19

 ジノが最後尾を捉えたのは、ジャンビルの谷に差し掛かったところであった。


 大型の荷馬車が三台並んで走れるほどの幅がある谷底を、建物の一〇階分に相当する絶壁が挟む。


 絶壁の上は砂ゴブリンや岩大蛇バジリスクなどの土系の魔物がうじゃうじゃとおり、通過するのは至難の業である。

 今回の長距離競箒ロング・ライド終着点ゴールとなるコリホーの町へ行くためには、この長く曲がりくねった谷底を進むしかない。


 しかし、谷底も決して安全ではない。砂漠の盗賊とも言われる砂ゴブリンが矢雨を降らしてくる。

 また夜になれば、地中の人喰い蠕虫ワームが、そこかしこから現われるため、日暮れまでには谷を抜けなければならない。


 もし、抜けられなければ、安全面を考慮し、強制失格となる。

 そうでなくとも記録的に足切りとなることが多い。


 どちらにせよ、ジャンビルの谷を単独で箒破そうはすることは、かなりの危険を伴うため、ここで最後尾に食らいつけたのは僥倖である。


 一列の〝チェイン〟を作っているのは十数名。いずれもギルドはバラバラで、それぞれの仲間たちから置いていかれたようである。


 ジノは、その一番後ろに張り付く。

 すると、気配に気づいた目の前の相手がギョッとなる。


 ――先へ行け。


 〝手話ハンド・サイン〟でそう伝えてきた相手は、前方を指し示す。

 従い、ジノは目を凝らす。

 五〇箒身そうしんほど先に別の〝鎖〟が見えた。


(うーん……)


 おそらく『アマーリオ』の飛箒服を見てビビったのだろう。


 競わず、道を譲ろうとするのは、飛箒士としていかがなものかと思うが、下位ギルドの中には、記念参加しているギルドもある。


 毎回、予選という分厚い壁に阻まれ、夢の舞台に立つことを許されなかったのだ。

 無論、そのような実力では、この過酷な競箒を勝ち抜くことなど到底不可能である。

 ならば、せめて楽しみたい。

 そういった思いがあるのだろう。


 ジノはコクリと頷き、右から抜いていく。


 ――武運を!


 すれ違いざまに向けられた〝手話〟に、思わずクスリとしてしまう。


 別に命の遣り取りをするわけではないが、戦いという意味では、あながち間違っていないのかもしれない。ジノは〝ありがとう〟と手を振って前方の〝鎖〟に繋がる。


 やはり、目の前の名も知らぬ飛箒士からは驚かれるが、今度は譲られることはなかった。

 先頭にいた飛箒士がジノの後方に付き、順繰りに〝鎖〟の先頭を交代していく〝風除け回し〟が始まる。


(とりあえず)


 ジノは一つずつ前に行くのに身を任せながら、背嚢から魔力回復薬エーテルを取り出し、魔力を補給することにした。

 やはり味はどうしようもないほど不味いが、魔力が全身に染み渡るのを感じた。


 すると、


『ジノ、生きてるか? 無事なら状況を報告しろ』


 ウーゴからの伝心が耳に入る。

 ジノは慌てて空瓶を放る。


「す、すみません! 報告するの忘れてましたっ!」

『お前なぁ……』

『よいよい。それで、今どの辺におるんじゃ?』


 呆れるウーゴを遮り、オッジが柔らかく聞いてくる。


「えっと、先ほどジャンビルの谷に入ったところです。順位的には、最終より一つ前の〝鎖〟にいます」

『マジかよっ!? めちゃくちゃ後ろじゃねえかっ!』

『ふーむ、それはちと難儀じゃのう……』

「すみませんっ!」


 謝って済むことではないが、他に言葉が見つからない。


 何度も述べるが、競箒の順位を決定するのは、ギルドで最も速い者の記録である。

 一人の主力飛箒士エースを三人の補佐飛箒士アシストが導くことで生み出される記録も、一人減れば、それだけ個人の負担が大きくなり、格段に遅くなるのは明白だ。


 ましてやジノは〝ほうき星〟だ。『アマーリオ』にとって、強力な武器であるジノを切り捨てることは、なんとしても避けたいところである。


 だが、アリスはあっさりと決断した。


『置いていきましょう』

『正気かっ!?』

『認めたくねえが、ジノは〝ほうき星〟を使えるんだぞっ!?』

『これはジノの自業自得よ。悪いけど、先頭の〝鎖〟にいる私達には、どうすることもできないわ』

「……っ」


 確かにそうだ。アリスに気を取られて〝出だし〟を失敗したなどと口が裂けても言えない。


 しかし、次のアリスの言葉は優しさに包まれていた。


『だから死ぬ気で追いついてみせなさい。それがあなたにできる唯一の償いよ』 

「はい!」


 〝風除け〟が回ってきたジノは、速度を上げた。 

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