第四章 コリホーの休日

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 アリスが目を覚ましたのは、『ニールギルス』内にある病室であった。


 寝起きがすこぶる悪く、朝は二度寝をしそうになるのを必死に堪えるのが日常であり、ボッサボサに爆発した髪のまま、ゆっくりと上体を起こし、周囲を見渡した。


 個室で、ベッドと小さなチェストのみという簡素な内装であり、右手にある小窓からは、青空の下、活気溢れるコリホーの町並みが覗く。


「…………あ」


 普段なら、頭が働き始めるには、もう少し時間がかかるはずであったが、流石に今は違った。


 浮かび上がったのは、先ほどの競箒レース

 終着すると同時に魔力切れを起こし、熱砂の砂漠へ箒ごと突っ込んだのだけは覚えている。


 競っていたアランとの決着は、どうなったのかわからない。

 勝ったのか、負けたのか。

 それが気になって、いてもたってもいられなくなったアリスはベッドを下りた。


 しかし、


「うぶっ!?」


 足を滑らせ、びったーんと派手な音を響かせながら床に突っ伏した。


「……いたた……っ!?」


 鼻を押さえながら立ち上がったアリスの目に映ったのは、チェストの上に無造作に置かれた伝聞紙でんぶんしである。


 見出しには、〝快挙!! 銀嶺の魔女、飛箒王を破る!〟の文字がデカデカと躍り、投影像ビジョン判定を念写にしたらしい、アランと僅差で終着線ゴール・ラインを割る自らの姿があった。


「……うそっ!?」


 信じられず、にわかに震え出す両手で伝聞紙を手に取るが、記事は確かに自分が勝ったことを賞賛とともに伝えている。

 また最後には、新たな飛箒王の誕生を予感させるもの、と締めくくられていた。


「勝った……勝ったのね……!!」


 目を通したアリスは抱きしめるようにして伝聞紙を抱え込み、その場にうずくまる。

 両頬には熱い涙が伝い、きゅっと締まった喉から嗚咽が漏れる。


 飛箒士なら、誰もが夢見る飛箒王の打倒であるが、アリスにとっては、いや、彼女の属する『アマーリオ』にとって、もう一つの意味を持つ。


 前身である『ピッカルーガ』の主力飛箒士エース、故カルロ・リーベンの無念を晴らす。


 彼の死は謎に包まれているが、アランが手を下したという説が最有力であった。

 カルロに近しい人物を買収し毒を盛らせた。

 あるいは裏社会に通じる呪術師を用いて強力な死の呪いをかけさせた。


 いずれも突拍子もない手法であるが、黒い噂が付きまとうアランならやりかねない気がするし、現にカルロは、アランと競った競箒の直後、この世を去っている。


「……だけど」


 まだ半分だけだ。このバレ・ド・リュシュテリアで総合優勝しなければ、本当の意味で果たされたとは言えない。

 勿論、カルロのためだけに優勝したいわけではなく、自分自身の、一飛箒士としての願望を満たすためでもある。


「とにかく」


 今後の競箒について、みんなと話をするべきだし、何より、ジノに礼を言いたい。

 あの場で彼が現われなければ、今回の勝利はなかった。

 長距離競箒ロング・ライド日毎ステージ競箒の中でも配点が大きく、おかげで『アマーリオ』は二位に浮上することができたのだ。


 もっとも、開始で失敗を犯した非は咎めるつもりである。


 『アマーリオ』を牽引する存在となるには、まだ少々時間がかかるが、いずれジノを中心としたギルド作りがなされるだろう。

 それまでは主力飛箒士である自分が導いてやらなくてはならない。


「でも……」


 あの瞬間――アランの前に出たジノが手話で「行け」と言った姿は、熟練の飛箒士さながらの勇壮さがあり、正直、胸が高鳴った。


「って、私ったら何をまた……!」


 アリスは火照る頬をパンパンと叩き、ジノを探しに出かけた。






 きっとジノも自分と同じように魔力切れを起こし、休んでいるに違いない。

 そう踏んだアリスは、廊下ですれ違った魔導医の助手に尋ね、ジノの居場所を聞き出した。

 案の定、ジノは階下の病室で養生しているとのことだ。

 アリスはややふらつく体に鞭打って、ジノのいる病室へと辿り着いた。


「……?」


 扉をノックをしようとしたら中から話し声が聞こえてきた。


「ちょっとダメだって!」

「なんでよ?」

「誰か来ちゃったりしたら、なんて言えば……」

「そんなもの、見せつけてやればいいじゃないの。ほら!」

「いや、待ってってば!」


 話し声はジノと聞き覚えのない女のもので、しかも女は年若だと窺える。

 若い男女が病室で二人きりという状況は、いたずらにアリスの想像をかき立てた。


「ちょっと、ジノっ! 何をやって……!?」


 バタンと開け放つ扉の先では、ベッドの上に座るジノが、燃えるような赤い髪の少女の差し出す一切れの果実を拒もうとしていていた。


 端的に言うと、あーん拒否、である。


「ち、ちがうんです! これはバネッサが勝手に!」

「人がせっかく持ってきたっていうのに、その言いぐさはないんじゃないの!」


 バネッサと呼ばれた少女があーんしようとしていた果実は、ペペルと呼ばれる比較的栽培しやすいものであり、魔力回復薬エーテルよりもゆっくりと魔力回復を促すことで知られており、魔力切れを起こした後には適している。


「いや、すごくありがたいんだけど、自分で食べられるから……」

「このわたしが手ずからに食べさせてあげることなんて、早々ないのよ! あんた、光栄に思いなさいよね!」


 向き直るジノがやんわりと断りを入れるが、バネッサは退かない。強引にねじ込む勢いでペペルをジノの口元へ持っていく。


「だ、だから自分で――」

「問答無用!」


 なおも拒もうとするジノの口内へ、バネッサは押し込んだ。

 ジノは観念した様子で咀嚼、嚥下する。


「美味しいでしょ?」

「う、うん」

「そうよね! 最高級といわれてるウッズルーブ産を、このわたしが食べさせてあげたんだから!」


 バネッサは、後半、やたらと強調し、流し目を送ってくる。


 かっちーん。


「……ジノ」

「は、はい!」

「どういうことか、きちんと説明してくれるかしら?」


 辺りが凍り付くような声で尋ねてくるアリスの姿は、おとぎ話に出てくる魔人のようであり、ジノは死を覚悟した、とのちに述懐した。

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