29

 前に出たジノがアランを抑え込むことができた時間は、ほんの僅かだった。


 箒路を塞ぐと同時に、ほうき星が途切れると、一呼吸置く間もなく、アランがジノを躱し、先行するエイブラハムとゲルハルト、やや遅れた位置にいるアリスを猛追する。


 アランと三名の差はどんどん狭まり、終着点までの距離もなくなる。

 残り一〇〇を切り、七〇、五〇、と大詰めを迎えようとしたところで、事変アクシデントが起きた。

 一位を競っていたエイブラハムとゲルハルトが、ろうそくの火を吹き消したかのように、揃って失速、落箒したのだ。


 その隙を突き、絞り出すようにしてアリスが加速するが、アランも負けじと箒を飛ばす。


 そして、ほぼ同時に終着点ゴールの幕をくぐった。


「「どっちっ!?」」


 リーチャとミックは、声を揃える。

 彼らだけではない。このデ・ルサールの賭博場カジノにいる全ての者が、大型の投影像ビジョンを見つめている。


「「………………」」


 長い。

 時計の秒針が一周、二周と回るが、永遠とも思えてしまう。

 そうして、息をするのも忘れて待ちわびていると、投影像が切り替わった。


 鈍重な動きで映し出されたそれは、柄先の差でアリスが先に終着点に到達していたことを示した。


 沸き起こる歓声には、どよめきと落胆が入り交じる。


 当然だ。なんせ生ける伝説とも言うべき〝飛箒王ひそうおう〟アランが負けたのだ。

 しかも、〝空騎士〟や〝蒼の稲妻〟ではなく〝銀嶺の魔女〟が、である。

 また、予想配当率オッズでいえば大穴だ。賭けておけばよかったと悔やむ者が後を絶たない。


 そんな彼らをあざ笑うかのように、リーチャとミックは歓喜した。


「「やったぁああああっ!!」」


 互いの立場を忘れ、親友のごとく、何度も両手をたたき合う。


「リーチャさんっ! 彼ら、やりましたよ!」

「うん! あたしは最初から信じてたけどねっ!」


 『アマーリオ』は勝てない、と豪語していたことを、なかったことにしようとするリーチャの目尻に涙が浮かぶ。


 絶対的な王者として君臨するアランを倒すことは、腕に覚えのある飛箒士ならば、誰もが一度は夢を見るものである。

 そして、直接、彼の飛箒を目の当たりにし、圧倒的な挫折を味わうのだ。


 リーチャ自身もその一人である。

 もっとも、〝飛箒王〟になる前のアランに、その実力を見せつけられた者ではあるが。


 ともあれ、長年の夢の一つを果たしてくれた『アマーリオ』に感謝したい。涙で滲む視界を袖で拭ったリーチャは心から拍手した。


 すると、賭博場全体に拍手が伝播していく。

 皆、賭事に興じているが、競箒そのものが好きなのだ。

 勝利した〝銀嶺の魔女〟を讃えるのは、当然のことと言えた。


 そして、一頻り拍手が鳴り響くと、水着兎が「これにて、今日はお開き」と壇上を降りた。


 集まった者たちは、三々五々に散っていく。

 賭博場を出て行く者もいれば、通常の営業が始まった、各遊戯に興じる者もいる。


「……これで総合優勝も見えてきましたね!」


 場内に設けられた酒場のカウンターに座りなおしたミックが拳を握る。


「そんなに簡単なものじゃないけど、まぁ、可能性は出てきたわよね」

「もう、素直じゃないですね~。そんなんじゃいい男に逃げられますよ? 痛っ!」


 先ほどの意趣返しとばかりにニヤつくミックの頭を小突く。


「年上をからかうもんじゃないっつーの……っと、そうだ」


 リーチャはミックの反対側、賭けを申し込んできた小汚い格好の男へと向き直った。


「いくら賭けるか決めてなかったわよね?」

「切り出しておいてなんだが、金ならない」


 男は少しも悪びれた様子もなく肩をすくめる。


「はぁ? あたしらを騙したっていうのっ?」


 身を乗り出すリーチャを、男は小さく両手を挙げて制止する。


「まぁ、落ち着け。それとも、最近の記者は相手の話を最後まで聞かないのが主流なのか?」


 先ほどの遣り取りを聞かれていたのだろう。男は帽子のひさしをクイッと人差し指で上げる。


「繰り返すが、金はない……だが、金になる情報は持っている」


 隠れていた男の顔は、服装に似つかわしくないほど、とても整っていた。


 特に、その赤い瞳は吸い込まれそうなほど綺麗であった。

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