39

 店を後にしたのは日付が変わる一時間前のことだった。

 その足で、大会本部が丸ごと貸し切っている、カラッカ最大の宿屋の一室にある医療部へと赴いた。


 夜分遅いのにも関わらず、担当のマイヤは嫌な顔をせず、丁寧に診断をしてくれた。


「ど、どうなんです?」


 診断結果が記された羊皮紙とにらめっこをするマイヤを、上半身裸のジノが身を乗り出すようにして問い詰める。

 何も知らない者が見れば、ほとばしる情熱を持てあました若いジノが、色香漂う妙齢のマイヤに襲いかかろうとしている図にも取れる光景である。


「う~ん……」

「もったいぶらずに教えてください!」

「も、もったいぶっているわけじゃないんだけど~」


 マイヤが羊皮紙から視線をずらす。

 その先には、付き添いで付いてきたアリスと、ジノたちの護衛を自ら買って出ているチャーリー、そしてリーチャとミックの伝聞記者二人組である。


 先日、『アマーリオ』の関係者だとギルドマスターのソルド自身が認めたが、胡散臭い風貌の男と伝聞記者の二人を信じていいものか。マイヤの愛らしい瞳は懐疑的になる。


 その気持ちはわからないではないが、リーチャとミックは「ここで見聞きしたことは絶対に記事にしないし、口外も致しません」という念押しの宣誓までやってみせた。


 リュシュテリアで広く信仰されているリエルネの神に、破れば厳しい罰則を科してもらうよう誓いを立てたのだ。

 その天罰は必ず下ることで有名なので、リーチャとミックは遵守しなければ未来はない。


「でも~」

「責任は私がとるわ。だから本当のことを教えてちょうだい」


 アリスが真摯な面持ちで渋るマイヤに告げる。


「……わかりました~」


 この面子で、『アマーリオ』の中で最も発言力のあるであろう主力飛箒士のアリスが言うのであれば、といったところであろうか。マイヤは嘆息混じりで羊皮紙をジノに渡した。


 手に取ったジノの背後にアリスたちがわらわらと集まる。


「……」


 結果は前回と同じであった。

 ジノは嘆息し、アリスとチャーリーは肩を落とし、リーチャとミックは渋い顔になる。


「あの~、前も言いましたけど~、あくまで疑いがあるというだけで~、決まったわけではないので~、そこまで落ち込まなくても~」


 なんだか自分が悪者になってしまった気がしてか、マイヤはオロオロとしだす。


「……予防する方法はないんですか?」


 ミックの問いにマイヤはうーんと唸る。


「魔法を使わないことが一番だとは思うんですけど~、ごめんなさ~い。わたし実は~、消魔病しょうまびょうは専門外なんです~」


「専門の魔法医はいないのか?」

「いることはいるんですけど~……」


 チャーリーの質問には答えづらそうにするマイヤ。

 それを見たリーチャが地団駄を踏む。


「いるんならソイツを呼びなさいよ! 今すぐ!」

「ご、ごめんなさ~い! その人は今、非番なので~!」

「休みとか関係ないでしょっ! 早く連れてきなさいよっ!」


「だ、だめなんです~! 非番の日に呼び出されると~、すっごく怒って~、仕事もやっつけでやっちゃうので~」

「なにそれっ!? 本職プロ意識が低いんじゃないのっ!?」

「あ、ちょ、ま、まってくださ~い! そ、そんなに揺らされたら~!」


 怒り沸騰のリーチャがマイヤの肩口を掴んでがっくんがっくん揺らすので、彼女のはち切れんばかりの胸がこぼれそうになる。


「きぃいいっ!! これ見よがしにーっ!!」


 お世辞にもふくよかとは言えない胸の持ち主であるリーチャが、さらに堪忍袋の緒を切らす勢いで揺らす。


「そ、その辺にしておいてあげましょうよ」

「そ、そうですよ。とりあえず明日に備えないと」


 見かねたミックに便乗する形で、上着を羽織り終えたジノが時計を見た。


 日付はすでに頂を回っていた。

 競箒レースは九時間後である。


「ふんっ」


 覚えておきなさいよとばかりにリーチャがマイヤから手を離すと、アリスが立ち上がり、マイヤに一礼する。


「こんな夜分にありがとうございました」

「い、いえ~。またいつでもいらしてくださいね~」


 胸元を正したマイヤが手を振る姿が妙に幼気であった。



 ★★★



 一方、アランの部屋では、ムーテルビアの回廊での勝利を祝し、宴が催されていた。

 といっても堅苦しいものではなく、ホームパーティーの延長線上のようなものである。

 ソファや椅子にくつろぎながら、葡萄酒を片手に談笑する皆の顔は、ずっと笑顔だ。


「やっぱり本当だったんだなっ!」

「ああ! 見事に落箒らくそうしてくれたぜっ!」

「あれは本当に痛快だったな!」


 話題の中心は『アマーリオ』の〝ほうき星〟である。

 競箒前、ブルーノが叩きつけたのは、彼の診断結果――消魔病の疑いがあると記載された羊皮紙であった。


「これであの反則技に怯える必要もないってことだなっ!」

「ちがいねえっ!」


 ガハハとお宝を見つけた海賊のような下品な笑い声を上げる『ノッティーユ』のギルド員。

「その通り」

 彼らの気持ちをさらに助長させるかのようにウスターシュが立ち上がる。


「これで放っておいても『アマーリオ』は落ちていくでしょう。〝ほうき星〟のないルマディーノの田舎ギルドなど、恐るるに足らずです! 勝利は我が『ノッティーユ』のものです」


 沸き起こる歓声。


 それを冷ややかに見る壁際の一団があった。

 気づいたウスターシュが彼らを指し示す。


「っと、もちろん『オルコック』の献身も忘れてはいけません! 皆さん、彼らに盛大な拍手を!」


 『ノッティーユ』が割れんばかりに『オルコック』と連呼するが、当の本人たちは、やはり冷めていた。


「俺らは別に好きで手を貸してんのとちゃうで! ギルマスの注文通りに動いただけや!」

「そうよ! そこははき違えないでいただきたいわ!」


 エイブラハムとセーラが息巻くと、グンターに担がれたテッテが「べー」と舌を出す。


「まぁまぁ、そんなことつれないこと言わずに、こっちきて一緒に飲もうぜ」

「今日の競箒は俺たちが勝ち取ったもんだからな!」

「「絶対にイヤ(や)(ですわ)っ!」」


 声を揃えるエイブラハムとセーラに、流石は「二大主力飛箒士ダブル・エース! 息がぴったりだ!」と、『ノッティーユ』の連中が囃し立てる。


 そんな彼らを遠巻きに見ていたアランは、おもむろに立ち上がる。


「どちらへ?」


 すかさずロメオが聞くと、アランは軽く肩をすくめた。


「……外の風に当たってくる。ここはちいとばかし空気が悪い」

「そうですね。俺もおともします」

「いや、一人にしてくれ」


 アランはそれだけ言い残し、部屋を後にした。





 宿屋の最上階は、テラスとして開放されている。


 夜空には瞬く星々を隠さんばかりの輝きを放つ満月が浮かび、カラッカの町を照らす。

 だがカラッカの町も負けず劣らず、建物や街灯の明かりが目映い。

 魔王のであった暗黒大陸は、魔除けのために明かりを落とさないという風習があり、魔王が存在しなくなった今でもそれは残っている。


 おかげで深夜一時を回っても昼間と変わらないほど賑わっている。

 その喧騒さえ除けば、カラッカ最大というだけあって、この夜景は絶景の一言に尽きる。アランは生ぬるい風を浴びながら口元を歪ませる。


(……なっちゃいねえな)


 飛箒王ひそうおうに君臨して一〇年。


 謀略好きなウスターシュの所為で、黒い噂が自身に降りかかってきた。

 だが、研鑽を怠ったことはない。誰よりも早くギルドハウスへ赴き、誰よりも遅く帰る。


 無論、ギルドマスターとしての仕事もあるが、それ以外は極力飛箒の時間に充ててきた。練習量は他のギルドメンバーに負けていない。そう自負している。


 それは結果に如実に出ている。

 バレ・ド・リュシュテリアでは、一〇年連続総合優勝という前人未踏の記録を作った。


 だが今年はどうだ。

 ここまでの総合順位は一位を保持しているが、とても盤石とは言い難い。

 〝ほうき星〟には時間計測タイムアタックで並ばれ、先の長距離競箒ロング・ライドでは〝銀嶺の魔女〟に後塵を拝した。


 しかも、その二人は同じギルドに所属し、そのギルドはかつて敗北を味わったカルロの後身である。


 口に出したくないが、因縁めいたものを感じざるを得ない。


 それでも負けられないのが〝飛箒王〟だ。


 飛箒士の中の飛箒士。

 純粋な結果により、世界最大の競箒である、このバレ・ド・リュシュテリアで贈られる名誉ある称号。

 そこら辺の二つ名とはわけが違うのだ。


(……でもなぁ)


 競箒に限らず、勝負の世界で勝ち続けることは難しい。最強や無敵などと賞賛されていても、いつか必ず負けるときはくるものだ。

 勝ったり負けたりを繰り返しながら強くなる。それが勝負の世界の定石である。


 ただし、卑怯な手を使わなければ、という前提はある。

 勝ちにこだわるあまり、思いもよらない手管で他者を陥れる。

 それが巧妙であればあるほど表沙汰にはならず、自身を神格化さえしていまう。


(……やっかいだよなぁ)


 アランの脳裏に浮かぶのは、幼い頃からずっと一緒で、今はギルド仲間である、金髪眼鏡の優男のいやらしい笑顔だ。


「……まったく、どこで間違っちまったんだろうな……」


 ウスターシュも同じスラム街出身である。

 一〇歳になる頃、国策により、区画整理されてスラム街は跡形もなくなってしまった。


 途方に暮れている二人を救ったのは修道院だった。

 最初は、他の孤児たちとの諍いが絶えなかったが、あるとき魔法の才能を見出され、魔法学院へ入学を果たす。


 魔法学院は身分も出自も関係ない。わかりやすいまでの実力主義の世界だった。

 他の奴らに舐められたくない一心で、ウスターシュとともに勉学に勤しんだ。

 特に飛箒は、その病みつきになる爽快感もあって、一番のめりこんだ。


 それから学生王者になると、当時、新進気鋭の『ノッティーユ』に誘われた。

 アランは渋ったが、二つ返事で決めたウスターシュの説得もあり、卒業後、入団した。


 正規飛箒士になるまでは少し時間がかかったが、それからは順風満帆であった。

 少なくとも表向きは……。


「……なぁ?」


 見上げる月は、当然答えてはくれなかった。

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