56

 バレ・ド・リュシュテリアが終わった夜。


 例年、聖地ルオズはお祭り騒ぎになるのが、今年は特に盛大であった。

 『アマーリオ』の大逆転優勝と、十数年ぶりとなる新たな飛箒王ひそうおうの誕生である。これを祝わずにいられるものか。


 全ての酒場は満員御礼。

 入りきれなかった者たちが通りに溢れ、杯を片手に歌い踊る。

 老若男女問わず、飛箒王ジノを歓迎していた。


 その熱は、翌日になってもさめやらず、仕事が手に付かない者や、競箒レースを観戦するために取った休暇を伸ばそうとする者が続出した。


 しかし、そんな彼らに冷や水をあびせるモノが出回った。


 伝聞紙でんぶんしである。


 各紙は勝利した『アマーリオ』とジノを賞賛する一方で、競箒直後から目を覚まさず、意識不明の状態が続くジノについてを伝える。


 実力以上の力を出し切り、胸がすくような大競箒を制する者には、しばしば起こりうることではあるが、飛箒王にまで登り詰めた矢先である。あまりにも不憫でならない。


 心配する皆の意を汲んでか、大会本部も表彰式の延期を発表した。

 しかし、三日経ってもジノは回復せず、これ以上の延期は今後の競箒日程にも差し障る恐れがある、と本部は表彰式を決行することにした。


 表彰台に立ち、大金杯を授かった『アマーリオ』の面々は、ジノは必ず復活すると口を揃え、また来年戻ってくることを誓った。

 中でも、アリスの言葉は胸を打つものがあり、皆の涙を誘った。


 そうして、幕を閉じたバレ・ド・リュシュテリア。

 ジノが顛末を知ったのは、七日後の朝であった。


 様子を見に来たアリスが、病室のベッドで目覚めたジノに気づき、皆を呼んだ。

 集まったのは『アマーリオ』だけではなく、しのぎを削り合った『ハインカーツ』や『オルコック』の主要人物、バネッサやセルマを筆頭とした、別ギルドに所属する同級生ら、またキトリやリーチャやミックたちの姿もあった。


「……そうだったんだ」


 抱擁、頭を撫でられたり、握手、といった祝福の嵐が過ぎ去ったあと、いまだベッドの上のジノは、目を丸くした。


 まるで実感がわかない。


 皆が持ち寄った、ベッドからはみ出さんばかりに置かれた伝聞紙の一面に、自分の名前がデカデカと載っているのも、ウーゴあたりが仕込んだドッキリにしか思えないのだ。


「いやいや、流石の俺もそこまで非常識じゃないぜ」


 訝しむジノの視線を受け、ウーゴが肩をすくめると居合わせた者たちがドッと沸いた。


 おさまったところでソルドが進み出る。


「今後の予定なんだが、昼すぎに記者会見を行い、明日には出立する」


 毎年、優勝ギルドは記者会見を行う。

 普通に過ごしていたら、一生入ることもない、国際記者会館に招かれるのだ。

 パーティーさながら酒や食事も用意されるため、堅苦しさのない、とても華やかなものであることは、投影像放送で知っている。


「ジノの料理は通常の倍にするよう頼んでおいたからの。遠慮はいらんぞ?」


 オッジが髭を撫でながらニヤつくと、また沸いた。


「そんなに食べられませんよ……でも、そうか、ようやく帰れるんだ」


 月の半分にも満たない日数であったが、数年ぶりに本拠地に帰るような心持ちである。


「まてまて、タダで帰れるんと思っとるんかいな?」

「え?」


 エイブラハムに振り返ると、隣のセーラが嘆息した。


「優勝ギルドにはがありましてよ」


 お礼参りとは、応援してくれた人々のために、主要都市を巡り、パレードを行うことである。

 最低三十都市は回るため、日程的に競箒本番よりも過酷だと聞く。


「新飛箒王誕生だからな。今年は特に多いんじゃねえのか?」


 ま、俺様のおかげだがな、と付け加えるゲルハルトの言に、ジノだけでなく、ウーゴやアリスまでもがうんざりとする。


「こちとら疲れてんのに……早く家でゆっくりしたいぜ」

「そうね。休息も必要だけれど、練習もしたいわ」

「でた! お嬢の練習好き」


 付き合ってられないとウーゴが肩をすくめる。


「何を言っているの? 次は〝極点競箒〟でしょう?」


 今年から新設された南北の極点大陸での競箒は、環境の過酷さから最上位等級のS級競箒に格付けされ、関係者からは、既存の三大競箒に加え、四大競箒になるのではないかという話も聞く。


 バレ・ド・リュシュテリアの優勝に甘んじず、すでに先の競箒を見据えているアリスは、やっぱり凄いなとジノは感心する。


「またんかい! バレ・ド・リュシュテリアに勝ったんやから、そこはウチに譲ったらんかいっ!」

「いや『オルコック』は今までどおり、万年二位で我慢しとけ。極点競箒の初代王者は、俺様率いる『ハインカーツ』がいただく」 


 エイブラハムとゲルハルトが睨み合うと、『オルコック』と『ハインカーツ』の面々も物々しい雰囲気を醸し出した。


「わたしたちも忘れてもらっちゃ困るわ」

「ん。今度は勝つ」


 『ウルリーカ』のバネッサとセルマも闘志を剥き出しにすると、他の同級生たちも真剣みを帯びたな面持ちになる。


「まぁ、極点競箒は『ハインカーツ』がいただくけど、ここは病室よ。喧嘩はダメ。競箒で決着つけなさい」


 リュマが制止にかかる。

 それでも点された火は消えず、険悪な空気が漂う。


 どうにかしないと、とジノが考えていると、「ちょっといいかの?」とキトリが手にした杖を鳴らす。


「なんじゃ? 売りつけた箒の集金ならあとにせい」

「そんな野暮なことは言わんわい。じゃが、今後、お前さんからは倍の金額を徴収することにするわい」


 茶化したオッジをキッと睨んでから、キトリはアリスに向き直る。


「お前さん、これからも飛箒士を続ける気か?」


 その問いに、場が凍りついた。

 誰もが聞いてみたかったが、聞くにきけなかったという表情も読み取れる。


「え? どういうことです?」


 一人、置いてけぼりのジノが思わずキトリとアリスを交互に見る。


「そうか、坊主は知らんじゃったか……えーと……ああ、これじゃ。ほれ」


 ベッドの上に散らばった伝聞紙から、一部を手に取ったキトリがジノに手渡す。

 それはリュシュテリアの大半で発行されている大手の一般紙であった。


「〝ライングレード家、再興! 当主はブライアン・ライングレード〟……っ!?」


 ライングレード家の悲劇は、歴史モノとして舞台や書籍などにもなっており、ジノも知るところであるが、それがアリスと何の関係があるのかわからない。


 首を傾げるジノにキトリが助け船を出す。


「ブライアンは、その娘の兄なんじゃ」

「ええっ!?」


 ジノが振り向くと、アリスは少しだけ顔を曇らせる。


「事実よ」


 アリスはキトリに向き直る。


「でもアイリス・ライングレードの名は捨てたわ。私はアリス・マーベリック……それ以外の何者でもないわ」


「お前さんはそれでいいかもしれんが、兄が放ってはおかんのではないか?」

「それは……兄とはまだ話ができていなくて……」


 アリスが下を向いた。

 どうやらブライアンと連絡が取れていないらしい。


 するとリーチャが「あー」と話しずらそうに挙手する。


「その件についてなんだけど……」

「なんだ? 知っていることがあれば話せ」


 渋るリーチャをソルドが急かす。


「いや、話したいんだけど……これっていいの?」


 リーチャがミックに向き直る。


「たぶん大丈夫ですよ。というか、全容を話しといてくれって、さっき使いの人からことづかりました」

「それを早く言いなさいよ! えっと、本人からの伝言で〝妹アイリスの今後については、本人の自由意志に任せる〟だってさ」


 リーチャが親指を立てる。


 アリスが胸をなで下ろし、ジノとウーゴ、『アマーリオ』関係者が「よし!」と声を上げた。


「よかったですね、アリスさん」

「ええ、ありがとう」


 ジノが笑顔になると、アリスはうれしさのあまり顔を覆った。


「……というか、二流の専門紙記者のお前が、まさか貴族と知り合いだとはな」

「ちょっと、私のこと侮りすぎじゃないの……といいたいところだけど、ブライアンはあんたも知っている人よ」

「は?」


 堅物で知られるソルドの呆気にとられた姿をジノは初めて見る。


「誰なんだ?」

「チャーリーよ」


 ソルドのみならず、面識ある『アマーリオ』の皆が驚いた。


「明日の朝刊を読めばわかるんだけど、特別に教えてあげるわ」


 そう前置きしてリーチャは語り始めた。


 高級賭場に乗り込み、ウィルフォード御大と賭けをし、それに勝ったこと。

 商会を買収し、ウィルフォード一族を追放、経営は腹心であったブルーノに一任したこと。

 ウィルフォード家が所有していた旧ライングレード家の領地の一部を取り戻し、ウッドフィード政府に旧王家と貴族各家の象徴貴族としての復興を要請し、それが受理されたこと。


「……っと、まあそういうわけ」


 まるで一競箒終えたとばかりに得意気なリーチャであるが、詰まる部分が多々あり、その殆どをミックが解説した。


「賭場を占拠しておとがめ無しってのはどうかと思うんだけどね」

投影像物語シネマの撮影ってことにしちゃったみたいですね」


 リーチャとミックが苦笑し合うが、ミックがジノを見る。


「あ、それと、ジノ君」

「え、はい?」

「キミに手紙を預かってるよ」 


 ミックは懐から丸められた羊皮紙を取り出し、手渡してくる。

 封蝋は羽ばたく鷲――大貴族ソルダーノ家のものであった。

 羊皮紙を広げるとジノは静かに読み始める。





 拝啓。

 いきなりの手紙で君は戸惑っているかもしれない。

 でも君が懸命に飛箒する姿を投影像ビジョンで見て、いてもたってもいられなくなり、こうしてペンをとらせてもらった。


 私は飛箒士が嫌いだった。

 耳にするだけで可愛い妹を奪い去ってしまったあの男をどうしても思い出してしまうからだ。

 だから我が家では競箒を観ることを一切禁じていた。

 だが今回のバレ・ド・リュシュテリアだけは観させてもらった。


 私はずっと探していたのだ。

 ニナが死んでしまったとは、とても信じられず、ありとあらゆる手を尽くして。

 辿り着くまで少々時間がかかってしまったが、まさか我がソルダーノ家で〝侍女王〟の異名を馳せたナターシャの姓を名乗っているとは、我が妹も爪が甘いなと思ったよ。


 その息子が飛箒士になっているとは、いやはや、血は争えないものだ。

 本当なら、君たち母子をすぐにでも迎えに行きたかったところだが、私の娘に怒られてしまったよ。

 こんなにすごい飛箒士を、見栄と自尊心に満ちたいやらしい世界につれていかないで、と。


 娘は私と違って競箒が好きらしい。

 言いつけを破ってこっそりと競箒を観ていたそうだ。

 特にお気に入りの飛箒士は〝ほうき星〟だそうで、彼の素晴らしさを教えてやるから一緒に観ろと誘われた。


 最初は嫌だったが、観ていくうちにのめり込んでいくのが自分でもわかったよ。

 しまいには、君が〝ほうき星〟で最後の直線を翔けるときは、大声で声援を送るようになった。


 魔法も使えず、想像することしかできないが、君はとても厳しい世界に生きているのだな。

 その一方で、身分も年齢も性別も関係なく、多くの人々を感動させている。


 そんな大それた人物を迎え入れるには、我がソルダーノ家は狭すぎると思い直したよ。


 けれど、このまま何もないのは少々寂しい。

 休暇が取れたら、一度、ニナと一緒に遊びに来て欲しい。

 美味しい料理とお茶を用意しておくと約束しよう。

 会える日を楽しみに。

  

 君の叔父、フェルナンド・ソルダーノより


 追伸

 知っていると思うが、いとこ同士なら婚姻できるからな

 




 読み終えたジノは、しばし固まってしまった。


「……なんて書いてあったのよ?」


 内容が気になったバネッサが羊皮紙を取り上げ、黙読してジノと同じように固まった。


「なんや? どうしたんや?」


 次にエイブラハムが読み、回し読みする形でフェルナンドの手紙の内容は伝わる。


「……ジ、ジノ!」


 それまでずっと黙っていたモニカが進み出て、袖から伝心用の水晶を取り出した。


「思えばまだ連絡先を交換してなかったな。これからは個人的に連絡をとりたい。ひいては、ソルダーノ家に行くときは随伴をだな……」


「待ちなさいよ! それはわたしの役目でしょっ!? ほら、ジノ! これがわたしの新しい伝心暗号よ! さっさと登録しなさい!」


「バネッサのはいらない。ジノ、私だけ登録するといい」


「礼儀作法に疎い方々よりも、わたくしを連れて行くほうがよろしくてよ。ささ、早く交換しましょう」


「テッテも! 星の人、交換!」


「抜け駆けはズルいわ~! アタシもオ・ネ・ガ・イ!」


「じゃ、私とも交換しようよ、後輩クン!」


「リーチャ、あなたはわきまえなさいよ……私はいいわよね? 『ハインカーツ』に来たかったら何時でも掛けてきてね」


 一人、同性の者もおり、打算を含む者もいたが、その場にいた女子は軒並み水晶を出す。


 だが、伝心暗号を登録することはかなわなかった。


 なぜなら、


「一人でも登録したら……わかっているわよね?」


 アリスが笑顔で怒気を孕んでいたからだ。


 しかし、ジノはそれを無視して一番手前にあったモニカの水晶を手に取る。


「ジ~ノ~?」

「いや、そうじゃなくて……」


 ジノの顔は蒼白になっていた。


「魔力が……読み取れないんです……」


 魔力には個人のクセがあり、魔導具からも読み取ることができる。

 ただし、魔法使いならば、という前提はあるが。


「え?」

「おい、魔法医を呼べ! 早く!」


 首を傾げるアリスが理解するよりも早く、ソルドが扉近くにいた『アマーリオ』関係者に声を飛ばす。


 しばらくすると、魔法医が助手を引き連れて飛んできた。


「どいて! どいて!」


 大会本部の魔法医ではなく、間借りした病院の魔法医であったが、手慣れた仕草でジノを診はじめた。


 俄に緊迫した空気が流れる。


 そして、


「……残念ながら、消魔病です」


 無慈悲に告げた。


「……そんな……そんなことって……」


 ジノは自分の両手を見る。


 昨日と何もかわらない手のひら。

 しかし、魔力は微塵も感じられなかった。


「違ったんじゃなかったのか……〝疑い〟で済んだんじゃなかったのか……」


 自然とあふれ出る涙で視界が歪む。


「あんまりじゃないかぁああああああああああああっ!」


 そこから止まらなかった。堰を切ったように涙が手のひらに落ちる。


 泣き叫ぶ声が病室中に響き渡り、魔法医と助手たちはいそいそと病室をあとにする。


 一人にしておこう。


 ソルドが皆に目で合図し、魔法医たちに続き、出ていこうとしたそのときであった。


「諦めるのはまだ早いぞ」


 ブライアンとレオナルド、そして二人の酒臭さに耐えられないマイヤが、鼻をつまみながら入って来たのであった。

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