あの混乱の中でさ、冷静でいた人間って少ないと思うんだよ。パニック状態の人たちが集まってさ、そこで秩序が乱れる何かが起きた。だから巣が出来たんだと思う」

「まぁ妥当な考え方だな」

「だったら、誰もいないビルに巣が出来るって変だよな」

「変だな。となると、これはただの木か?」


 冗談めかした調子で宗雪は言ったが、その目は辺りを警戒していた。背中に背負っていた和弓を手に取り、その弦に指を沿わせる。


「人が多く集まらないところに巣は出来ない。というのを仮説としようか。青也、その場合に導き出されることはなんだ?」

「俺、証明とか苦手なんだけどー。でも秋月院が「その木の影響かマシラが多い」って言ってたんだろ? これが巣なら、秋月院の妖魔士達がマシラを退治する度に、新しいマシラが排出される」


 青也も刀を抜くと、口元に笑みを浮かべながら切っ先を宙に向けた。


「でもそれが起こらないってことは、巣じゃない。ただの木ならマシラが多く発生する要因になるとは思えない。それに俺、さっきから気になってるんだよ」


 強い風が再び吹いて、葉が音を立てる。

 だが先ほどから、その葉の一枚も宙に舞ってはいなかった。


「要するに」


 足を着いている幹の一部が歪む。その一瞬前に青也は思い切り踏み込んで宙に飛び出した。二人の周囲を取り囲んでいた枝や幹が揺らめくのを視覚で捉えながら、飛び移った先の枝を一閃で切り落とす。


 大気を揺るがすような絶叫が響き渡ったのは、それとほぼ同時だった。


「こいつがマシラってことだろ!」

「規格外にデカイが、機動性は低いみたいだな」


 青也の攻撃に続き、宗雪も弓を構える。矢は持たず、その指先へ妖気を集めながら弦を真っすぐに引く。しなる弓と弦の間に光で構築された矢が出現した。


「東白扇流攻撃術、五月雨」


 放たれた矢が瞬時に幾重にも分裂し、木の幹を連撃する。攻撃された木の枝が、抵抗するかのように先端を振り回した。しかし矢はそれすらも次々と射抜いて、太い枝を本体から完全に分離してしまった。


 傷つけられたことに怒りを覚えたか、木の形をしたマシラは全身を震わせる。それまでただの枝であったものが、意思を持った存在に変わって、二人を絡め取ろうと動き出す。


「いやん。触手プレイはお断り」


 青也は自分目がけて飛んで来た枝に飛び乗ると、それを足場として前方に跳躍移動する。枝はあくまで、マシラの体の末端に過ぎない。これだけの数を全部相手にしていては、どんな妖魔士でも疲弊する。


 攻撃すべきは、本体。

 これだけ枝が動いているにも関わらず、依然として互いに密着しているように身を護っている幹の部分。

 青也はそれ目がけて刀を振りかぶる。


「光明蓮華!」


 水の妖気が膨れ上がり、刀から放出される。その刃は幹に一度突き刺さったが、少しの間を挟んでから勢いよく反跳した。

 青也は紙一重で避けるが、その後ろに垂れ下がっていた枝が引きちぎられて落下する。


 落下の振動が青也の立っている枝を大きく揺らし、足場が崩れる。宙に投げ飛ばされた青也だったが、その表情は平素と変わらない。寧ろ非常に楽しそうですらあった。

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