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 その後、救護の者たちが来るまでの間、ジノたちは追いついたアリスらとともに傷ついた兵の手当に当たった。


 貴族たちからは感謝され、また彼らの巧妙な誘惑をかわして、『ニールギルス』へと戻った。


 賊に襲われたことをソルドや大会側に報告することと、身の安全を考えてのことである。


「……そうか」


 あてがわれた部屋で報告を聞き終えたソルドは深々とため息を吐いた。


 この場にいるのはジノとアリス、そしてオッジとウーゴの『アマーリオ』の正規飛箒士レギュラーが揃っており、明日の競箒レースの打ち合わせもかねている。


「ジノ、アリス」

「は、はい!」

「はい」

 呼ばれ、ソファに座ったままのジノがシャンと背筋を伸ばし、隣のアリスが静かに姿勢を正す。


「お前たちは『アマーリオ』の要だ。明日以降もしっかり働いてもらわなければならない。今後、休息日は『ニールギルス』で待機してもらう。いいな?」

「はい!」

「……はい」


 元気よく答えるジノとは対象的にアリスの顔が曇る。

 その様子にオッジが苦笑した。


「まだ機会はあるじゃろうて」

「……」

「?」


 オッジの言う意味と、ムスッとなるアリスの気持ちがわからないジノは、二人を交互に見て首を傾げた。


 すると面白くなさそうにしていたウーゴがソルドに向き直る。


「襲ってきた連中への対策はどうすんだ? ジノの話だと砂漠の奴らってことで間違いないだろ」


 砂漠の奴ら、という単語で一同の顔が神妙になる。


 大陸西南には広大な砂漠地帯が広がっている。

 国はなく、大小様々な部族が住まうが、ほぼ全ての者がラムース教を信仰している。

 その戒律は厳しく、一神教であるがゆえに、他の宗教に対して冷酷であり、「ラムースを信じない者は人に非ず」という言葉はあまりにも有名だ。


「奴らは大陸西方人俺たちを……いや、他の連中だって人間じゃなく虫ケラ以下ぐらいにしかみてねえ。だから何をしたっていいと教えられてる。その上、暗殺者アサシンとくれば……」

「……また襲ってくる可能性が高い、ということか?」


 ソルドの問いにウーゴは静かに頷く。

 するとオッジが唸りながら首を捻る。


「じゃが、動機がわからんのう……ジノや、何か連中の恨みを買うようなことをしたか?」

「い、いいえ! 僕にはさっぱりで……」


 砂漠の者と関わったことなど一度もないし、これからもそのつもりだ。


「……とにかく用心することに越したことはない。ジノには、競箒以外で護衛を付けるよう手筈を整えておく。この話は以上だ」


 そう締めくくるとソルドは、おもむろに懐から水晶を取り出し、テーブルに置いた。


「ここからは明日の競箒について話をしよう」


 そして手を翳すと水晶から逆三角錐の小さな投影像ビジョンが浮かび、石造りの迷宮のような場所が映し出される。


「そうじゃった、次はムーテルビアの回廊じゃったか……!」


 オッジが右手で顔を上から下に撫でた。


 ムーテルビアの回廊は、かつてリュシュテリアを恐怖のどん底にたたき落とした魔王の居城とされていた所で、複雑に入り組んだ通路と、人間が通ると発動する罠が数多く仕掛けられている。

 先の長距離競箒ロング・ライドとは別の意味で難所である。


「見てわかるように、通路自体は高さも幅もそれなりにあるが、曲路は直角か、それに近い角度を呈している。最終経路も直線は短い」


 ソルドの解説に合わせて投影像も変わる。


「したがって、今回の主力飛箒士エースはアリスで行く。いいな?」


 ソルドの視線を受け、アリスはコクリと頷いた。


「明日も全力を尽くそう。では解散」


 ソルドが告げると、皆、おもむろに立ち上がり、部屋を後にしようとする。

 すると、外側から扉を叩く音が聞こえてきた。


「誰だ?」

「あたしだ!」


 ソルドに応じ、ズバンと乱暴に開いた扉から現われたのは、リーチャとミック、そして薄汚い格好の謎の男であった。


「っ!?」


 男の姿を見て、アリスが息を飲んだ。


「どうかしたんですか?」

「いえ、なんでもないわ……」


 アリスは言葉とは裏腹に、リーチャとミックに続き、近くまで歩み寄ってくる男を凝視した。



 ★★★



 同じ頃、『ニールギルス』内のアランにあてがわれた部屋でも『ノッティーユ』の主立った面々が膝を付き合わせていた。


「はぁ、計画は悉く失敗……どうするんですか、この落とし前は?」


 ウスターシュが中指で眼鏡の位置を戻しながら、アランを見る。


「だから俺は元々反対してただろう」

「〝飛箒士ひそうしなら競箒でケリをつける〟ですか? それができないから実行したんでしょうに」


 散々話し合って納得したはずだ、とウスターシュの目が鋭くなる。


「けっ、別にできないとは言ってない」

「確かに全盛期の貴方なら、あのようなぽっと出の新人など、寄せ付けることもなかったでしょう……ですが、貴方は衰えた。それは先日の競箒で確信しましたよ……」


 長年、共に競箒に挑んできた右腕のウスターシュが言うのだ。間違いないのだろう。


「ふん」


 それでも認めたくないアランは、そっぽ向くことでウスターシュの意見に抗ってみせる。


「すみません!」


 そこで勢いよく立ち上がったロメオが頭を垂れた。


「俺があのとき、確実にあいつを仕留めてさえいれば、こんなことには……」


 実はロメオが落箒したのはわざとである。

 危険を冒してまで後方に下がり、かつての仲間であった少年を、密かに持ち込んだ大蟻地獄で始末する予定だった。


「いいえ、ロメオ君。キミはよくやってくれましたよ」


 合流するための時間と距離を逆算すると、少年の死を見届ける暇はなかったし、その場に居合わせていては、立場上、助けなくてはならない。


「むしろ謝るのは我々のほうです。キミには級友に手をかけるという、大変心苦しい役目を押しつけてしまったのですから……ところでフレデリク」

「なんだ?」


「彼らの始末は済みましたか?」

「ああ、さっき終わったそうだ。叔父貴たちから連絡があった」

「それは上々……しかし、腕利きというから雇ったものの、あの体たらくとは……砂漠の一族も地に落ちましたね」


 ウスターシュは嘆息し、手元の羊皮紙に目を落とす。

 そこには少年――ジノ・クッペルの経歴がこと細やかに記されてあった。


「……本当に悪運は強いですね」


 あらかじめ、めぼしい相手を潰すよう指示していた『エルベリンデ』に端を発し、弱小ギルドの駒も、ロメオの大蟻地獄も、砂漠の一族による暗殺も、全ての魔の手から逃れたジノへ、逆に賞賛を送るかのようにウスターシュは薄く笑う。


「おい、まだやる気か?」

「当然です」


 気怠そうなアランへ、ウスターシュは愚問とばかりに苦笑する。


「我々は常勝無敗の『ノッティーユ』。少年少女たちの憧れであり、愛好家ファンたちの賛美を一身に受ける綺羅星スターギルドです。一番であることを義務づけられた存在なのです」


 ゆっくりと立ち上がったウスターシュは、自己陶酔するかのように大仰な手振りで続ける。


「しかし、ここにきて〝ほうき星〟という、我々の地位を脅かす存在が現われました。現状、〝ほうき星〟を出されたら最後、対抗する手段はありません。ならば、確実に出させない方向で策を講じるのは当然の帰結です」


 身を乗り出し、覗き込むように顔を近づけるウスターシュに、アランは鼻を鳴らした。


「俺は、その〝勝つためには何でもやる〟っつう姿勢が、やっぱり我慢ならねえ」

「散々、手を汚してきて、この期に及んで何を言っているんですか? アラン、貴方は腕だけではなく、頭も耄碌したんですか?」


「耄碌してねえよ。ただ俺は、もうズルして勝つのはゴメンだって言ってるだけだ」

「はっはっは!」


 ウスターシュは仰け反りながら一頻り笑うと、再び背を折り曲げてアランに顔を近づける。


「それこそ今更じゃないですか。負ければ全て失うのはわかっているでしょう? 貴方はまたに戻りたいんですか?」


 ロメオとフレデリクが眉をひそめた。


 アランは、ルバティア王国の王都の外れにあるスラム街で、仲間たちと盗みを働きながら食いつないでいた幼少期を公表していない。


「俺は、あのときとは違う!」

「そうですね。才能を認められ飛箒士となり、〝飛箒王ひそうおう〟にまで登り詰めました。でも今は下り坂です。先ほども言いましたが、衰えた貴方では〝ほうき星〟には勝てない」

「一対一ならな」


 アランはウスターシュを押しやるようにして立ち上がる。


「競箒っつうのはサシでやるもんじゃねえだろ。四人、いや戦術や援護なんかも含めて、ギルド全員の力を結集して戦うもんじゃねえのか」


「確かに『アマーリオ』と競る状況を作らせなければ、こちらに分があるでしょう……ですが、昨日のように、上位ギルドが共闘するとなると、勝ち目が薄くなります……一応、保険はかけさせていただきましたが」


 ウスターシュは嘆息した。


 先日、エイブラハムとゲルハルトが終着点ゴール直前で落箒したのは、彼らお抱えの箒職人を買収し、箒に負荷がかかり過ぎると折れてしまうよう、事前に細工させたためである。


「やはり、〝ほうき星〟は脅威です。早急に排除せねばなりません」

「その必要はないみたいですよ」


 ウスターシュに反論したのはブルーノだった。

 まるで暗殺者のように、気配すら感じさせず入室してきた彼は、薄く笑う。


「そりゃ、一体、どういう意味だ?」

「アラン。まず先日の非礼を詫びよう」


 そう言って、深々と一礼したブルーノは、席を譲ろうとしたロメオに首を横に振り、懐から取り出した羊皮紙をテーブルの上に広げた。


「……!? こ、これは……!?」

「……マジかっ!?」


 ウスターシュとアランはおろか、ロメオとフレデリクでさえ、我が目を疑う。


「見てのとおりだ。我が商会は、これまでと変わらず『ノッティーユ』を全力で支援していくことに決めた」


 二度、三度、繰り返し羊皮紙を読み返す四人にとって、『ウィルフォード商会』の意志であるブルーノの言葉は、追い風以外の何物でもなかった。

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