13

 『ニールギルス』の船尾中層には、上等な部屋が並ぶ。


 ギルドマスターや協会幹部たちにあてがわれるものであり、その一室でソルドは事務仕事に追われていた。


 三つある大窓を開け、さわやかな初夏の風を呼び込むも、存外強く、丸められた羊皮紙の山が机の上から落ちそうである。


「マスター」


 別室で待機していた秘書のルチア・サヴィオローナが、ノックもなしに入ってくる。


「どうした?」


 適齢期に突入するも、その遠慮のない性格の所為か、男の影がまったくちらつかず、焦りまくっているルチアが無言で近づいて来る。


 そしてソルドの左後ろに回り、


「キトリ・ロヨネ様がお見えになりました」


 と、耳元でささやくように報告してくる。


 ソルドは、一瞬、身じろぎしそうになったが、どうにか堪えた。

 彼女からすると、子供のいない離縁経験者バツイチで、強豪ギルドのギルドマスターという小金持ちのソルドは優良物件にほかならないのだろう。最近、こうしたちょっかいが多い。


 だが、相手にしてしまうとルチアの思うつぼである。やれ夕食のソテーが美味しいだの、甲板から見える星空が綺麗だのと、誘って欲しい空気を存分に醸し出してくる。とっととキトリとの用件を済ませてしまうに越したことはない。


「……お通ししろ」


 耳たぶがほんのりと熱くなったことを悟られないよう、いつもより低い声で答えると、ルチアは少しだけムスッとなるが言いつけを守る。


 ほどなくしてキトリを連れてきたルチアは、向かいのソファに座らせると、一礼して部屋を辞した。


「……あんたも大変だね」

「……何のことだ?」

「いい娘じゃないか」


 キトリは扉の方に目を向けながら、口の端のしわを深める。


「何を勘違いしているのかわからないが、ルチアは私の部下だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「そうかい。ま、せいぜい食われないように頑張んな」


 ひゃっひゃっひゃ、と耳障りな笑い声を上げるキトリ。

 自分の周りにはロクな女がいないな、とソルドは己の女運のなさを嘆きたくなった。


「それはさておき、報酬の件だけどね……」


 人を油断させておいて本題に入る癖は相変わらずだ。ソルドは気を取り直す意味で咳払いを一つする。


「モノは相談なんだが、少しだけ待ってくれないか? いや、別に払わないとは言ってない。ただ、出資者からの入金が遅れていてな……あと七日、いや、五日ほど――」


「何を慌ててるんだい。話は最後まで聞きな。みっともないね」


 反応を楽しむのが好きなはずのキトリであったが、どこか落胆した様子で嘆息する。


「金貨五〇〇の契約だったけど、二五〇にまけといてやるさ」

「っ!?」

「なんだい? 鳩が豆火球ファイア喰らったような顔をして。あたしがこんなことを言い出すのがそんなにおかしいかい?」

「す、すまない。正直、驚きを禁じ得ない……」


 自分の仕事に絶対の自信をみせるキトリは、相手が貴族であろうとビタ一文負けないことで有名である。


「どうせ、あたしを守銭奴とでも思ってるんだろう?」

「そ、そんなことは……」

「ま、いいさ。とにかく二五〇で、受け渡しもあんたの都合のいい日でいいさ」

「……なぜ、そこまで譲歩してくれるんだ?」


 それは愚問だろう、とキトリは窓へ顔を向けた。


 外では、ジノが長箒の試し乗りをしており、かなりの速度で飛び回っている。

 長箒だけに旋回はしづらそうで、心配してかアリスが伴箒しており、それを何故か〝蒼の稲妻〟と若手補佐飛箒士の女が見守っている。


「あの飛箒を見ていると、やっぱり思い出しちまうねぇ……」


 年のせいで涙腺が脆くなったのか、キトリは目尻にたまった涙を拭う。


「……」


 ソルドは何も言わず、必死に乗りこなそうとするジノを見続けた。

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