31

 アリスにすごまれ、戦々恐々のジノは辿々しくも、ここに至るまでの経緯を語り始めた。




「…………ふぁっ!?」


 ロメオに自身の飛箒士ひそうしとしての在り方を問われたジノは、悶々とした時間を過ごしてしまったため、競箒レース七日目の朝を寝過ごしてしまった。


 枕元に置いていた懐中時計の針は午前七時を指しており、天幕の隙間から日差しが鋭く差し込んできている。


「やばいやばいやばいっ!! ……てっ!?」


 慌てて身支度を済ませようとしたジノであったが、異変に気づく。

 地面に敷いた絨毯が傾き、天幕ごとずるずると滑っているのだ。


 何事か、と外を覗くと、すり鉢状の流砂に飲まれていた。


 アロタオ砂漠に限らず、流砂は起こる。

 だが、中心に待ち構えているのが大蟻地獄というモンスターで、南方にしか生息していないはずである。


「と、とにかくっ!?」


 すぐに脱出し、競箒に復帰しなければならない。ジノは寝る前に脱いだ飛箒服を素早く身につけ、箒を手に取った。


「わわっ!?」


 そこで、がくんと傾斜がきつくなり、ジノは体勢を崩すが、どうにか持ちこたえる。


 しかし、魔力回復薬エーテルなどの必需品が詰まった背嚢が、天幕の出入口から転げ落ちてしまう。


「そんな……わっ!?」


 悔やむジノに追い打ちをかけるように、さらに天幕が傾いた。

 このままでは自分の身も危ない。ジノは手にした箒に跨がり、天幕を出た。


 直後、バキバキと音を立てながら、天幕は大蟻地獄の巨大な口腔内へと飲み込まれた。


「……くそ」


 舞い上がったジノは、その光景を見下ろしながら軽く握った拳で己の太ももを叩いた。






 魔力回復薬を失ってもなお競箒へと復帰したジノは、高度を取った。

 魔力を抑え、僅かでも距離を稼ぐためであり、この遮蔽物のないアロタオ砂漠に関しては、高度の制限はない。

 また上空では、地表からの照り返しもない。


 しかし、快適とはいえない。なぜなら吹き荒れる風が箒路を阻むからだ。


「ぐぅっ!?」


 右へ左へと柄先を取られながらもジノは進む。

 進路は真東。太陽の位置を確認しながら修正を加える。

 しかし、風が邪魔してブレてしまう。


「うぅっ!」


 その都度、さらに修正しなおす手間が、ジノを焦れさせる。

 残りの魔力は、七割程度。

 魔力は睡眠により自然回復されるが、睡眠不足により完全ではなく、特効の魔力回復薬もない今の状況は、言うまでもなく最悪である。


 だが、ここで諦めるわけにはいかない。

 今日中にアリスたちに追いつけなければ、切り捨てられ、『アマーリオ』内での立場がなくなる。


(絶対に追いついてみせる!)


 追いつけたところで自身が使い物ならないことは容易に想像できるが、それでもアリスとの約束は守らなければならない。


 ――失態は競箒で返せ。


 新人だろうが熟練だろうが、飛箒士であるならば、やることは一つだ。

 ジノは心を引き締めた。






 薄氷を踏む思いで進んでいたジノに、一筋の光明が差したのは、その日の午後であった。

 上空の風には慣れず、魔力も多大に消耗した。


「はぁはぁ……」


 喉はカラカラだが潤す物がない。


「くそっ!」


 その渇きはジノを苛立たせる。


 棄権すれば、この苦しみからは解放される。

 だが同時に、一生消えない烙印を刻まれることになる。


 仮に〝腰抜けほうき星〟などと呼ばれては、まだ訪れたことのない父の墓前にも行けなくなるし、啖呵を切って飛び出してしまったっきりの母にも合わせる顔がない。


 逃げられない。でも苦しい。


 葛藤に苛まれるジノは、右手から吹く風に大きく煽られたところで、前方に〝鎖〟を見つける。


 人数は四人。

 白地に黄色の鮮やかな線で彩られた飛箒服は『ウルリーカ』のものだ。

 北方の大国ノルドストレームの雄であり、優勝候補の一角に挙げられる飛箒ギルドの一つである。


 その『ウルリーカ』は女性飛箒士のみ――ノルドストレーム特有の色白の北国美人揃いであり、男性愛好家に絶大な人気があることでも知られている。


(まいったな……)


 自分と同じことをしているギルドが必ずいるだろうと踏んでいたが、よりにもよって『ウルリーカ』とは思わなかった。


 ここで彼女たちの〝鎖〟に繋がることができれば、ジノにとっては不幸中の幸いといえる。

 しかし、ノルドストレームの女性は、その美しさゆえか、総じて自尊心が高く、他者との連結をひどく嫌うのだ。


(ここはやり過ごすべきかな)


 どうせ弾かれてしまうのなら、早々に抜き去ってしまうほうが良い。ジノは加速するべく柄を握る手に少し力を入れようとした。


 すると、『ウルリーカ』の最後尾にいる一人が振り返り、ギョッとした。


『ちょっと、そこのあんた! もしかして、ジノっ?』

「へっ?」

『やっぱり!』


 開放伝心で呼ばれ、思わず首を傾げてしまうジノの横に、彼女はするすると下がってきた。


『ジノ! あんたってやつは!』

「うわ、ちょっとっ!?」


 体当たりをかましてくる彼女の言っていることが理解できす、ジノは体勢を保たせることで精一杯になる。


「ちょっ! あのっ! やめっ!」

『うっさい! あんた、なんでいつまでたってもわたしに挨拶しに来ないのよっ! あと、〝ほうき星〟とかいっちょ前に二つ名とか、生意気なのよ!』

「やめっ! ちょっ、ほんとにっ! おち、落ちるっ!」


 やはり風が邪魔をするので、ジノは彼女の体当たりを躱すこともできない。

 衝撃で痛む半身と、魔力と同等に体力が失われていくのにもどかしさを覚えるジノには、彼女が誰であるのか皆目見当がつかない。


『バネッサ。その辺にして』


 見かねたらしい『ウルリーカ』の別の一人が、ジノと体当たりを繰り返す彼女との間に割って入る。


『ジノが可哀相』

『邪魔しないでよ、セルマ!』

「えっ!? バネッサとセルマって、あのバネッサとセルマなのっ!?」


 二人の名を耳にし、ジノが素っ頓狂な声を上げる。


 バネッサ・バックルンドとセルマ・アルヴィドソンは、先のロメオと同じく、エッフェルバーグ魔導学院の代表として、共に世界学生競箒で優勝した、かつての仲間である。


『はぁ? あんた、気づいてなかったの?』

「うん……うわ、ごめんって、バネッサ!」


 頷いたジノの反対側に回って再び体当たりをし始めるバネッサ。


『バネッサ』

『だって、こいつったら!』


 セルマに咎められたバネッサは体当たりをやめるが、不服でいっぱいな様子でジノを睨んでくる。


「ご、ごめん! 僕、君たちがバレ・ド・リュシュテリアに出てるとは思わなくて……」


 彼女たちが『ウルリーカ』に入団したことは知っていた。

 しかし、正規飛箒士レギュラーとして出箒しているとは思いも寄らなかった。


 たとえ学生王者だとしても、一年目でバレ・ド・リュシュテリアに出ることは稀である。

 それが四名そろい踏みというのは、ある意味、奇跡といえた。


『へぇ~、ジノのくせにわたしに喧嘩売るんだ? いいわよ、言い値で買ってあげるわ!』


 ジノの物言いにカチンときたバネッサが三度体当たりを繰り出そうとするが、やはりセルマが止めた。


『じゃれ合うのは競箒が終わってから』

『べ、べつにじゃれ合ってなんか……!』

『とにかく、先を急ぎましょう……ジノ、私達の後に付いてきて』

「え? でも……?」

『勘違いしないで。終着点手前までの間よ』


 事情は聞いている、とセルマが付け加え、バネッサとともに先行する『ウルリーカ』の二名を追いかける。


「え、あの……」


 いいのかな? とジノが思案すると、他の二名も手招きしてきた。


「あ、ありがとうございます」


 軽く頭を下げたジノは、彼女たちの〝鎖〟の最後尾に繋がった。






 ジノにとって、『ウルリーカ』の〝鎖〟に加われたことは僥倖であった。

 文字通り、身一つとなったジノの残存魔力では、とても高高度飛箒ひそうに耐えられなかった。


 そうして、七日目を終えた時点で六七位に付け、八日目の正午までに一〇番台を切った。


 『ウルリーカ』の主力飛箒士エースが取り出した魔力回復薬を飲み終えてから「そろそろ下りましょう」と柄先を傾けた。


 同じく魔力回復薬を飲んだバネッサたちに続き、ジノも貰った魔力回復薬で魔力を回復してから降下する。


 競箒中、同じギルドの仲間であっても他者への援助はできない決まりだ。

 しかし、この長距離競箒ロング・ライドに限りっては違う。競箒終了後――つまり、陽が落ちて野営している間は、物資の供与は大会側も関知せず、可能なのだ。


(本当、感謝しないとな)


 地表スレスレに降りたジノは、バネッサたちの背を見ながら心の中で拝んだ。

 それから五番手まで上り、先頭集団を微かに視界に捉えることができると、ジノはするりと前にでた。


『どうしたのよ? 風除けは、あんたの番じゃないでしょ?』


 風除けをしていたバネッサが怪訝そうな声で言う。


「ありがとう、バネッサ。セルマ。助かったよ」

『ジノ……?』


 バネッサの後ろにいたセルマも首を傾げるが、ジノはさらにその後ろをちらりと見る。


「お二人も、本当にありがとうございました。このお礼は必ず!」


 それだけ言うと、ジノは加速した。


『あっ!? ちょっと! 待ちなさいよ~っ!?』


 バネッサの伝信が遠くなっていくが、振り返ることはない。

 ここまで連れてきてもらって悪いが、どうしても果たさねばならない約束がある。


 ジノは『ウルリーカ』に追いつかれる前にさらに加速した。

 地平線に揺らめく集団――その中に『アマーリオ』がいる。


(まだ間に合うっ!!)


 譲ってもらった魔力回復薬を全て飲み干し、柄にへばりつくように体を倒したジノは、自身の感情を高ぶらせた。


 魔法は魔力と想像力を糧とする。

 必要な魔力を投じた上で、発現させたい現象を明確に頭の中で思い描けば描くほど、その精度は上がる。


 だが、それだけでは〝ほうき星〟には至れない。

 想像の限界を超えた魔法を叶えるのは、ひたむきに純粋な思いだ。

 それは、ただ念じればよいというものではなく、己の命を捧げる覚悟で思うのだ。


 確証を得たわけではないが、ジノはその理屈を本能的に嗅ぎ取ったのである。

 しかし、代償は決して安くはない。ジノが、そのことに気づくのはもう少し後である。


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 獣のように吠えるジノが全開で魔力を注ぐと、負けじと魔動力変換機構が唸りを上げる。

 穂は怒髪天を衝く勢いで広がり、先から星型の魔力の残滓をちらつかせる。

 次の瞬間には、光の尾を放ちながら、瞬間移動に近い形でばく進した。


 未遂を含めば、これまで二度ほど〝ほうき星〟を発現させてきたが、今回はかつてカルロが見せた〝ほうき星〟を凌駕するものであった。


 『ウルリーカ』を置き去りにしたジノは、近づいて来る前方の集団から二組の〝鎖〟が放たれたのを視認する。


 『ノッティーユ』と混成の四人――主力飛箒士の〝鎖〟だ。


 大方『ノッティーユ』を倒すために共闘しているのだろう。直感で理解したジノは、千切られた残りの面々を抜き去る。


『――っ!?』

『――!!』


 オッジとウーゴが何か言っていたが、ジノはさらに箒を飛ばす。


 そして、三ギルドの主力飛箒士たちが仕掛け、『ノッティーユ』からアランが放たれる。


「うっ!!」


 追箒をかけるジノの意識が微かに薄れる。

 雨天後の滝のごとく、大量の魔力が消費される。これは前回の比ではない。


(くっ! もう少しもってくれ!)


 ここで魔力切れを起こし、落箒らくそうなんてあり得ない。

 ジノは持てる全てを注ぐつもりで突き進んだ。

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