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 開始の旗が振られ、真っ先に飛び出したのは『ハインカーツ』であった。

 〝風除けかぜよけ〟買って出ているモニカが、抜群の滑り出しを見せたのだ。


 引っ張られるように『ハインカーツ』の面々が続き、二番手に付いた、『ノッティーユ』の水先案内人と化している『オルコック』を、一気に八箒身そうしんほど置いていく。

 そして『アマーリオ』は一〇番手前後と、やや出遅れてしまった。


 しかし、ジノ以外の三人は冷静だった。


『〝ハインカーツ〟は、〝逃げ〟に徹するみたいだな』

競箒レースは始まったばかり……と言いたいところじゃが、作戦としてはアリかもしれんのう』


 ウーゴとオッジが頷き合うと、アリスが口を挟む。


『モニカは元々開始スタートが上手かったわ。でも、この面子を相手に逃げ切れるほどの魔力はないはずよ』

『そこは上手いこと風除けを繋いでいくんじゃね?』

『いや、今日は十二周の周回競箒サーキット――つまり短期決戦じゃ。ちょこまかと交代しておる時間はないし、この経路では、ちと骨が折れるじゃろう』


 オッジが辺りをチラリと見渡す。

 両側を建物に囲まれた通りは〝チェイン〟が三本、縦に並ぶのがやっとであり、直線は少なく、曲がりくねって上下にも波打つ。


 〝鎖〟の入れ替えを失敗すると落箒する危険が大だ。

 ゆえに『アマーリオ』も最初の並びから変えないまま最後までいくつもりである。


『じゃが、あの晩に申しておった〝隠し球〟とやらも、まだ披露しておらんようじゃからな』


 リュマの申し出を了承し、『ハインカーツ』と共箒きょうそう関係にあったが、それも昨日までの話であり、昨日の段階では、その〝隠し球〟を見ることはなかった。


『ま、なんだっていいさ。俺たちには〝ほうき星〟がある。だよな? ジノ』

「え? あ、はい……」

『おいおい、なんだよ。〝大船に乗ったつもりでいてください〟ぐらい言ってもいいんだぜ』


 ウーゴの似てない物真似に、アリスは苦笑する。


『そろそろ行かないと追いつけなくなるわよ』

『わあってるよ』


 風除けのウーゴは少しだけ速度を上げた。 



 ★★★



 ルオズの南地区にある一軒の酒場。

 どこにでもある外観と内装を呈しているが、〝からすほうき亭〟と掲げられた看板から、ここが競箒の賭場であることを愛好家たちは知っている。


 酒場の奥に続く扉を抜けると、ガラリと雰囲気が変わる。

 柱や壁に施された細工、天使たちが踊る一枚絵が描かれた天井、設けられた数々の調度品など、全てが豪奢で、食事や飲み物をトレイに乗せて行き交う給仕らの質も高い。


 入場料が金貨一枚という高額さであるがゆえ、客の殆どが豪商や貴族である。


 そして上座には、競箒の模様を映し出す巨大な投影像ビジョンと、倍率オッズ表を貼りだした掲示板を指し示しながら賭けを募る仕切り役が立つ、ちょっとした舞台があり、大勢が扇状に囲む。


 それらを二階の特別席から見下ろす者たちがいた。


「おい、これはどういうことだ?」


 『ハインカーツ』が先行している様子を移す投影像を注視するマルセル・ウィルフォードが眉根を寄せる。


 齢二十八という若さであるが、ウィルフォード商会現会頭の実子で、切れ味鋭い経営手腕から、次期会頭の座を約束されている。


「ご安心を。競箒はまだ始まったばかりでございます」


 傍に控えていたブルーノは小さく笑みを浮かべるが、マルセルは意に介さない。


「野蛮な堅物どもに遅れを取っているんだぞ? 由々しき事態ではないか」


 『ハインカーツ』の母国、ルデグム帝国を蔑視するきらいのある、ルバティア王国人らしい物言いだ。


「確かに気に入らないわね」


 マルセルの向かいに座るクロエ・ウィルフォードが、長く伸びた爪をつまむようにさする。


 幼い頃からの癖を直そうとしない三つ年上の姉に、マルセルは内心苛立った。


 彼女は現在、副会頭に就いている。

 父を献身的に支えながら商会を盛り立てているが、昔からそりが合わない。そう遠くない将来、父から会頭を譲り受けることになれば、ことあるごとに衝突するのは避けられないだろう。


「でも」


 クロエは爪をさするのを止めた。


「今回も検診は問題ないのでしょう?」

「はい。新しく開発した魔力回復薬エーテルは、競箒直前に効果が現われるよう調整して飲ませております」


 恭しく頭を下げるブルーノに、クロエは「ちがうわ」とやや鋭く言い放つ。


のほうよ」

「……もちろん万全でございます。希代の名魔法医であっても見抜かれないよう、施してございます」


 ブルーノの返答を聞き、クロエは鷹揚に頷いた。


「なら安心ね。『ノッティーユ』の勝ちは揺るがないわ」


 クロエは両手の人差し指の爪同士をこすり合わせ始める。

 これもまた彼女の癖で、機嫌が良いときに見られるものである。


 マルセルは聞こえないように舌打ちした。


 実に面白くない。

 正直、競箒はさほど興味がない。

 魔法使いたちが箒に乗って競うだけではないか。

 その勝ち負けに、いい歳した大人達がはばかりもなく一喜一憂している姿は、どこか狂っているように映る。


 競馬と同類、いや、馬はまだ愛嬌があるから許せる。

 しかしながら、競馬にも劣る競箒に一目置いている部分もある。


 言わずもがな、金である。


 競馬もリュシュテリア各地で開催されている一大興業であるも、その収益は競箒の足下にも及ばない。


 莫大な利益を生む競箒。

 それに絡むことで、ウィルフォード商会は多大なる利益を得ている。

 これは揺るがない事実だ。


 そして飛箒ギルドを所有することは、上流階級の間で最も効果のあるステータスである。

 それも『ノッティーユ王者』を従えているともなれば、大概のことはカタがつく。

 難しい交渉や訴訟問題も、こちらの有利になるように働きかけることが可能なのだ。

 『ノッティーユ』が勝てば勝つほど、である。


 ゆえに彼らには、常勝無敗を義務づけている。

 無論、勝つための手助けは惜しまない。


 新しい魔力回復薬を開発したのは、マルセルの功績である。腕利きの魔法薬師を集め、五年と八ヶ月の月日を費やして作らせたとっておきで、幹部たちにも賞賛された。


 それを姉は、まるっきり信頼していないとばかりに一蹴した。

 副会頭の権限で与えたであろう、何かのほうが重要であるらしい。


 その情報はこちらには入っていなかった。

 いつ、どこで、何を彼らに与えたのか。

 幹部である自分にも一切気取られることなくやってのける彼女の手腕は、同じ血を分けた姉弟とは思えないほど恐ろしい。


 やはりどうにかして彼女に退いてもらわなければ、厄介な事態に陥る。

 だが、策を講じるにしても、懸念すべきことが一点だけある。


「ふっ、何をたくらんでおる」


 そう、彼の存在だ。

 マルセルたちが囲む卓の中央に座する男――ギュスターヴ・ウィルフォード。

 しがない田舎町の仕立屋を、一代でリュシュテリア最大の総合商会へと押し上げた立役者であり、マルセルとクロエの実父だ。


 禿頭に白髭という貫禄ある老人だが、ここに至るまでの苦労と困難が身体に滲み出ただけだ。

 その眼光は鋭く、未だ若々しい。


「いえ、会頭が考えてらっしゃるようなことは、何も」

「悪巧みをするやつは皆そういう」


 伏し目がちになるマルセルをギュスターヴは鼻で笑う。


「本当に何も――」

「まあいい。今は競箒だ」


 弁解しようとするマルセルから視線を外し、ギュスターヴは投影像を見る。


 そこには『オルコック』にくっついて二番手争いに加わるも、どこか余裕のある『ノッティーユ』の姿があった。

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