2.阿波の國の妖魔士
木を中心として半径百メートルのバリケートが作成されていた。看板とロープで作られた、非常に簡易的なものであったが、妖魔士達が目を光らせているため、それ以上中に入ろうとする野次馬もいない。
天気が雨であることも幸いしてか、野次馬自体の数も少なめであり、またいくら眺めていても木が微動だにしないことから、見物に来てもすぐに去ってしまうものが殆どだった。
木の根元には数年前に倒産した会社の廃ビルがあったが、それは半分以上が木に押しつぶされて無残な状態となっている。
木の周囲は百メートル以上はありそうで、それが真っ直ぐに天に向かって伸びている様は、雨とも相まって退廃的な美しさがあった。
「ヒヒッ、いいねいいね。ゲームの世界にでも出てきそうな光景だ」
木の根元で、一人の男が愉快そうに笑みを零す。
年の頃は四十前後、ワックスで逆立てた髪はオレンジ色と緑色のツートンに染められている。両耳にはその縁を埋め尽くすほどのピアスが開いている他、首から覗くトライバルのタトゥーなどもあって、どう贔屓目に見ても普通の大人には思えない。
だが、右手に持った和弓と妖魔札が、その男の身分を示していた。
「でも、こういう面白そうなのがあると、あの野良鴉が来ちゃうんだよなぁ」
その呟きを裏付けるかのように、男の背後から一人の少年が声を掛ける。
「あれ? オッサン、なんで此処にいんの?」
「ほら来た。お前こそ、なんで此処にいるんだ。管轄が違うだろ」
「俺は見物に来ただけだよ。オッサンこそ、何で? そもそも東都の人間ですらねぇじゃん」
「あー……」
男は左手に持った傘を、手持無沙汰に何度か回す。何処かのコンビニで買ったらしいビニール傘は、まだ新品の状態だった。
「
「雪正統帥、こっち来てんの? 最近会ってねぇけど、元気?」
「元気なんじゃねぇの。あいつの体調なんか知るか」
男は吐き捨てるように言った。
東白扇は十妖老の一つであるが、その代表は統帥ではなく一門下生の宗雪と定められていた。
「どうせ今頃、雨が嫌になってホテルに引きこもってるだろうよ」
「だ、誰がひ、引きこもってるだと」
吃音の強い言葉が宗雪の言葉を遮った。宗雪は驚いた様子もなく、その男の方に顔を向ける。
「あぁ、やっぱり「来ると思った」。俺としては偶にはこの予想が外れてほしいと思ってるんだけどな」
「し、知るか。だ、大体、護衛として連れて来たのに、か、勝手に動き回るとは何事だ」
青也もよく知っている統帥の一人であるが、殆ど表舞台には顔を出さない。
しかし、普段の動向とは別として、その男は雨の中でも目立つ銀髪をしていた。本家筋の白扇流の人間も銀髪をしているが、その分家筋である東白扇は若干赤みがかっている。
髪を染めてしまっている宗雪も、地毛はその色であることを青也は知っていた。ピアスや刺青、雰囲気の違いなどはあるが、雪正と宗雪は瓜二つの風貌をしており、双子と言われても信じられる。
「一人でどうにかしろ、統帥なんだから。四十にもなって護衛抜きじゃ東都も歩けないとか、ガキみてぇなこと抜かすなよ」
「う、煩い。私に指図す、するな」
「はいはい、本妻の子に妾の子は逆らいませんよーっと」
異母弟のわざとらしい言葉に、雪正はこめかみを引きつらせる。しかし、諦めたように溜息をつくと、青也の方に視線を向けた。
「裏青蓮院、ご、ご機嫌いかがですか」
「おかげさまで。こっち来るなら事前に連絡してくれればよかったのに」
「急だったものですから、れ、連絡する暇がなく」
宗雪が絡まない時の雪正は非常に温厚な男だった。
周囲の人間曰く、十二年前に宗雪が流派の代表として選ばれてから、その諍いは続いているという話だったが、それ以前のことは誰も知らない。
ただ当時の十妖老が、二人の才能を見比べて「雪正では話にならない」と切り捨てた話は、統帥達の間では有名だった。
「か、傘は?」
「丁度いい雨だったし、そのまま歩いてきた。なぁ、この木凄いよな。どう思う?」
青也は早速と言わんばかりに、巨木を指さした。雪正は目を細めて、木の方に視線を向ける。雨の中でその巨木は、濡れた木肌を堂々と晒し、自分がそこにいるのは当然だと言わんばかりだった。
「雪正統帥、こういうの得意だろ?」
「と、得意というほどのものではありませんが……。でも、そうですね。お、恐らくこれは……」
「マシラの巣」
宗雪が横から台詞を攫った。
「大型マシラの中には、その幼体を保護するために自然物を模した巣を作ることがある。恐らく元々は廃ビルの中にマシラの幼体があり、それを保護する木があった。それが雨で急成長したんだろうよ」
「ひ、人の台詞を取るな」
「ちんたら喋ってんのがいけねぇんだろ。それとも俺の説明、何か間違ってるか?」
凄むような目つきで宗雪が雪正に問う。雪正はそれに気圧されて視線を逸らしてしまった。
「ま、間違ってはいない」
「じゃあいいじゃねぇか。でもこんなデカイ巣が東都に出現するのは珍しいな。出来れば、木の一部を持ち帰って調べたいところだ」
「俺も気になる。あの木って登っちゃダメなのかな?」
「人の管轄で好き勝手するのは問題だろ。特にお前の場合は」
宗雪は苦笑いしながら言ったが、不意に何かに気付いたように雪正の方を見る。雪正は何も言葉を発していなかったし、その場から動いてもいなかったが、相手が急に振り返ったことに何の疑問も抱いていない様子だった。
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