幕間

 湖に浮かぶ島の町――イャリオンと名付けられたその町は、エルフ語で「憩い」を意味し、トゥルムンの森の調査および開拓の拠点として栄えた。

 現在は森の保全と観光地として機能している。


 そのイァリオンは夜の帳が下り、バレ・ド・リュシュテリア一色に染まっていた。

 競箒を終えた飛箒士や関係者、観客や記者などで溢れ返り、町の酒場はどこも満席であった。

 そんな喧噪をアリスは巨木の枝に腰掛け、見下ろしていた。


「……」


 しかし、頭の中はダーニャを抜き去ったジノの背中でいっぱいだった。


 学生王者の一人であるが、彼は補佐飛箒士専門だったはずだ。

 それが主力飛箒士顔負けの飛箒を見せたのだ。

 いや、アレはそれ以上だった。


「やっぱり……」


 彼はあの人――自分を飛箒士へと誘ったカルロの息子なのだ。


 幼い頃、初めて見た競箒の最終局面で、カルロがやってのけた直線の飛箒は、今も語り草となっているほど凄まじかった。

 表彰台の一番上で仲間たちと祝杯を浴びるカルロは、満天の夜空よりも輝いていた。


 ――いいな。私もあんな風になりたい。


 カルロの姿は、当時、訳あって心底落ち込んでいたアリスに希望を与えた。

 しかし、それからすぐにカルロは他界した。

 病死と公表されたが、いくつか辻褄の合わない点があって、様々な憶測が飛び交った。

 だが、時の流れとともに彼の死は忘れられ、今も真相は解明されないままである。


 また彼が所属していた『ピッカルーガ』も、死後ほどなくして解散し、アリスは再び落ち込んだが、『ピッカルーガ』の数人がギルドを起ち上げた。


 ――亡きカルロの意志を継ぎ、バレ・ド・リュシュテリアを制す。


 ソルドが記者会見で言い放った言葉に、アリスの心は燃え上がった。

 それから一生懸命勉学に励み、魔法の素質も認められたこともあって、魔導学院へと進み、晴れて飛箒士となり、『アマーリオ』の一員となった。


 そして二年後、ジノが来た。

 姓は異なるし、直接本人に問いただしたわけではない。顔だってそんなに似ていない。

 飛箒技術もまだまだ拙く、危なっかしい。


 それでも、あの飛箒を見たら、同じ血が流れていると確信させられる。

 無論、カルロのそれには遠く及ばないモノであるが、自在に繰り出せるようになれば、飛箒王に勝つことも夢じゃない。


 新たな若き飛箒王の誕生。

 記者たちは挙って彼について書き立て、様々な人物が彼の元へやってくるだろう。


 それは婦女子も例外ではない。

 小柄で童顔、性格も少し頼りないところがあるが、飛箒王ならば目を瞑っても余りある許容範囲だ。


 いや、逆に母性をくすぐられ、年上から絶大な人気を誇る、などということにもなりかねない。

 それはだめだ。自分くらいの年頃ならまだしも、行き遅れすぎた者は手段を選ばない。財力や培った経験と人脈を最大限に活かし、彼を手籠めにしてしまうに違いない。


 ならば、ここはやはり――。


「って、私ったら、なにを考えているのかしら」


 想像があらぬ方向へと進み、頬がかぁっとなるのがわかった。

 パシパシと自分の両頬を打ったアリスは、明日に備えて宿舎に戻ろうと箒を取り出した。


「おい」


 と、そこで目の前にふわりと箒でやって来た人物が、目を丸くしていた。

 銀髪に赤い瞳、高価ではないが身なりは整っている。


「……兄様っ!?」

「おお! やはりか!」


 兄――ブライアンはすぐに枝に飛び乗り、アリスを抱きしめる。


「よかった。生きていたのだな……」

「はい。兄様もお元気そうで何よりです」


 しばらく抱擁していた二人は、どちらからともなく離れた。


「しかし、このようなところで会うとは……お前もバレ・ド・リュシュテリアを見物しに来たのか?」

「いえ、出箒者として参加しております……」

「なんだとっ!?」


 ブライアンはアリスの肩を掴んだ。


「正気かっ!?」

「おっしゃりたいことは重々承知しております……ですが、私はすでにアイリスの名を捨てた身です。もう戻れませんし、戻るつもりはありません」

「そうか……」


「兄様の方は……あまり芳しくないようですね」

「……何故、わかる?」

「ご存じですか? 昔から兄様は、お困りのときには決まって眉をハの字になさるのですよ」


 指摘され、ブライアンが眉尻を指で上げ始める。


「……兄様」

「なんだ?」

「もういいじゃありませんか。兄様が立ち上がれば、無用な血が流れることになりますし、兄様だって……無事ではいられないかもしれません。私のように――」

「だめだ!」


 ブライアンが一喝し、アリスはびくっとなる。


「いや、すまない。だが、私がことを成さなければ父上たちが浮かばれん……」


 ブライアンは堪えるように俯き、アリスも振り返りたくない過去が頭をよぎり、視線を落とす。

 するとブライアンが思い出したかのように再び顔を上げた。


「ん? お前、さっきバレ・ド・リュシュテリアに出ていると言っていたな?」

「はい」

「どこのギルドだ?」

「『アマーリオ』ですが……?」

「『アマーリオ』だとっ!? では、お前があの〝銀嶺の魔女〟なのかっ!?」

「その二つ名はあまり好きではないのですけれど……はい、そうです」

「そうかっ!」


 ブライアンは笑いながらアリスの肩をバシバシと叩く。


「ちょっと、兄様! 痛いですわ!」

「すまん、すまん。いや、進めていた計画よりも確実な方法を思いついてな」

「え?」

「協力してくれ。なに、別にお前の手を汚せと言ってるわけじゃない。ただ競箒で勝ってくれればいいだけの話だ」

「……どういうことです?」

「手順を追って話すとだな――」


 ブライアンが手招きするので、アリスは顔を寄せた。


 この思わぬ再会は、さらに思わぬ事態を招くことになるのであった。

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