53

 最終周の半分に差し掛かったところで、ついに先頭が入れ替わった。

 『ノッティーユ』である。

 〝蒼の稲妻〟として名を馳せているゲルハルトも、最上位ギルドの三人を相手にするには、いささか魔力が不足していた。


 引き離される彼らの背中を見ながら、ゲルハルトは、くそっ、と嘆く。


 だが、


『諦めるのはまだや! 一好機ワンチャンあるでっ!!』


 後ろから上がってきたジノたちに拾われる。


『おめえら、なんでっ!?』

『説明している暇はありませんわ』


 セーラが後ろのアリスに催促する。


『ゲルハルト』

『なんだっ!? まさかここで求婚の返事かっ!?』

『それはないわ。でも力を貸して。お願い』

『任せろ。で、俺様は何をしたらいいんだ?』


 かぶせ気味に了承するゲルハルトにエイブラハムが苦笑する。


『俺らで〝ほうき星〟を牽くんや』

『なんだとっ……!? いやしかし、それしか選択肢はないか……』


 反論しかけたゲルハルトだったが、どこか得心した様子で独りごち、アリスの前に割って入る。


『具体的な作戦はあるのか?』

『ない。六人がかりで〝ほうき星〟と〝飛箒王〟の一騎打ちに持ち込ませるんや』

『それは危険だ。やつら、何か仕込んでやがるぞ。気づかなかったか?』


「僕もそれは感じました。どこか余裕があるというか……」

『余裕?』


 聞き返してくるアリスに、ジノは「ええ」と頷く。


『おおかた、手を出してはならないモノに手を出したのでしょう? それくらい想像できますわ』

『あ~、やっぱり〝ノッティーユ〟ってクロだったのね』

『最低』


 風除かぜよけのバネッサとセルマが嘆息する。


『そないな奴らをのさばらしとくんは、後の競箒界のためにも、ようないってことやな』

『けっ、その悪者の犬に成り下がったくせによく言うぜ』

『だから、これから〝飼い犬に噛まれる〟っちゅうことをしっかり教えに行くんや!』

『ふん、勝手に吠えてろ。とにかく、奴らが仕掛けてきたら、俺様に任せろ』

『よう言うわ! むっちゃへばってるやないか』


 エイブラハムの指摘するとおり、先ほどまで『ノッティーユ』を相手にしていたゲルハルトは、少しふらついている。余力がないのは明らかだ。

 しかし、ゲルハルトは親指を立ててみせる。


『奥の手のというモノは最後まで取っておくものだ』


 おそらくリュマの言っていた隠し球とやらなのだろう。

 彼もまだ諦めていない。ジノは確信する。


『時間がないわ。そろそろ仕掛けましょう』


 競箒レースも残すところ三分の一を目前にして、アリスが前方を指す。

 ちょうど五箒身ごそうしんほど先の『ノッティーユ』は、右の曲路へと姿を消していく。


『んじゃ、遅れんじゃないわよ~!』


 バネッサが加速した。

 曲路カーブの手前は減速するのが定石であるが、彼女は速度をさらに上げる。

 高等技術の一つである高速曲箒ハイスピード・コーナリングは、学生時代からの十八番である。


 ジノは懐かしいな、と思いつつも、難なく付いていくアリスたちに離されまいと集中する。


 曲路を抜けると、建物の七階分に相当する、やや勾配のきつい坂に突入する。

 差は、まだ五箒身のまま、『ノッティーユ』は登りきっていた。


『セルマ!』

『ええ』


 速度を維持したまま、坂の麓に辿り着くバネッサの前にセルマが出る。

 接触寸前のギリギリの距離にだ。


『危ない!』

「いや、大丈夫です」


 叫んだアリスを間髪入れずにジノが宥める。


「これも彼女たちの十八番なんです」


 よく見ると、セルマの背中をバネッサが押している。


『いっけぇええっ!!』


 バネッサは気合いとともにセルマを押し出した。

 セルマは爆発的な加速力で坂を登り切る。


 これは弩弓バリスタというもので、同じギルドの仲間同士ならば、手を貸してもかまわないという競箒規則を逆手に取って編み出された、変則的な飛箒法ひそうほうである。


『おお、ジブンら新人のくせに、渋い技もっとるやんけ!』


 にわかに興奮するエイブラハムを尻目に、セーラが首を傾げる。


『でも、彼女だけ行かせて大丈夫かしら?』


 弩弓は前の者を先に行かせるための奇策なので、後ろでジノを温存する意味がなくなる。


『心配ないわ! セルマは足止めが得意なのよ! そうでしょ、ジノ』

「うん」


 頷いてみたものの、一抹の不安を覚える。

 お互い学院を卒業し、飛箒士になり、それなりに力を付けたであろうが、相手は『ノッティーユ』である。足止めも不発になるのではないか。


 ジノの予感は半分当たり、半分はずれた。

 坂を登り切ったところで視界に入ったのは、ロメオと競り合うセルマと、八箒身ほど差を広げ、先を行くウスターシュとアランであった。


『あかん! 交代や!』

『もとよりそのつもりよ! ジノ、あんた絶対勝ちなさいよっ!!』

「うん! ありがとうっ! バネッサ、セルマ!」


 有言実行――ロメオを抑えにかかったセルマと、彼女に加勢するため、〝鎖〟を離れたバネッサの気持ちを無駄にしてはならない。

 ジノは、風除けがエイブラハムに代わったことで、速度が増した〝鎖〟の最後尾で唇を噛みしめる。


『向こうは一枚に対して、こっちは四枚や! これで負けたら大恥かくでっ!』


 鼓舞するエイブラハムの言ったとおり、こちらが補佐飛箒士アシストで数的に有利だ。

 しかし、差は思ったほど縮まらない。

 下りながらの左への曲路は、下っている分、加速しやすいはずだが、まだ七箒身の開きがある。


『おい、お前こそへばってんじゃねえのかっ!?』

『ちゃうねん! 俺は遅効型スロースターターやねんっ! ここから本気だすんやっ!!』

『強がりはおよしなさい。もうすでに全開でしょう』


 ここでセーラがエイブラハムの前に出た。


『下がれや、セーラ! 俺はまだやれるわ!』

『空騎士と呼ばれる者が見苦しくてよ!』

『せやかて、まだ借りを返してへん!』

『それは彼らにまかせましょう。わたくしも、もう持ちませんもの』


 ブラフではなく虚勢だったのだ。

 共箒という名の隷属で、二人の限界は目前である。


 『ノッティーユ』のやり口が汚い。とてつもなく大きな後ろ盾があるとはいえ、常勝無敗を維持するためなら、どんなことをしても許されるのか。


 そんなのは間違っている。ジノは奥歯を噛みしめた。


『この下りを出たら、わたくしたちは離脱します』


 壁面スレスレの箒路コースを取りながらも、最後の加速をみせるセーラ。


『だから、ジノさん』

「は、はい」

『わたくしたちの分まで、ギッタンギッタンにやってくださいまし!』

「はい!」


 ジノが力強く返事をすると、セーラとエイブラハムが〝鎖〟から外れた。


『ええか、ほうき星っ!! 負けたら、そのキトリは俺がもらうでっ!!』

「ええっ!?」

『冗談やっ!! あと、〝風詠み〟には気ぃつけるんや! わかったなっ!』


 口早に告げると、エイブラハムはセーラとともに遙か後方へ遠ざかっていった。


『ち、だらしねえな、と言いたいところだが、俺様も似たようなもんか……』


 風除けになったゲルハルトが苦笑しながら、波打つ経路を牽く。

 『ノッティーユ』の二人とは、未だ六箒身ほど間があいている。


『本当は飛箒王を相手にかましてやりたかったんだが、しょうがねえ。おい、二人ともよく聞け。今から俺様が〝ノッティーユ〟のところまで送り届けてやる。そこからは自分たちでどうにかしろ』

『本当に追いつけるしら?』


 終着点ゴールまで、あと三分の一を切った。

 アリスの声色にも、少々不安が混じる。


『心配するな。俺様は約束は守る男だ。それが惚れた相手なら、なおさらにな』

『そこは諦めてほしいのだけれど』

『否! 俺様は諦めの悪い男でもある! とにかく死ぬ気で付いて来い!』


 断言するゲルハルトは寝そべるように上体を柄にくっつけた。

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