16

 防塵眼鏡ゴーグルとスカーフで顔を隠したジノは、右隣を一瞥した。


 〝飛箒王ひそうおう〟アランの力を写した伴箒霊ゴースト

 召喚獣よりも薄い魔素マナなのに、猛烈な重圧を感じる。


 飲み込まれまいと奥歯を噛んだジノは、跨がる長箒ロングを握り直した。

 一生、手にすることもないと思っていたキトリのお手製。

 短い時間ではあったが、慣らしてある。

 大丈夫だ。いける。自分はやれる。


「位置について」


 ジノが己に言い聞かせていると、開始線スタート・ラインの脇に立つ係員が赤い旗を掲げた。

 一呼吸おいたジノは前のめりに構える。

 隣の伴箒霊は、出箒前の飛箒王よろしく泰然と箒に跨がったままだ。


「用意……始め!」 


 旗が振り下ろされると同時に、ジノと伴箒霊は飛び出した……かに見えたが、


「わわっ!?」


 ジノは真上に飛び上がる。


「なんでっ!?」


 意識しすぎて力んでしまったため、魔力を多めに注いでしまったのだ。

 この長箒に備わる魔動力変換機構マギナリウスは繊細だ。ちょっとでも魔力量を間違えれば、上手く飛んでくれない。

 それは先ほどので確認したはずである。


「くそっ!」


 本番で失敗するとは情けない。ジノは体を入れ替えるようにして反転、急降下する。

 そして伴箒霊からたっぷり遅れて洞窟の中へと入った。


 暗闇で何も見えないかと思いきや、壁面がぼんやりと光を帯びていたため、視界は確保できた。

 うっすらと全身を発光させる伴箒霊は、すでに一〇〇箒身ほど先を行っている。


(速く、速くっ、速くっ!)


 先日、アリスから教わった直線での心得を実行するジノであるが、伴箒霊との差は一向に縮まらない。むしろ離される一方である。


 念じている以上に動揺している。それが長箒に伝わっているのか、柄先がブレて、真っ直ぐ飛箒できず、十分に加速できないでいるのだ。


「お願いだから、言うことを聞いてくれ!」


 叱ってみるものの、長箒は聞かない。上下左右、不規則に揺れて落ち着かない。

 そうこうしている内にも伴箒霊はグングン離れていく。


「くっ!」


 やはり〝飛箒王〟の複写コピーは伊達ではない。オッジやウーゴを含め、これまで出箒した者すべてが敵わなかったのだ。世界一の一人とはいえ、学生上がりの新人ぺーぺーが勝てるはずもない。


 分かっていたことだが、実際に実力差を見せつけられると、心がへし折れてしまう。

 きっと数百年練習し続けても無理だ。努力という武器が全く通じないのが天才である。


 洞窟の中盤に差し掛かったジノは、遠ざかる伴箒霊を見送ることしかできない。

 すると伴箒霊は振り返り、笑った。

 飛箒帽に覆われて素顔など見えないはずであるが、確かに笑ったのだ。


 その笑みは未熟なジノを無価値と見なすものではなく、その根底にあるものすら否定するもののように思えた。

 すなわち、亡き父カルロ・リーベンの存在自体をだ。


「っ!?」


 瞬間、ジノの心は噴火する溶岩のごとく燃え上がる。


 生涯戦績を振り返ると、確かにカルロは天才と呼べるほど活躍した飛箒士ではなかった。

 それでも周囲に期待されていた。


 「どんな劣勢をも覆す切り札」、「〝飛箒王〟に最も近い男」、「彼を生んだルマディーノに叙勲を」などと、たった一度の競箒で伝聞社でんぶんしゃ各紙を大絶賛させたのである。


 実際、生きていれば〝飛箒王〟になっていたのはアランではなく、カルロであったかもしれない。

 そうさせなかったのはアラン本人が罠に嵌めたからだ、と唱える者もいる。


 確証はなく、三流伝聞が部数を伸ばすために書いた記事と一蹴されているが、火のないところに煙は立たない。

 確かに、アランが『ノッティーユ』の主力飛箒士として活躍し始めた頃に、競箒相手がことごとく棄権したり、変死する事件が起きている。


 捜査の結果、アランの無実が証明され、現在に至るわけだが、複写とはいえ、先ほどの笑みを見た限りでは、それも怪しい。


 事実、カルロは競箒レース中に命を落とし、直前まで競っていたのはアランなのだ。


「――ッ!!」


 ジノはブレる柄先を抑え込む。


 物心つかない頃、父は、競箒で家をあける飛箒士を辞め、つましくとも一緒にいることを望んだ母にうんざりし、別れたと聞く。


 そのため、父との思い出は何一つない。

 それでも血の繋がった父である。

 ゆえに真相を確かめなければならない。


「お前が父さんを殺したのかっ!?」


 伴箒霊に聞いても仕方のないことなのは理解している。だがジノは叫ばずにはいられなかった。


「そんなに速いのに……どうして……どうして、相手を貶めるようなことをするんだっ!!」


 天才と呼ばれる人間が卑怯な手を使う。

 飛箒士を、競箒そのものを汚されることが、何より許せなかった。


 そんなジノの怒りが長箒へ伝播する。

 魔動力変換機構が唸りを上げ、威嚇する針鼠はりねずみのごとく、黒い穂先が広がる。

 さらに穂先から二指分後ろの位置で、バン、と火花が弾けた。


 その次の瞬間、ジノは加速した。

 これまでのもたつきが嘘のように、前へ前へと突き進む。

 穂先から流れ出る魔力の残滓が光の帯を作り、あたかも夜空を翔ける帚星ほうきぼしを彷彿とさせる。


 これには、洞窟の出口を目前にしていた伴箒霊も驚いた。なんせ、すでに一〇〇〇箒身以上は開いていた差が、瞬く間になくなってしまったのだ。


「うぉおおおおおおっ!!」


 伴箒霊の尻に食らいついたジノは、するっと横滑りに躱し、洞窟を抜ける。


 そうして、ジノは柄半分の差で伴箒霊から勝利をもぎ取った。

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