8.天神草の秘密

「あの森には、かつて「天神草」という薬草が生えていました。記憶障害の治療に用いられていたもので、摂取するとその脳内のシナプスから記憶を読み取り、蓄積していく習性を持っていました」

「それが大量に生えているってこと?」

「いいえ、草はもう生えていません。十二年前の事件で薬草は燃え尽き、その灰を地面が吸い込みました。要するに摂取したんです。そのため、その土地は記憶を蓄積してしまった」


 一帆は出された麦茶で口を潤した。

 空調といえば、部屋の隅で怠惰な音を立てながら首を振る扇風機ぐらいで、互いの肌には汗が浮かんでいる。


「俺は天神草の事は知らなかった。父の残した研究ノートを見て、その草のことを知りました。欲しくなって、ある妖魔士に頼んで、土を採取して貰おうとした」

「それでどうしたの?」

「彼は正気を失って戻ってきました。土地の記憶に負けてしまったんです」

「そんな危険なところに、青也を向かわせたんだ」


 紫苑は煙草を灰皿で揉み消すと、すぐに次を口に咥えた。チェーンスモーカーである男には、煙草の余韻を楽しむという習慣はない。


「あの土地が吸い込んでしまったのは、灼龍事件の記憶です。あの時、青也はまだ六歳だった。それに」

「記憶にないから良いと?」


 一帆は言いかけた言葉を飲み込んだ。紫苑の目には何の感情もない。責めているわけでもなければ、怒りを堪えているわけでもなく、ただ一帆の話を聞いているだけのように見えた。


「君が言う通り、青也は六歳の頃の記憶が殆どない。死にかけた恐怖で、全て消えてしまったんだろう。あの子にあるのは、三日間ボイラー室に閉じ込められて、死を待っていた記憶だけだ」


 けど、と紫苑は緩やかな口調で続ける。


「それを体験していない君が軽々しく触れて良い領域じゃない」

「ですが、放置するには危険すぎました。ある程度の能力を持つ妖魔士達は、灼龍事件を体験している。なら少しでも危険性が低い、若い妖魔士を使うしかない」

「たかが記憶に、何をそんなに必死になるの? 放っておいてもいいじゃないか。夢見る者を無理に叩き起こすことはない」


 一帆は紫苑の言葉に反論しようとして、しかしその能面のような表情を見ると目を逸らした。


「わかっているんですね」

「昔、君の父親に似たような案件をだまし討ちで手伝わされてね。ただの記憶が幾人もの人を憔悴させるわけはない。恐らくその記憶に取り込まれた者は、あの事件の再現に付き合わされる」


 十二年前に起きた灼龍事件では、多くのマシラが町に溢れかえり、人々を襲い、その血肉を食らった。

 あまりに多くのマシラを前に、妖魔士ですら殆ど手出しが出来なかった。


「今頃、あの子はマシラを相手にしているんだろう。十二年前に多くの人々を殺したマシラを。そしてそれを倒した後に現れるのは……」

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