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 モニカが魔力切れを起こしたのは、七周目に差し掛かったところであった。

 仲間の呼びかけもむなしく、彼女は落箒らくそうした。


 ちょうど曲がり口であったため、遠心力で左側の建物に激突。しかし、事故死を防ぐために改良を重ねられた飛箒服ひそうふくのおかげで無傷であった。


 風船のように膨らみ、たいそう不格好になったモニカであったが、沿道からは惜しみない拍手が送られた。


 その様子を投影像で見ていたマルセルは、小躍りせんばかりに椅子の背もたれに寄りかかった。


「はっ! 野蛮人のくせに先頭を行くからそうなる! いい気味だ!」


 やはり差別意識の抜けないマルセルに、クロエも共鳴するかのように笑みを浮かべる。


 しかしギュスターブだけは違った。

 商会を大きくしようと様々な手を繰り出し、時には道徳心を省みないことにも手を染め、巨万の富を築き上げた彼であるが、競箒レースだけは純粋に愛していた。


 ギルドの大小、老若男女を問わず、競箒には物語があり、劇的な幕切れを引き起こすことも少なくない。

 その物語に何度も心を揺さぶられ、奪われてきた。


 商会が立ちゆかなくなりそうなときも、競箒を観て、明日への活力を取り戻したこともある。

 だからこそ、競箒に携わっていきたい。その想いから地元ギルドの『ノッティーユ』を支援し始めた。


 しかし、子ども達は競箒を金儲け、あるいは自己の出世のための道具としてしか見ていない。

 子ども達と、それに連なる部下らにより私物化された『ノッティーユ』は、常に勝ち続けるも、黒い噂の絶えない大衆紙ゴシップの格好の的に成り下がってしまった。


 なんとも情けない。

 無論、正しい方向へ導こうと、積極的に働きかけた。


 しかし、次代を担う二人の子どもたちを支持する者は、思いのほか多く、その結束も固かった。

 どんな手を使ってでも『ノッティーユ』を勝たせる。そんな商会の意志は、当の『ノッティーユ』飛箒士ひそうしたちにも伝播し、最早、手が付けられない状態となっている。


 ゆえに、ギュスターブは願っていた。

 『ノッティーユ』を打ち負かすギルドの出現を。


 先日、難関とされる長距離競箒ロング・ライドで、それをやってのけた『アマーリオ』を観たときは、久しぶりに心が震えた。


 〝銀嶺の魔女〟が〝飛箒王〟に競り勝った場面ではなく、その手前――遙か後方からやってきた〝ほうき星〟が〝飛箒王〟を止めた、ほんの一瞬に、だ。

 目映い光の尾をたなびかせる姿は、とても幻想的で、また力強く映った。


 今回のバレ・ド・リュシュテリアで、〝ほうき星〟が〝飛箒王〟に勝ち、『アマーリオ』が新たな王者となったあかつきには、堂々と『ノッティーユ』への支援を打ち切ることができる。

 商品価値のなくなった飛箒ギルドを囲っておくほど、子ども達はお人好しではない。


 そして、今後一切の競箒へ関わることを禁じ、本来のあるべきウィルフォード商会の姿を取り戻す。

 それがギュスターブが勇退するまでにすべき脚本シナリオであった。


 しかし、事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったもので、現実は思いもよらぬ出来事が起こる。


 大きな音を立てながら開かれた酒場へと戻る扉から、武装した集団が入って来た。

 武器を掲げ、甲冑を鳴らす者たちの後ろには、杖を構える魔法使いらもいる。

 その姿を見た他の客たちの悲鳴が上がる。


「な、何事だっ!?」

「お、お父様っ!」


 マルセルも青ざめた顔で立ち上がり、クロエは救いを求めるように、こちらへを見る。


「慌てるな。ブルーノ」

「はっ」


 用心棒に救援要請しろ、と目で合図すると、ブルーノは懐から伝心石を取り出す。

 しかし、

「ダメです。繋がりません……」

「そりゃそうさ。ここは完全に封鎖しちまったからな」


 聞き覚えのない声が背後から聞こえた。


「おっと、動くなよ」


 振り返ろうとしたら、首筋に片手杖を当てられた。


 ギュスターブは視線だけ走らせる。

 使い古された焦げ茶色の杖を掴んでいるのは、男の手だった。


「久しぶりだな。会いたかったぜ、ずっとな」


 反対側から覗き込んでくる顔は、二十代後半、銀髪と赤い瞳が印象的であり、見覚えがあった。


「貴様はっ!? ライングレード家の……っ!?」

「〝ライングレード〟だとっ!? ばかなっ!?」

「そうよっ!? だって、みんな……っ!?」


 マルセルに続き、クロエも驚くが、続きを口にすることはできなかった。

 ギュスターブ同様、後ろから杖を当てられ、両手を挙げる。


「その節は大変世話になった。どうしても礼がしたくて、こうして馳せ参じたわけだ」

「ふざけるなっ!!」


 激昂したマルセルが懐に手を伸ばした。

 しかし、ブルーノに阻まれた。


「何をするブルーノっ!? その手を離せっ!?」

「ここは穏便に。でないと――」


 ブルーノは反対の手に持ったナイフを突きつける。


「もう二度と朝日を拝めなくなりますよ?」

「ブルーノ……貴様……っ!?」


 驚愕と怒りが入り交じった表情のマルセルを一瞥し、ブルーノはギュスターブへ向き直る。


「申し訳ございません、会頭。私が仕えるべき御方はこちら――ライングレード家当主、ブライアン・ライングレード様ただ一人でございます」


「そうか……儂もヤキが回ったということか」

「というよりは、恨みを買いすぎたんだよ。あんたは」


 どこか悲しげに言うブライアンの横顔は、すぐに厳しいものへと変わる。


「本当はすぐにでも殺してやりたいが、それじゃ死んでいった奴らも浮かばれねえ」


 ブライアンが手下の一人に合図をした。


 手下はあらかじめ持っていたと思われる布袋を、テーブルの上にある料理をどかしてから乗せた。

 小さな金属が擦れる音が重なって響いた。


 金だ。袋の大きさからすると数千枚にのぼると思われる。


「一つ賭けをしよう」


 ブライアンは、子どものように屈託のない笑みを浮かべた。

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