38

 落箒らくそうしたジノはすぐに医務室に運ばれた。


 飛箒服ひそうふくの防護魔法が発動したこともあり、怪我はまったくなく、半刻もしないうちに目を覚ました。

 念のため、魔力の検査を受けたが異常はなかった。


 そして、付き添っていたアリスに連れられ、酒場へと赴いた。

 ムーテルビアの回廊にほど近い、このカラッカの町では一番の広さを誇り、個室も設けられていることから、密談にも向いている。


 その一室で、次の競箒に向けての話し合いが行われているのだ。

 道中、アリスから競箒レースの結果を聞かされたジノは、思わず自分で自分を殴りたくなった。


 勝ったのはアランだった。

 二位はエイブラハムで、三位はウスターシュ、アリスは四位という結果に終わった。


 得点でも『オルコック』に並ばれる始末。

 全ては己の不甲斐なさが原因だ。


 あのまま〝ほうき星〟で突っ切って、アリスが絶好の時期(タイミング)で飛び出していれば、今日の表彰台の一番上に上れたかもしれない。

 アリスは名実ともに〝飛箒女王〟になれたのだ。

 それなのに。


 ジノは、目の前の料理が盛られた皿を睨みつけながら、自分の不甲斐なさを呪う。


「終わったことを悔やんでもしかたないわ」


 長椅子で繋がる右隣りから、果実汁の入った木杯が差し出される。


「もちろん、反省すべきは反省して、次に活かすべきだけど、気持ちを落としたままではダメよ。切り替えていかないと」

「はい……」


 自身の皿からフォークでパスタを一口分絡め取ったアリスの言うとおりだ。


 出てしまった結果を覆すことはできない。古来より、その実現に向けて日々研究が重ねられているという時間移動魔法も、成果が皆無であり、それが全てを物語っている。


 だが、敗北から学ばねば勝利はない、という格言もある。

 何が悪かったのかを分析し、修正、改善する。

 競箒、いや競技に限らず、全てに通じることである。


「しかし、今回に限っては原因ははっきりしている」


 先ほどから料理に手をつけていないソルドが、向かいの席から鋭い視線を放つので、ジノは背筋を正した。


「す、すいません……」

「別に責めているわけではない。ただ気がかりなだけだ」

「それってどういう……?」


 ジノが聞き返すと、ソルドの左隣に座るオッジがエールの入った木杯を傾けて嘆息した。


「鈍いのう。わしらはお前さんが消魔病しょうまびょうを発症しておるかどうか、心配しておるのじゃ」


 ああ、とジノは得心する。


 消魔病であれば、競箒への出場は停止になる。

 代わりとなる控えの飛箒士は二名登録してあり、『アマーリオ』は競箒そのものには参加できるが、総合優勝をおさめるとなると、ここで〝ほうき星〟を失うことは致命的である。


「……」


 今後の競箒を左右しかねるジノの返答を、一同は神妙な面持ちで待った。


 特に、ウーゴのそれは顕著だった。

 アリスを〝マグレ〟から脱させるためとはいえ、けしかけたのは彼だ。少なからず責任を感じているのだろう。


「……正直なところ、よくわかりません」


 実際、消魔病の症状は千差万別で、初期段階になると他の病気と誤診されることが多い。


「でも、僕は最後まで競箒に出たい……みんなと一緒に勝ちたいです」


 それはジノの率直な思いであったのは確かだが、残された競箒はあと二日である。

 どうにか消魔病の発症を抑えれば、乗り切ることもできなくはない。


「そうだな……」

「二日くらいなら……」

「わしは反対じゃ」


 ソルドとアリスは納得しかけたが、もしゃもしゃと咀嚼したサラダを嚥下したオッジが待ったをかけた。


「どうしてですか?」

「わしに残された時間は少ない。あと三度〝バレ・ド・リュシュテリアここ〟に帰って来られたら御の字じゃ。じゃが、お前さんは違う。お前さんにはウン十年という飛箒士人生が残っておる。それも〝飛箒王〟として君臨し続けることのできる器じゃ」


 面と向かってベタ褒めされたジノが赤面する。

 それを気にも止めず、オッジは真顔で続けた。


「そういった逸材を二度も失いたくないんじゃ。ソルド、お前さんならわかるじゃろう?」

「……ああ」


 カルロを亡くし、悲しみを負っているのは自分だけじゃない。ジノは若かりし父を知る二人の表情を直視できないでいた。


 そのジノへオッジはさらに続ける。


「じゃから、競箒に出たいというのであれば、消魔病でないと証明して欲しいんじゃよ」


 歳のせいか、心配性のきらいがあるオッジらしい提案ともいえる。


「わかりました。あとでもう一度マイヤ先生のところで診てもらってきます」

「そうしておくれ」


 オッジは満足げに頷いた。


 すると、


「ちょっとお邪魔するわよ」


 店内へと繋がる個室のドアをノックも無しに開き、リュマがにこやかに入って来た。


「いくらなんでも無粋すぎるぞ。出て行ってくれ」

「そう邪険にしないでちょうだい。私はあなたたちにとって、とても有意義な話を持ってきたのよ?」


 ソルドの制止も意に介さず、リュマは「ごめんなさいね」とジノとアリスの間に割り込んだ。


「くだらない用なら明日にしてくれ。今は次の競箒の打ち合わせ中だ」

「それなら好都合よ」


 リュマはジノの頭は妙に艶めかしく撫でる。


「わしらの希望の星ホープをからかうのはよしてくれ。自分の歳を考えたらどうじゃ?」


 オッジの皮肉にアリスが激しく首を縦に振る。


「私だってまだイケるわよっ! そっちこそ耄碌してんじゃないのっ!?」

「なんじゃとっ!?」

「やめろ!」


 舌を出したリュマにオッジが立ち上がろうとしたところで、ソルドがため息を吐いた。


「……五分だ。それ以上はやれん」 

「結構よ」


 口元に笑みを浮かべたリュマは、ジノの頭から手を離し、前のめりになってテーブルに肘をつく。


「単刀直入に言うけど、『ハインカーツうち』と共箒きょうそうしない?」


 彼女の意図をジノたちは瞬時に把握した。

 ゆえに誰一人驚かなかった。


「残り二日、それぞれの競箒の最終局面までの間に限って。もちろんお互い対等の立場を保証するわ」

「……『ノッティーユ』と『オルコック』に対抗するには、願ってもない申し出だが……」


 条件は妥当であるし、現在四位の『ハインカーツ』が、一時的とはいえ仲間になるのは心強い。


 だが、ソルドは難色を示す。


 共箒自体は規則違反ではなく、作戦の一つとしてどのギルドもやっていることだ。

 しかし、今回に限っては、上位二ギルドが共箒を組むという異例の事態である。

 対抗措置として、こちらも共箒をすれば、他ギルドも独自で共箒し始めるか、どちらかに荷担するだろう。


 共箒が共箒を呼び、いつしか大共箒が出来上がってしまうと、競箒が大味になる。

 それは見ている者はもちろんのこと、競う側も面白くない。


 やはり競箒の魅力は、違った特色を持つ各ギルドがぶつかり合うことだ。その存在意義を脅かすことは、できるだけ避けたい。


「言いたいことはわかるわ。でも、これしか方法はなくって?」


 どうやらリュマは覚悟を決めているようだ。


 三大競箒の中でも最も歴史と格式のある〝バレ・ド・リュシュテリア〟を我が物顔で支配している『ノッティーユ』を、今ここで引きずり落とし、新たな時代を作り、新たな〝飛箒王〟を降臨させる。


 それが自分たちの手によって成されるのであれば、どんな辛酸でも舐める所存というギルドはいくらでもいる。


「どうするの?」

「…………いいだろう。ただし、先ほどの条件は厳守してもらう」

「もちろんよ。『ハインカーツうち』だって隠し球は用意してあるもの」


 ソルドの色よい返事を聞いたリュマは、その刺激の強い胸元から書簡を取り出す。


「詳しくはここに書いてあるとおりよ。よければ署名サインしてちょうだい」


 手渡されたソルドは素早く黙読し、上着の胸ポケットから羽ペンを取り出し、名をしたためた。

 どうやら、こちらが不利になるような項目はなさそうだ。


「これで契約成立ね」


 書簡を再び胸元になおしたリュマはひらひらと手を振って出て行った。


「ソルドや。本当によかったのか?」

「……少し邪魔が入ったが、明日の競箒について詰めていこう」


 オッジの問いかけには応じず、ソルドは切り出した。


 その日の打ち合わせは、いつもより長引いた。

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