競箒レースは終盤に差し掛かろうとしていたが、『アマーリオ』はダーニャの妨害から抜け出せずにいた。


『くそっ! こいつ、こんなに上手かったかっ!?』


 一番手になったウーゴの苛立ちも頂点に達している。

 先ほどから何度も揺さぶりをかけ、抜きにかかろうとするが、必ず頭を抑えてくるのだ。


『いや、技術というよりは、魔力でねじ伏せておるようじゃな』

『ええ』


 オッジの推察にアリスが頷く。

 頭を抑えてくるものの、飛箒の癖は以前のままであるし、少し無駄な動きも多いように思える。

 確かに、足りない飛箒技術を有り余る魔力で補っている、という方がしっくりくる。


『ってこたぁ、あの噂は本当なのかっ?』

『おそらくのう』


 オッジがやや悲しげにダーニャを見る。

 彼女の速度は衰えるどころかやや増しているようにも思える。


『チクってもいいが、このまま負けちまったら、俺たちの沽券に関わるってもんだっ! お嬢、ぜってぇ、ブチ抜いてくれっ!』


 今日の競箒の時間計測タイム・アタック区間は、奇しくも終着点ゴールまでの五百である。


 勝負するのは、言うまでもなくアリスだ。

 しかし、当のアリスの返事は予想だにしないものであった。


『謹んで辞退するわ』

『はぁっ!? なんでだよっ!? お嬢だって、こいつにはムカついてんだろっ!?』

『ええ』

『だったら、鼻っ柱をへし折ってやれよっ!?』

『その役目はジノに譲るわ』

「えっ!? 僕ですかっ!?」


 驚いてふらつき、倒木にぶつかりそうになったジノを振り返ることなく、アリスは首肯した。


「い、いや、待ってくださいよっ! どうして、僕なんですかっ!?」

『そうだぜっ! 主力飛箒士エースはお嬢だろうがっ!?』

『わしもジノでいいと思うがのう』


 アリスが答える前にオッジが口を開く。


『オジーまで何言ってやがんだっ!?』

『落ち着け、ウーゴ。アリスなら確実にダーニャに勝てるじゃろう。じゃが、それではジノを選んだ、わしら〝アマーリオ〟幹部が納得いかん』


「納得?」

『うむ。ジノ、お前さんの方がダーニャよりも優れていることを証明してやるんじゃ。でなければ、わしらは〝無能〟と後ろ指を指される』


 オッジの言い分はわかるが、そもそも、何故に自分が選ばれたのかを知りたいジノである。

 ダーニャに優る点など一つもない。

 それなのに、根拠もなく期待されては、いたずらに重圧が増すだけで応えがたい。


『だぁーっ! くそっ! わあったよっ!』


 ウーゴが柄に上体を密着させる。


『俺も二人に乗っかる! これでいいんだろっ!』

「そんなっ! ウーゴさんまでっ!?」

『うるせえっ! お前も男なら腹くくれっ! あと、負けたら許さねえからなっ!』


 ジノが煮え切らない態度を取った所為ではなく、時間計測区間が迫っていてのことだろう。

 ウーゴが飛び出す頃合いを見計らい始めると、アリスがジノの隣に来て、入れ替わるよう手話で指示してくる。

 ジノはそれに従い、最後尾に付けた。


 そしてウーゴが仕掛けるが、やはりダーニャが抑えにかかる。

 しかし、これは想定済みだ。


『オジーっ!』

『わかっとるわい』


 急かされたことで機嫌悪くなったオッジが、ウーゴとの〝チェイン〟を切り、左脇をすり抜けて前へ出る。

 続くアリスとジノ。

 ダーニャもすぐに追いかけ、オッジに並ぶ。


 と、同時に視界が開けた。

 そこは巨大な湖だった。

 空は依然として枝葉で覆れているものの、遙か上にあるため、木漏れ日が差し込んでいる。

 湖の中心には島があり、巨大な木を傘にした町が見える。

 そして、南側にある桟橋らしき先に〝終着点〟と書かれた横断幕が張られ、さらにその向こうに藁の塊が浮かんでいる。


『ゆけっ!』


 オッジの声にアリスが飛び出し、ジノも行く。


『バカね、逃がすわけないでしょっ!』


 ダーニャが外れたオッジを押しのけるようにして速度を上げてきた。

 やはり違法な魔力回復薬を使用しているのか、アリスまでもが並ばれる。

 だが、アリスは冷静だった。


『ジノ』

「は、はいっ!」

『直線の基本は覚えているかしら?』

「こんなときに、なにを……っ!?」


 そんなものは素人でもわかる。身を低くしてできるだけ風の抵抗を減らし、ありったけの魔力を魔芯に叩き込めばいいだけだ。

 しかし、アリスの答えは少し違っていた。


『念じるのよ。速く、速くって。そうしたら箒は必ず応えてくれるわ。さ、行って』


 アリスが宙返りをうつように後ろへ下がった。


 終着点までは、およそ二百五十。

 十分とは言えないが、やるしかない。


「いっ――」


 最早、柄にしがみつく体勢となったジノは、魔力を全開にした。

 爆発するかのように速くなるが、ダーニャを振り切ることはできない。


『待っていたわ、このときをっ!』


 横並びになる彼女はこちらを窺う余裕すらある。


『私は〝アマーリオ〟が好きだった……もちろん、練習はきつかったけど、みんないい人ばかりだった。やっと居場所を見つけたって思えた……』


 ダーニャは親の反対を押し切って飛箒士となったが、その勝ち気な性格が災いして馴染めず、ギルドを転々としていた。


『だから、私は頑張ったわ……今までの人生で最高に……でも、無駄だった……』


 ボコっと腕が膨れあがるダーニャの速度がさらに上がる。横並びだったジノはじわりじわりと離されていく。


『……あんたさえいなければっ! 私はまだ〝アマーリオ〟でいれたのにっ!』


 彼女の異様に盛り上がった背中が視界に入ってくる。


 結果、追い出してしまった形となり、心苦しくないといったら嘘になる。

 しかし、ジノにだって譲れない思いはある。


「――っけぇえええええええええええええええええええええええええええええええええっ!!」


 一瞬、意識が遠のきそうになりながら、ジノは残った魔力を振り絞り、再加速する。


 離された差が徐々に縮まるが、ダーニャも負けてはいない。不自然に体が巨大化しているのにもかかわらず、もう一段階速度を上げ、再び差をあけようとする。


 それにジノは食らいついていくが、残りの距離は百と少々。このままでは勝てない。


(速く、速く、速くっ!!)


 アリスが教えてくれたとおり、ジノはただただ念じた。

 だが、魔力はもう枯渇する寸前であり、ダーニャとの差さも覆せないままだ。


(速くっ、速くっ、速くっ、速くっ、速くっ、速くっ、速くっ!!)


 終着点の横断幕が眼前に迫る。


 その刹那。


 ジノの念に呼応するかのように、穂先にポッと光が弾ける。


 注意深く目を凝らしてなければ見えなかった光は、ジノを前へ前へと押しやる。


 そして二人は横断幕をくぐった。


 勢いを止めることが出来ず、藁の塊へと吸い込まれるように突き刺さったジノ。

 そしてダーニャは、そのまま藁を突き破り、森の奥へと消える。

 しばらくの間を置いて、ドーンという音とともに地鳴りがした。


「……いたた……」


 藁から身を乗り出すジノは痛みを堪え、桟橋の上に浮かぶ投影像ビジョンに目を向けた。


 先ほどの勝負が牛歩並の遅さで再度流されており、柄先ほどの僅かな差であったが、ジノが先に横断幕をくぐり抜ける姿が映し出されていた。

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