4.出来損ないの次男坊

 その頃、一帆は青也の自宅を訪れていた。門扉は立派だが、よく見ると瓦にヒビが入っていたり、漆喰が剥がれていたりするのは相変わらずで、修繕に回す金が後回しになっていることが伺えた。


「あいつももう少し貪欲になれば、貧乏流派なんて言われないで済むんじゃないのかな」


 門をくぐって、右側には門下生たちが修行をするための道場がある。人の気配がするので、誰かはいるのだろうが、一帆はそちらには目もくれずに、正面を進んだ先にある母屋に向かった。

 大きな日本家屋は、これも門と同じでところどころ壊れたりしているが、一応手入れはされていた。玄関は開け放たれており、綺麗に掃き清められた三和土が出迎えている。

 一帆は玄関に取り付けられた呼び鈴に手を伸ばし、しかしそこに「故障中」の貼紙を見つけると大袈裟に溜息をついた。仕方なく中に声を掛け、その場で待つこと数秒。少し早足気味に誰かが近づいてきた。


「いらっしゃいませ、薬師院様。ご機嫌如何でしょうか」


 黒いスーツ姿の男が、慇懃に頭を下げる。一帆も人の事は言えないが、この暑さの中でしっかりとスーツを着込んだ姿は暑苦しい。


「暑くて死にそうな以外は、概ね問題ないよ」

「青也様が、東都病院に行くと言っておりましたが、お会いにはなりませんでしたか?」

「あぁ、心配しなくてもちゃんと治療はしておいたよ。で、薬の材料を受け取りに行く仕事を任せたから、帰ってくるまでこちらで待たせてもらおうかと思って」

「仕事、ですか」


 足を怪我している青也に仕事を頼んだことに、準一が不審を露わにする。


「ある家にある薬草を、取りに行ってもらうだけさ。だってあいつ、怪我したからって家で大人しくしてないし、何か動き回る口実をあげたほうがいいだろう?」

「はぁ。……お話はわかりました。どうぞ、お上がりください。大したおもてなしは出来ませんが」


 準一がそこまで言った時に、低い声が割り込んだ。


「おもてなしは十分しないといけないよ、準一ぃ」


 気だるく、そしてどこか陰湿な声に、準一のみならず一帆も動きを止める。玄関に続く廊下の奥から、足を引きずる音が微かに聞こえる。それは段々と大きくなっていき、やがて二人の前に姿を現した。


「その十妖老様は、咳一つで青也の首を飛ばせるぐらいの力は持ってるんだからさぁ」


 癖のない茶色い髪が揺れる。その前髪の奥にある瞳は青紫色で、少し眠たそうな、転じて睨んでいるようにも見える目と少し不釣り合いだった。

 青也と同じ白い肌には、よく見ると火傷や傷跡が目立つ。


 顔立ちは二十代半ばに見えるが、実年齢は四十近いことを、一帆は知っていた。極端に老けにくい体質らしく、女性であれば良かったかもしれないが、男なのでさした恩恵はない。寧ろ貫禄がない分、厄介な体質かもしれなかった。


「副統帥、いついらしてたんですか?」


 準一が問うと、男は首を右に傾ける。痩身ではあるが、元は体つきもしっかりしていたことを伺わせる広い肩幅だった。まるでこの屋敷を具現化したような姿だと、一帆は場違いに考えていた。


「一時間くらい前かな。忙しそうだから声を掛けなかった」

「忙しそうなら、声をかけて手伝ってください」

「嫌だね。仕事するなんて、冗談じゃないよ。それより、薬師院殿をお通しして」


 当然のように命じる男に、準一が溜息を飲み殺したのを一帆は見逃さなかった。


 海保紫苑カイホ シオン。裏青蓮院流の副統帥にして、海保家先代。


 青也の父方の叔父にあたり、れっきとした海保一族の人間であるが、その名は殆ど知られていない。

 有能な妖魔士を多く出してきた海保一族において、あまりに才能がなく、「出来損ないの次男坊」と不名誉な綽名アダナをつけられた。

 十七歳で実家を飛び出し、十年後の大災害の後で妖魔士に戻った。その十年間、何をしていたかはわからない。


「さぁ、座って。今、冷たい飲み物を持ってこさせるから」


 紫苑は一帆を客間に案内して、座布団を勧めた。


「久しぶりだね、一帆君。半年ぶりかな?」

「そう記憶しています」


 一帆は紫苑の顔を見る。笑っているが、どこか薄ら寒い印象を与える笑みだった。

 紫苑のことを知っている人間は、口を揃えて「どこか好きになれない」と言う。ある十妖老は紫苑のことを「性格が破綻していて、人間と会話するように出来ていない」とまで評した。


「俺は、君には感謝してるんだよ。青也と仲良くしてくれるしね」

「まぁ、小さい頃からの付き合いですから」

「そうだねぇ。兄貴が生きていた頃からの」


 紫苑は右膝を庇うようにしながら、腰を下ろした。曲がり切らない右足は中途半端に前方に投げ出されたままだった。

 膝が半分以上千切れる大怪我と、その際に埋め込んだ人工関節のためだと、一帆は知っている。東都には古傷を抱えて生きる者が多い。


「で、青也を何処に向かわせたの?」


 緩やかな調子で投げかけられた疑問符に、一帆は用意していた言葉を返す。


「知り合いの老人のところです」

「奥多摩街道にある茜ミサキに住む老人?」


 一帆の語尾に被せるように放たれた言葉は、嘲笑に似た響きを持っていた。


「……御存知でしたか」

「俺ね、君には感謝してるよ」


 紫苑は煙草の箱を取り出すと、一本口に咥えた。


「親子揃って海保の人間を利用しようとする、わかりやすさがあるからね」

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