第二十九幕 ―― 兆し

 化石燃料を燃やして四輪駆動車が入り組んだ闇夜の裏路地を疾走する。月は雲に隠れて建物に明かり一つ灯されてはいない。フロントに装着されたライトだけが唯一の灯火だ。それにあれほど賑やかで人で溢れていた街並みに、人影一つ見えないことがカシアをより一層痛心させた。


「みんな大丈夫かな……」


 荷台に吹き抜ける夜風を正面から受けていたら、ふと不安が口に出てしまう。

 すると、珍しく真面目な顔をしたニゲラが肩を二回叩いて答えた。


「心配するな、以前の襲撃でみんな学習してる。各地区に避難用シェルターをいくつも作ってあるから、みんなそこにいる。それに何を隠そうあの図書館は、籠城しても三ヶ月は持ちこたえられるだけの堅牢な要塞だ。こっちにはお嬢と館長もいる。二人がかりならだって返り討ちだぜ!」


「あの女……」


 ――たまに出てくる《あの女》とは一体誰なのだろう?


 以前からずっと心の隅に引っかかっていた言葉に、カシアは茫漠ぼうばくとした恐怖を抱く。地下であの《赤い果実》を口にしてから、ほんの少し昔の記憶が断片的に蘇ることがある。その記憶と今の状況が重なった時、薄らと《あの女》と呼ばれる人物の顔が脳裏に浮かびそうになるのだ。


「うう……あと少しで思い出せそうなのに」

「おい、次の角を右だ!」


 急ハンドルを切って次の路地に出る。

 ニゲラの部下がギアを一気にトップに入れてアクセルを限界まで踏み込むと、カシアがいつも通っている大通りが見えてきた。あとは左折して直進すれば図書館前に……そう思案した時だった。


「やべぇ!」


 突如上空に飛来したドローン型マーキナーが、カシア達を乗せた四輪駆動車にサーチライトを照射してきた。次の瞬間、マーキナーから三体のギデオンが落下して石畳みにヒビを入れる。舞い上がった土埃の中で義眼が赤い光を放った。


「何だありゃ? 人か鉄クズか~? どっちだって構わねぇか、このままいちまいな!」

「そ、そんな無茶なぁ~……」


 カシアはすぐさま屈んで荷台あった手すりに掴まる。命令を下したニゲラはその場に座り込むと、楽しそうに腕を伸ばし四輪駆動車の横腹をバンバンと叩いた。

 さすがのギデオンも殺意むき出しの暴走車を敵と認識したのだろう。手にしたグレネードランチャーをぶっ放して応戦してくる。だが、既の所でハンドルを切った四輪駆動車は爆発で片輪走行しつつも体勢を立て直し、そのままギデオンを跳ね飛ばした。


「ヒャッハー!」


 ――はずだった。

 ニゲラが雄叫びを上げた瞬間、ギデオンが四輪駆動車のフロントを殴りつけ、後輪が浮いた車両はそのまま物理の法則に従い、弧を描いて二回ほど宙を回転したのだ。その際、天地がひっくり返り……全てがスローモーションになったかのように、ゆっくりと時が流れる。

 頭上からギデオンを見下ろすという不思議な体験をしつつ、車両がバンパーから着地。衝撃で乗車していた全員が外に放り出されると、地面に倒立した四輪駆動車が爆発炎上した。


「アイタタ……何がヒャッハーだよ……」

「おい、生きてるか……?」

「どうにかな……」


 擦り傷だらけになったニゲラが安否を確認すると、セージが頭を押さえながら返事をする。カシアは幸い尻を強打しただけで済んだが、運転をしていた仲間はうずくまって動かない。かなりの重症のようだ。


《目標A発見……指示、捕獲……遂行スル》


「やばい、こっち来るぞ……」


 3体のギデオンがカシアに狙いをつけてこちらに向かってくる。衝突した際、荷台に積んであった武器は何処かに飛んでいったか、燃え盛る車両の中。身を守る術がないカシアは無言で立ち上がり、ギデオンを睨みつけた。


「おい、逃げろ! あぶねぇぞ!」


 まだ身動きできないニゲラとセージが叫ぶ。

 だがこの時、カシアはどういう訳か恐怖は感じなかった。自分の中で何かが弾けそうな感覚が次第に大きくなり、手を伸ばせば全てがわかる……そんな気がしたからだ。無意識に足が前へと出る。


 ――今なら思い出せそうな気がする。


 擦り切れたシャツの袖が風ではためき、腕を伸ばすと千切れて飛んでいく。手の甲にはカミツレと同じ《刻印》が薄っすらと浮き上がり、碧眼が赤黒く変化し始めた――瞬刻。


「カシア――――!」


 セージの叫び声と同時に脇にあったレンガ造りの壁が湾曲し、漆黒のスーツにフルフェイスのマスクをかぶったシキミが飛び出してきた。砕けた無数のレンガがギデオンの装甲に音を当てて跳ねると、シキミが腰に携えた得物を鞘から引き抜く。


「斬鉄――――…………!」


 下から斜め上に橙色の閃光が走るとギデオンの上半身が滑り落ちた。

 カシアとギデオンの間に割って入った彼女はそのまま勢い乗り、向かいの壁を駆け登る。残り二体のギデオン達が宙に飛んだシキミに向かって銃器を乱射すると、彼女は握ったカグツチで弾丸を何度も弾く。一発だけマスクの左側面をかすてバイザーにヒビが入るが、着地と同時に放った一閃が二体の首を地面に転がり落とした。

 残った胴体が腕を振り上げシキミを襲おうとしたが、次第に勢いがなくなりそのまま静止。とどめを確認した彼女はカグツチを鞘に収めると、身を翻しこちらへ歩いてくる。


「さっすがお嬢! やっぱり俺のことを心配し……」

「やかましいっ!」


 声を上げて腰にしがみついたニゲラはシキミの拳骨を喰らい、地面に縮こまって小さく震える。彼女はそこから早足でカシアの前まで来ると、マスクのロックを外してフードのように後ろへ押しやり、カシアの首に腕を回して抱きついた。


「もう……心配させないで」

「ご……ゴメン」


 彼女の震える声で正気に戻ったカシアは腰に手を添える。手の甲に浮かび上がった刻印はすでに消えてしまっていて、何故あんな行動をとったかさえ思い出せない。ただ記憶が火花のようにパチパチとスパークする感覚は、未だ頭から離れなかった。

 だが、知らない自分の一面に戸惑いながらも、カシアにはまず確認しなければならないことがある。それはヒマワリの安否だ。


「ヒマワリは……ヒマワリは無事だったの?」

「……ごめんなさい、まだ確認出来ていないの。図書館にはいなかったから、近くのシェルター避難してるかもしれない。元はと言えば私のせいだから……あとで必ずカシアの元にヒマワリを連れてくるよ」

「ありがとう……!」


 その言葉で少し落ち着きを取り戻したカシアは、シキミの瞳を覗き込む。どういう訳か自分と同だった碧眼が、暗紅色の淡い光を帯びていたからだ。自分も同じことになっていたとは知らないカシアが、そのことをシキミに尋ねると、


「シキミ、キミの瞳が赤く光って――」

「だ、大丈夫。しばらくすれば直るから……」


 彼女は問いは答えず、気まずそうに手で両目を覆って隠してしまった。


「それよりもここは危険だから、早く図書館へ」

「そうだったね……」

「おっしゃ、怪我したアイツも置いてけねーからな。担架だ担架!」


 ニゲラの掛け声でカシア達は近くに散らばった鉄パイプ、それと商店のシェードを縛って担架を作る。怪我を負った仲間を乗せるとシキミが空けた壁穴から安全なルートを辿り、一行は最後の砦となる図書館へ向かった。

 これが現実、これが戦争――史実でしか知り得なかった惨たる暴力の恐ろしさをこの身で体感したカシアは、愚かしくも想い、また自分にはシキミのように人を守る力が無いことが煩わしく思った。

 今はただ、無力感とともに奥歯をキツく噛み締めた。

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