第一章 トゥルムンの森

 バレ・ド・リュシュテリアが始まる一月前――。

 

 大陸西方の南西部にあるルーデ海へ柄杓状に突き出た半島一帯を治めるルマディーノ王国。


 南部にはテジェッツというルマディーノで三番目に栄えている都市があり、潟の上に築かれたこともあり、街中に運河が走る水の都として知られている。


 その東地区の片隅に『アマーリオ』のギルドハウスがあった。


「えっ!? あの、何かの間違いじゃ……っ!?」


 総勢四八人が集められた談話室で、『アマーリオ』を運営するギルドマスターであるソルド・ノバーニが告げた内容に、ジノは思わず声を上げてしまった。


 皆の視線が一斉に向く。中にはあからさまに嫉妬心をぶつけてくる者もいる。

 無理もない。ソルドがバレ・ド・リュシュテリアの出箒者を発表したのだ。


 かつて、初めて飛箒による大陸横断を成し遂げた偉大なる探検家とその仲間たちにちなみ、バレ・ド・リュシュテリアの出箒者は四名と定められている。

 その四名――正規飛箒士レギュラーの一人にジノが選ばれてしまったのだ。


「間違いではない。私とギルド幹部で吟味した結果だ」


 堅物で知られるソルドは、その性格に相応しい黒縁の眼鏡を人差し指で上げる。

 変更はない。眼鏡の奥で茶色い瞳がギラリと光る。


「いや、でも……!?」

「嫌なら変わってあげるわよ」


 恐縮するジノに答えたのは、三年目のダーニャ・ウィルーノであった。

 恋人の子供を身ごもり、出産のため退団したメリーに代わり、正規飛箒士入りをすることが有力視されていた若手一の実力者である。


「どっちが出たほうがいいかは、考えるまでもないでしょ?」


 薄紫色のおさげを振り、ダーニャは皆を見渡す。

 確かに実力的にもダーニャに軍配が上がり、バレ・ド・リュシュテリアでの初優勝を目指すのであれば、選択の余地もない。


「ダメだ。四人目はジノ以外にはありえん」


 それでも曲げないソルドをダーニャは睨みつけるも口をつぐんだ。


「……他に意見は?」


 ソルドは皆を見るが、誰も言葉を発しない。


「では解散」


 言い残し、オッジを含む幹部を連れ立ってソルドが談話室を退室すると、どよめきが沸き、再び視線がジノへ向けられる。


 そんな中、ダーニャが早速突っかかってきた。


「ねえ、ジノ。あんた、一体どんな手を使ったのよ?」

「ぼ、僕はなにも……」

「とぼけたって無駄よ!」


 ダーニャは視線を逸らそうとするジノの肩口を掴む。


「知ってるわよね? 私が出箒者に入るためにどれだけ努力してきたかを」


 今年、新人を採らなかった『アマーリオ』では、ジノが一番下っ端であり、皆の練習のための準備を行うのだが、ダーニャはそれよりも早く来ていたし、夜も遅くまで個人練習をしている。


「……納得いかないわ。ジノ、ちょっと表にでましょ」

「え?」

「勝負しようって言ってるの! 私が勝ったらソルドに直談判して出箒者を変えてもらうわ」

「いや、でも……」

「いい加減にして」


 美しい銀髪を揺らし、アリスが近づいて来る。


「勝つためには、ダーニャではなくジノが必要とソルドたちは判断したのよ」

「な……っ!?」


 ダーニャは驚愕の眼差しをアリスに向けた。

 実力差はあれど、同期ということもあり、彼女たちはそれなりに仲が良かった。練習がない日などは二人で買い物や昼食に出かけるほどだ。

 しかし、非情にもアリスはさらに追い打ちをかける。


「嫌なら去りなさい。競箒は遊びと違うわ。ごっこなら余所でやって」

「バカにしてっ!?」


 ダーニャはアリスに掴みかかろうとしたが、アリスはダーニャの手首を捻り、その反動で投げ飛ばした。


「痛っ!? なにすんのよっ!」

「手を出してきたのはあなたの方……正当防衛よ」

「ふざけんじゃないわよっ!!」

「ちょ、ちょっとっ! 二人ともっ!」


 取っ組み合いになりそうになったので、ジノはたまらず二人の間に割って入る。


「止めるんじゃないわよ! 下っ端のくせに!」


 ダーニャが拳を振りかぶった。


「落ち着いてください! 問題を起こせば『アマーリオ』は出場を取り消されますよ」

「……っ!」


 握った拳を力なく下ろしたダーニャ。

 俯き、わなわなと震え出す。


「…………わよ」

「え?」

「……わかったって言ってんの! わたしよりも下っ端を取るって言うんなら、こっちから願い下げだわっ! 出てってやるわよ!」


 そう吐き捨てて、ダーニャは談話室を出て行った。


 残された者たちの間にいたたまれない空気が漂う。


「……かわいそうな人」


 呟いたのはアリスであったが、その赤い瞳は少しだけ苛立ちが滲んでいるように思えた。

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