ほうき星のジノ

吉高来良

序章

 競箒レースが始まる直前は、いつだって落ち着かない。


 ジノ・クッペルは、胸にあふれる不安と興奮を誤魔化すように、跨った箒を握る手に力を込めた。


 周囲には、色とりどりに染め上げられたなめし革で、継ぎ目なく作られた甲冑のような服で全身を包む飛箒士ひそうしたちが、石畳の敷かれたルバークの町一番の大通りにぎゅうぎゅう詰めで並ぶ。


 それを石造りの建物の窓から前のめりになって見下ろしたり、屋根の上から落ちそうになりながら、今か今かと待ちわびる観客たち。


 当然だ。競箒は国によっては公に賭博が認められている、現在、最も人気を博す競技である。

 その最高峰、バレ・ド・リュシュテリアが、これから始まろうとしているのだ。

 年に一度、十二日間かけて大陸を横断し、東の果てにあるルオズという街を目指すが、多くはその過酷さに耐えかね途中で棄権する。終着点ゴールまで行ける者は、一〇〇名にも満たない。

 その中で誰よりも早く辿り着いた者は、飛箒士の頂点、飛箒王ひそうおうの栄冠を手にする。


 ゆえにバレ・ド・リュシュテリアは、全ての飛箒士にとって憧れの舞台である。


 また今回は記念すべき百回目であり、予選を行わない無条件オープン参加のため、例年の五倍、五〇〇〇名にまで膨れ上がっていた。


 その一人にジノがいる。


「緊張しておるのか?」


 オッジ・ファウランが振り返ってくる。

 身につけた橙色の飛箒服は、ジノも所属する飛箒ギルド『アマーリオ』の一員の証である。


「なに、いつも通りやればいいんじゃよ。いつも通りにのう」


 大陸で行われている競箒という競箒に出たことがあると豪語する彼は、『アマーリオ』の最年長飛箒士であり、一番の古株である。 

 そんなオッジの気遣いは有り難いし、心強い。


「へ、ひゃ、ひゃい!」


 だが、ジノの声は誰が聞いても上ずっていた。


「いやオジー、いくら学生王者の一員つっても、新人に緊張すんなってのが無理な話だぜ」


 オッジを愛称で呼び、反論したのは後ろに控えるウーゴ・ペジェリである。

 ちょうどジノの一回り上である彼は、最近グッと調子を上げてきている。


「でもな、ジノ。お前は俺んときより随分マシだぜ」

「え?」

「俺が初めてバレ・ド・リュシュテリアに出たときは、盛大に小便漏らしちまったからな」


 ウーゴが自分で言って笑うと、オッジが「まったく、あのときは大変じゃったんじゃぞ」と鼻を鳴らす。


「おしゃべりはそこまでよ」


 ウーゴの後ろ――『アマーリオ』の最後方につけるアリス・マーベリックが静かに告げると、ジノたちはすぐに前方を向いた。


 彼女は主力飛箒士エースである。

 主力飛箒士なくしては競箒に勝つことは不可能であり、このバレ・ド・リュシュテリアにいたっては完箒かんそうすることもままならないだろう。


 その主力飛箒士を活かすために自分は存在する。ジノは己の役目を再確認し、帽子に括り付けられている防塵眼鏡ゴーグルを目元まで下ろし、首元の白いスカーフを鼻梁までたくし上げる。


 防塵眼鏡越し、お立ち台に上った大会関係者が、上着のポケットから取り出した懐中時計を片手に、赤い旗を掲げたのが見えた。


 いよいよだ。

 心臓は早鐘を打ったように速くなる。

 周りの者たちも体を一瞬強張らせるのがわかった。


 そして赤い旗が音を立てて振り下ろされた。

 

 一斉に飛び立つ飛箒士たち。


 大通りは、大雨が降った後の川のような飛箒士たちの奔流が通り過ぎていく。


 その流れの中で、ジノは仲間たちとはぐれないよう、また先行く者たちから引き離されないよう、必死に箒を繰った。




 全ては、このバレ・ド・リュシュテリアで勝つため。


 飛箒士だった父が果たせなかった夢を叶えるためである。

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