第五十幕 ―― 自由への決断

 ほんの少し時間を遡る。


 シキミがマツリカと対峙し……

 ニゲラが地雷原をほふく前進し……

 セージが森を爆走する列車砲の上で枝に額を打たれ……

 カミツレが地下道で迷子になり途方に暮れていた、その頃――。


 カシアは目を伏せて天井まである大きな強化ガラスに額を押し付けた。

 最上階からの景色……それは廃墟で繰り返し起こる爆発と黒煙ばかりだった。


「あそこで今、多くの命が失われてるんだ。ちくしょう、僕にせいでこんなことに……」


 マツリカに提示された二つの未来。どちらを選択しても大切な誰かを失うことになる。これまでマツリカがどんな酷いことをやってきたにせよ、それは自分のことを思ってやったこと。

 ならばその責は、そうさせてしまった自分も背負うべきではないか?

 カシアはそう思い悩んでいた。


「僕がいたからこんなことに……いいや、そもそもこんな馬鹿げたシステム自体が間違っているんだ、だったら――」


 ガラス窓から額を引くと、薄暗いホールの中心にある薄気味悪いコンピューターの前に立つ。周囲に張り巡らされた赤や青に黒いコードが無造作に伸び、それらは全て高さ3メートル四方の真っ黒な箱に入っていた黒い球体に繋がっている。


 メトセラ――マツリカはこの球体をそう呼んだ。


「マツリカの言ってたような力があるなら、この戦いを止めることができるのかもしれない」


 カシアがメトセラの表面に手をくっ付けると、網膜に無数のプログラムコードが映し出されて、ジュークのあらゆる情報が脳内に流れてくる。どうやら触れることによって電子機器の情報を読み取ることができるようだった。

 ならば……とマーキナーの命令プロセスにアクセスを試みる。


「メトセラ……二基の量子コンピュータによるデュアル演算……DNAコーディング……塔内の構造図……マーキナーの停止コード、これだ!」


 《エラー……エラー……エラー……》


「くっそ……さすがはマツリカ、抜け目ない」


 結局、何度やっても接続を拒否されてしまい、有効な手立ては見つからなかった。

 けれど、諦めることなどカシアには到底できない。


 シキミのこと。

 ヒマワリのこと。

 アキヴァルハラのみんな。

 そして、マツリカ……。


 誰ひとりとして見捨てたくない。


「こんなモノのせいで……僕らは!」


 カシアは消えてなくなれと、眼前に鎮座したメトセラを渾身の力で殴る。

 ――すると、それは起きた。


 継ぎ目一つなかった表面に無数の赤い線が走り、パズルを崩すように構成されたパーツが押し出される。眩しい光が漏れて、中には人一人がどうにか入れそうなスペースがあった。

 さらにその中心にはクリスタルを何面体にもカットしたようなコアがあり、それは沢山のコードが束ねられた支柱の中心で浮いていた。


「これがメトセラ……」


 カシアは吸い込まれるように手を伸ばし、眩い光を放つコアに触れた瞬間。

 突然、凄まじい情報の渦がカシアを取り巻き、周囲を流れていた文字が無数の輪となる。


「と、取り込まれる……」


 そのまま意識を持っていかれそうになったカシアは、メトセラを睨みつけて入り込んできた敵意を押し返した。銀髪が逆立ち、バイオナノファイバーのスーツに赤いラインが浮かび上がる。周囲を取り巻いていた文字が指先にまで収束すると、カシアはコアを鷲掴みにした。


 一瞬、目の前が白一色で塗り尽くされる――。


 そうして再びまぶたを開けると、カシアは人の頭くらいあるメトセラのコアを腕に抱えていた。コアがだんだんと光を失い、最後の灯火までが消える。途端、見た目に反する重量が両腕にかかって後ろに転倒しそうになった。


「わととと……。こ、これで良かったのかな?」




 カシアがホッとした、その瞬刻――…………。


 突然、直下型地震のような衝撃が塔を襲った。

 凄まじい振動で太いコンクリートの柱にヒビが入る。

 天井から鉄骨やコードが落下してきた。


「うわぁああああああああっ!」


 それだけではない。続けて体が斜めに傾くと、フロアに散らばった瓦礫が一斉に横へと流れ出す。垂直を保てなくなった塔が軋み、横滑りした機材が強化ガラスを砕き割ると、200メートルの高さから次々と落下していった。

 その際、抱えてたメトセラのコアを手放してしまい、床を転げて窓から落ちる。


《ビービービー…………》


 そして揺れが収まり警報が鳴る中、照明が一斉に赤い非常灯へと切り替わった。


「ちくしょう。誰だ、こんな恐ろしい目に遭わせやがってぇえええ~っ!」


 カシアは天井から垂れ下がったコードに体が絡まったおかげで、どうにか落下を免れていた。足元に目を遣ると、傾斜した左塔が絶妙のバランスで右塔に寄りかかっており、衝撃で割れた窓ガラスが五月雨の如く地上へ降り注いでいた。


 本当に死ぬところだった……。

 だが、恐怖に晒され頭の中が空っぽになり、そのおかげでカシアを長年縛っていた《優柔不断》という悪癖が吹っ飛んだ。


 あー、うじうじと悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

 人生なんて一度きりだ。

 ならば、自分がやりたいようにすればいいじゃないか!

 これからはワガママに生きてやる、カシアはそう決意した。


「世界を創れとか、お前は守られてろとか、ふざけたこと言いやがって。僕は絶対に認めないからなっ! こんな歪んだ世界なんて徹底的にぶっ壊してやる。その後、マツリカをひっぱ叩いてでも止めて、僕と一緒にアキヴァルハラのみんなに謝り通す! ニゲラが突っかかってきたら、頭突きを食らわせてさらに謝る! シキミは……館長もいるし、何とかなるさっ!」


 はっきり言って無茶苦茶だ。

 けれど、それがカシアにとって唯一納得できる答えだった。

 他人が聞けば、きっと無謀と笑うことだろう。

 しかし、もう決意した、そう決めたのだ。

 誰かに用意された人生ではない、自分で勝ち得た人生を歩むことを!


「緊急用アクセスコードが使えるようになってる。ようし見てろ……この世で一番のわがままになってやるんだ。施設のセキュリティーを解除、全フロアのロック解除、実験体の製造中止。防護外壁を開門――。でも下には降りられそうにないな。さて、どうしたもんか」


 倒壊しかけた左塔のダメージを算出し、ここを抜け出す算段をする。足元を見下ろすと割れたガラス窓から黒いコードが垂れ下がっていて、それを伝って降りればどうにか右塔に飛び移れそうだった。


「よし、これだ!」


 カシアは必死にもがいて手足に絡まったコードを振りほどくと、垂れ下がった黒いコードに持ち替え、眼下に広がる高さ約200メートル下の地面を見下ろす。


「マツリカは平気で飛び降りていったけど、僕には絶対無理だな……それに思ってたより右の塔まで距離がある。一度、反対方向に飛び降りよう。糸にぶら下げたボールと一緒だ、振り子になって隣の塔へ飛び移る。これしかない!」


 傾斜を利用して窓枠を登り、必要なコードの長さと距離を計算、最適なタイミングをイメージ――。


「ひーふう、ひーふう…………………………いくぞっ!」


 コードを腕に巻きつけて覚悟を決めた。


「とりゃぁあああああああああ~っ!」


 カシアは傾いた窓枠を駆けて割れた窓から飛び降りた……。

 ところがそのコードはあの黒い球体と繋がっていたらしく、ぶら下がると同時に土台が崩れ、黒い塊がこちらへ転げ落ちる。窓枠にぶつかって一度跳ねると絶妙な間をすり抜け、カシアの頭上に黒い影が降りかかった。


「うわぁああああああああ~!」


 伸びたコードが瓦礫に引っかかって止まると、テコの原理が働きカシアの体が大きく振られる。すぐ横を巨大な球体が落下し、今度は左塔の外壁が目前に迫った。コンクリートの壁を思いっきり蹴ったカシアは、右塔のガラス窓めがけて勢いよく飛び込んだ!


 しかし――結末はイメージしていたものと大きく違っていた。

 割れるはずの窓ガラスは想像していたよりも強固で、カシアの体を跳ね返したのだ。


 痛い……頭に打撲を負って意識が遠のく。腕に絡めたコードが解け、カシアは二つの塔の間にあった建屋へ真っ逆さまに落下した。風で運ばれてきた硝煙を嗅ぎながらカシアは虚しく呟く。


「はは……情けない。こんなあっけない最後だなんて。世界を救ってやるとか息巻いてたクセに、とんだお笑い草だ」


 そして、あざけた表情を浮かべ崩れた塔を仰いだ……その時だった。

 ――女神が舞い降りた。


「…………カシアぁああああああああああああああ~っ」


 傾いた塔から聞き慣れた声が反響し、割れ残ったガラス窓の一つが砕け散る。

 黒い人影が腕をクロスさせてローモーションのようにこちらに迫った。

 紫黒色の髪をなびかせて両腕を大きく開く。


「シキミ……?」


 空中でガッチリと抱き合う、カシアとシキミ。


「しっかり掴まってて……!」


 彼女は左腕でカシアを抱き寄せると、もう片方の腕を伸ばして外壁に指をかけた。

 だが、勢いと荷重に耐えきれず、掴んだ壁は5本の線を引いて砕ける。


「止まれぇええええっ!」


 体を丸めてさらにつま先でブレーキをかけると、10階ほど滑り落ちたところでようやく勢いを止めることができた。紫黒色の髪がカシアの肩に垂れ下がり、懐かしい匂いが頬を撫でる。


 生きていたんだ、これは夢じゃない。

 彼女はあの絶望的な状況を生き抜き、約束を果たしに来てくれたのだ。

 すると――。


「ごめんなさいっ!」


 カシアの額に一滴の雫が降ってきた。


 その雫がポタポタと回数を増やし、ひとつに繋がると、鼻がしらを流れ落ちていった。シキミは声と肩を震わせてカシアの暗赤色の瞳を見澄まして、胸にため込んでいた苦悩を吐き出した。


「アナタを守るって約束したのに。私の力が足りなかったせいで、こんな酷い目に合わせてしまった……」


 だが、カシアはその言葉に笑みで答える。


「何言ってるんだい。今だって、こうして助けに来てくれたじゃないか。キミが無事に生きていてくれただけで充分だよ――ありがとう」

「……うん」


 シキミは鼻をすすると嬉しそうに微笑んだ。

 カシアは謝罪の言葉より、その笑顔の方が幾万倍も嬉しかった。

 すると、彼女はすぐに真顔に戻って隣にあった窓に視線を向ける。


「あの窓から中に入ろう。カシアはもっとギュっとしてて……」

「う、うん」


 シキミに言われるがまま彼女の背中に腕を回すと、顔が豊満な谷間に埋もれる。彼女は強化ガラスを蹴りで砕き窓の中へ飛び込むと、廊下に散った割れたガラスを踏みつけた。

 ジャリっと靴底が音を立てたが、他に気配はなく内部は静寂に包まれていた。

 あとは足元に連なったフットライトが不規則に明滅するばかりだ。


「薄気味悪いね……ヒマワリはここにいるのかな?」

「僕が調べたかぎりでは、ここの最上階にいるはずなんだ……」


 だが、カシアはそれとは別に気に掛かりなことがあった。

 いつもなら真っ白になる彼女の髪が紫黒色のままだったからだ。

 それに全身ボロボロで右足にはかなりの怪我をしている。


 ここへ来るまでに何があったのか?

 マツリカはどうなったのか?


 カシアはそれを尋ねることが怖くなり、喉から出かかった言葉を呑み込んだ。

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