第五章 暗黒大陸

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 休息日があけて一〇日目。いよいよバレ・ド・リュシュテリアも終盤戦に突入する。


 俗に〝暗黒大陸〟と呼称されていた、この大陸東部は、かつて魔王が治めていた名残が色濃く残り、魔物も多く存在し、住まう民も少ない。


 その中枢であったムーテルビアの回廊は、飛箒ひそうするのに困難を極めた。

 通路を行けば、立ちはだかる壁のような〝死神の鎌〟が、左右から振り子のように横切る。

 そこを超えると、毒矢や炎などが降り注ぐ〝蜂の巣の間〟が待ち構え、通り過ぎると巨大な鉄球が後ろから迫ってくる。


 また岐路は無数にあり、間違えようものなら、床や壁、天井などに施された転移魔法陣によって開始地点まで戻される。

 そして無数の魔物、それも魔王直属の高位の者たちが行く手を阻むのだ。


 時間を追うごとに脱落者は増え、残り五〇〇名をきっていた。

 そんな中、ジノは『アマーリオ』の仲間たちとともに、先頭集団でしのぎを削っていた。


『ジノ、変われ!』

「はい!」


 経路となる通路の角を左に曲がりきったところで、風除けのウーゴが後方へ下がっていくのを横目に見ながら、ジノは『アマーリオ』の先頭に出た。


 右には『ノッティーユ』と『オルコック』が〝チェイン〟を組んで併箒し、左にはやや遅れて『ハインカーツ』が追ってくる。


 先の長距離競箒ロング・ライドと同じ組み合わせであるも、殆ど絡むことができなかったジノの心は躍る。

 実際、面と向かって話をした者もいるが、皆、その名が世界に轟く飛箒士ひそうしばかりだ。

 彼らと競うことができる状況は、新米飛箒士でなくとも頬が緩む。


 また『ノッティーユ』が間近にいるのは、別の意味で滾る。

 位置的に〝飛箒王ひそうおう〟アランの姿は視界に入っていないが、その圧迫感はビシビシと肌に伝わってくる。


(……っ!!)


 箒を握る手に思わず力が入ってしまう。


 このときジノは、ある決意をしていた。

 アランと競い、勝利することができたなら、父の死の真相を問いただす。

 実の息子である自分には、その権利はあるはずだ。


 しかしながら、ソルドの課した命令オーダー補佐飛箒士アシストである。

 主力飛箒士エースである彼と直接争う場面は、早々やってこないだろう。


 それでも万が一の可能性は捨てきれない。何らかの理由でアリスが勝負できないときは、自ら主力飛箒士を買って出るつもりだ。


(……って、何を考えているんだ! 僕は!)


 まるでアリスの不調を望んでいる自分にハッとして、ジノはがぶりを振った。


『どうしたんじゃ?』


 すかさず後ろのオッジが風除けを代わろうかとばかりに前に出てきたので、ジノは手話ハンドサインで制止させる。


「いえ、なんでもありません」

『そうか? こちらはいつでも準備はできておるから、代わるときはすぐに言うんじゃぞ?』

「はい」


 百戦錬磨のオッジの気配りは、やはり有り難いが、今日は少し度が過ぎている気がする。


(無理もないか……)


 昨日の打ち合わせの後の出来事が尾を引いているのだ。

 ジノは務めて思い出さないようにしていたが、つい振り返ってしまう。



 ★★★



「さっきの襲撃の件で、この人が話したいことがあるそうよ」


 ソルドの前で立ち止まったリーチャが、小汚い格好の男を顎でしゃくってみせる。


「お初にお目にかかる。俺はチャーリー。しがない情報屋だ」

「その情報屋とやらが、一体何の用だ?」


 突然現われたチャーリーをソルドは見定めるようにして胡乱げに見る。

 情報屋というだけでけったいであるのに、身なりも乞食同然では、怪しさ倍増である。


「か、彼は決して悪い人じゃないんです」

「そうよ。人は見た目で判断しちゃだめよ」


 ミックとリーチャがすかさず弁護を入れるが、どうにもきな臭い空気を纏っている。


 そうでなくとも隣のアリスが神妙な面持ちで彼を見つめている。


 知り合いなのだろうか。

 ここ一〇年、無敗を誇っていた〝飛箒王〟アランを倒した彼女であるも、以前から名は知られている。顔の広さも新米の自分と比べれば段違いだ。


 だが、それが全ていい人物とは限らない。かつてモニカが口にしたように、〝お嫁さんにしたい飛箒士〟三年連続一位を獲得したアリスには、度が過ぎるほど熱烈な愛好家も付いている。


 これまで問題になるような事態には陥ってないが、その手の輩は手段を選ばないことが多い。

 ジノは、もし、この胡散臭い情報屋がアリスに危害を加えようものならば、身を挺してでも守ろうと腹を決めた。


「そう硬くなりなさんな。別に取って食おうってわけじゃない。むしろ、その逆だ」


 チャーリーはジノに肩をすくめてみせると、ソルドに向き直る。


「〝ほうき星〟の坊やを襲ったのは〝紅サソリ〟。砂漠の一族の中でも一、二を争う腕利き揃いの暗殺者集団アサシン・ギルドだ」


「マジっ!?」


「き、聞いたことあります! 確か『たとえ首だけになっても狙った獲物は仕留める』というのが〝紅サソリ〟の血の掟だと……」


 連れてきたリーチャとミックまでもが驚きを禁じ得ない様子で、ジノは血の気が引いていくのを感じるのと同時に、助けてくれたテッテに心の中で猛烈に感謝した。


「おいおい、そいつはマズいんじゃねーのか?」

「うむ……護衛を付けるにしても、相手が相手じゃしのう……」


 ウーゴとオッジも互いに顔を見合わせて、事の深刻さに青くなる。


「安心してくれ。奴らが襲ってくることはもうない」

「なぜだ?」


 場を代表して聞いたソルドに、チャーリーがにやりとする。


「〝エンポリオ傭兵団〟が始末した」


 その名はジノも知っている。


 かの魔王討伐に際し、各国騎士団をはじめとした連合遠征軍が組織された。

 その中核の一つを担っていたのが〝エンポリオ傭兵団〟である。

 最も戦闘の激しかった東部戦線での活躍は、賞賛に値し、彼ら無しでは魔王討伐も成らなかった。


 そして討伐後、いずれかの国に仕えるかと思われた〝エンポリオ傭兵団〟であったが、変わらず戦場を渡り歩いていた。

 対立国同士の戦はもちろんのこと、内戦や三流の盗賊団の殲滅に至るまで、規模の大小を問わず、荒事には顔を出していた。


 しかし、近年ではめっきりその名を聞かなくなっていた。


「それもそのはず、奴らは『ウィルフォード商会』に買われた」


 チャーリーが口にした商会の名前に、アリスが身震いする。


「アリスさん?」


 ジノが心配すると、アリスは「大丈夫、なんでもない」と、大丈夫じゃなさそうな青白い顔で首を横に振った。


 そんなアリスの様子を気にした風もなく、チャーリーは続ける。


「ご存じの通り、『ウィルフォード商会』といえば『ノッティーユ』の大出資者だ。アレは金に糸目を付けず、何でも一番を欲しがる……」


 ネジから飛行帆船まで、が謳い文句の『ウィルフォード商会』の財力は、並みの国の国家予算を凌駕するという噂である。


「今の〝エンポリオ傭兵団〟の頭はダニエル・ラウリンガー……『ノッティーユ』の〝鉄壁〟の叔父にあたるっていうのは、あまり知られていないんだが……」


 そこでチャーリーはリーチャに向き直る。


「ここまでの話で何か気づかないか?」


 リーチャはしばし沈思したのち、口を開く。


「……なんで〝紅サソリ〟を始末するために〝エンポリオ傭兵団〟がしゃしゃり出てきたのかってこと?」


 そうだ、と頷いたチャーリーはジノを見る。


「確認しておくが、キミは個人的に〝エンポリオ傭兵団〟を知っているのか?」

「い、いえ、まったく……」

「なら、アンタはどうだ?」


 チャーリーはソルドを見る。


「いや」


「では『ウィルフォード商会』からの接触はなかったか? たとえば、出資を申し出るとか、〝ほうき星〟の移籍、といったことは?」

「ないな」


 即答で断言するソルド。

 チャーリーはどこか満足げに小さく頷いた。


「これは俺の推察にすぎないが、たぶん合っていると思う……『ウィルフォード商会』は『ノッティーユ』が優勝するために障害となり得る〝ほうき星〟を消すため〝紅サソリ〟に依頼した。だが、失敗したので〝エンポリオ傭兵団〟を使って後始末をつけた」


 実際、チャーリーの推察は正鵠を射ていたが、翌日の伝聞各紙には、無差別に飛箒士を狙う暗殺者を〝エンポリオ傭兵団〟が無事討伐したことを伝え、怪しい者が接触してきたらまず大会側に報告し、対応を委ねるよう、注意喚起していた。


「とにかく、〝ほうき星〟が無事だったことが幸いだ。キミはあのコに感謝するといい」

「え? あの、テッテのことを知っているんですか?」


「直接の面識はないが、彼女にレイブンドーを教えた人物は知っている」

「そうなんですか」


「ああ。彼女の師匠は、〝拳聖〟の末裔だからな」


 クスリと笑みを浮かべるチャーリーの言葉にに、その場にいた全員が息を飲んだ。


 〝拳聖〟とは、たった四人で魔王に挑み、見事倒してみせた伝説のパーティの一人である。


 道理で強いわけだ。ジノは次の休息日にテッテにご馳走を奢ってあげようかと思ったが、何故かアリスが刺すような視線を送ってきたので、考えることを止めた。


 すると、チャーリーがソルドに向き直る。


「話はここからなんだが、今後、〝ほうき星〟の警護は、俺に一任してくれないか?」

「最近の情報屋は、〝エンポリオ傭兵団〟よりも強いのか?」

「ぶっ!? あっはっはっはっ!!」


 真顔で聞き返したソルドを前に、チャーリーは憚ることもせず腹を抱えて笑い出した。


「なにがおかしい?」

「……いや、すまない。そんな冗談が返ってくるとは思ってもみなかった」


 チャーリーは、目尻にたまった涙を拭いながら、真顔からやや仏頂面になったソルドに軽く頭を下げた。


「……冗談のつもりは毛頭ないんだが」

「悪かったよ。まぁ、俺も多少は腕に覚えがあるつもりだが、流石に〝エンポリオ傭兵団〟を相手にはできない。だが、対抗できる奴らを知っている」


「それって、もしかして……?」


 心当たりがある様子のミックに、チャーリー小さく頷いてみせた後で、ソルドに告げる。


「〝ティンバーレイク魔法師団〟と言えば、耳にしたことがあるだろう」


 確かにある。

 〝エンポリオ傭兵団〟に取って代わるようにして、現在のリュシュテリア中の諍いごとを鎮めている集団だ。


「そこの団長とは昔なじみだ。なんなら今ここに呼んでもいい」

「それには及ばない……が、なぜだ?」

「?」

「なぜ、そうまで我々に肩入れしてくれるんだ?」


 ソルドの疑問はもっともだ。


 連れてきたリーチャは、かつて共に箒を跨いだ仲間であるが、記者である。

 記者は、必要以上の特定ギルドへの接触は協会によって禁じられており、発覚すれば追放も免れない。

 もっとも、彼女は何も知らされず、ただ使させられたようであるが、その相手が情報屋だ。

 それも裏事情にかなり通じているとなれば、関わらない方が身のためである。


「〝ほうき星〟が好きだからというのは理由にならないか?」

「えっ!?」

「いや、そういう意味じゃない。頼むから身構えないでくれ。そこの〝銀嶺〟も攻撃魔法の詠唱をとめてくれ」


 思わず尻を隠したジノを守るように右手を翳したアリスの姿に、さして慌てる様子もないチャーリーは続ける。


「俺の言う〝ほうき星〟は先代の、だ」

「父さんを知ってるんですかっ!?」

「ああ。ガキの頃に一度だけ彼の競箒を見た。一発で競箒を好きになったよ……」


 懐かしむようにチャーリーは薄く笑みを浮かべる。


「……もし生きていたら〝飛箒王〟はアランじゃなく彼だったはずだ」

「……」


 面と向かって父のことを評価されたジノは、くすぐったくもあり、誇らしい気分になる。


「外側にいる俺が言うのもなんだが、今の競箒は妙に味気ない。決まって勝つのは『ノッティーユ』だ。だから――」


 チャーリーは、目深に被っていたくたびれた帽子のひさしを人差し指で上げる。


「俺は見てみたい。『ノッティーユ』を超える者たちを……そして新しい時代の幕開けを」


 その格好とはひどく不釣り合いなほど、彼の瞳は輝きに満ちていた。


「その気持ちは痛いほどわかるが、やはり――」


 ソルドの言葉を遮り、再び扉が乱暴に開かれる。


「今度は誰だよ!」


 今、いいところなんだよ、と誰何するウーゴに呼応するように現われたのは、


「お取り込み中すいませ~ん」


 独特の間延びした声で、場に似つかわしくない可愛らしい笑顔を向けるマイヤだった。

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