第三十九幕 ―― 潜入

 中央塔201階――メディカルセンター。

 ここは一般人が立ち入れない管理区画の一つ。真っ白な個室が無数に連なり、一つ一つに《赤い果実と蛇のマーク》が入ったチタン製の扉で固く閉ざされている。収容されているドナー以外は無人で、自動化された医療マーキナーが彼らにさまざまな薬物を投与していた。

 カシアはこの惨たらしい光景を嫌悪して指を噛む。恐らく、ここにいる患者のほとんどがエデンで《赤い果実》に手を出し、廃棄の烙印を押された子供達なのだろう。すでに自我を失っている子もいる。


「なんて酷いことを……」


 だんだんと記憶が鮮明になってきた。

 カシアとシキミも一度ここに収容されたことがある。味気ない銀色のイスに座らさせられて、体中に何かの電極を取り付けられた忌まわしい記憶。皮肉にも、ここへ戻ってきたことで、どの部屋に何があるのか薄らと思い浮かんでくる。

 それにシキミは、カシア以上にここで植え付けられた生々しい記憶が色濃く残っているはずだ。本来ならば、二度と踏み入りたくない場所だったろう。


「全てが片付いたら、ここを一番に閉鎖しよう」

「……うん」


 カシアの言葉にシキミは短く答える。

 監視カメラをハッキングし、保安マーキナーを避けながら、さらに奥へと侵入する。角を曲がった先には細く長い一本の廊下があり、片方の壁一面がガラス張りになっている部屋が続いていた。


 ふと中を覗き込むと、丸いガラス容器の中で育成される胎児が目に留まる。オレンジ色の溶液に浸され、形になったばかりの手が小さな泡を掴もうと動いている。その数はとても数え切れるものではなかった。


「僕らはこうやって生まれてきたんだ……知れば知るほど、自分が人間だって胸を張れなくなってくる……」

「仕方ないよ。私達には場所も産まれ方も選べないのだから。どうであれ、自分という心の形を保ち続けることが、人として生きている証しだと私は信じてる」

「……シキミは大人だね」


 カシアはシキミの大人びた考え方に驚いた。

 だがそれは、彼女が想像を絶する苦境を乗り切った末に見つけた答えなのだろう。

 それに比べて自分はどうだ。つい数ヶ月前まで、与えられた命令をこなすだけの安穏とした世界に浸りきってきた。真実を知り、ようやく同じ視点に立つことはできたが、彼女が背負ってきた苦しみ全てを共有できるわけではない。


 だからこそ、カシアは思う――。

 早くこの見えない首輪を噛み千切り、自分達で選べる未来を創ろうと。


「カシア、この部屋じゃないかな?」

「うん……そうみたいだね」




 薄暗い円形の部屋に肌寒い冷房。高さ5メートルほどの真っ黒なサーバーボックスが、小さな青いランプが小刻みに点灯させていた。足元には赤や青、黒色のコードが絡み合った蛇の如く散らばっていて、注意しないと躓きそうだ。


「マーキナーはいないよ、大丈夫」

「それじゃあ、リンクさせるね」


 カシアが黒い腕輪をサーバ機器に直結すると、眼前に緑色のスクリーンが浮かび上がる。画面に向かって縦横無尽に指を動かし、カシアは次々とプロテクトを解除していった。


「このカテゴリか、ここにヒマワリの居場所、投薬記録、薬の処方情報あるはずだ」


 画面に表示された個人情報ディレクトリを指先でタップして、ヒマワリのファイルを検索にかける。20秒ほどで発見できたが難解な暗号がかかっていて、解除するにはしばらく時間がかかりそうだった。


 カシアが自作の解読プログラムを走らせる、すると――。


 隣で作業を見守っていたシキミが後ろからそっと抱きついてくる。密着した豊満な胸が大きく形を変えると、カシアの心臓は前に飛び出すほど激しく脈打った。


「ど、どどど、どど、どうしたの?」

「あのね、全てが終わった後の話なんだけど……」


 その声は重く、どこか迷いがあった。


「あの子も、カシアのことを好いているのは知ってる。私だって、アナタのことを負けないくらい想ってる。だからこそ、失う恐ろしさも十二分に理解できるんだ、つまり……」


 言いたいことは分かってる、二人の想いに答えてあげたい。

 けれど、その両方を受け止めることはできない。

 いつまでも、どっち付かずのままでいるわけにはいかないのだから……。

 この作戦が終わったら結論を出そう、カシアはそう心に決めていた。


 締め付けられる胃を押さえ、次の言葉を待った。


「私は……アナタを独占しようとか、そんな傲慢なことは思ってないよ。アキヴァルハラに伝わる神の書にも記されてる。一人の男性を複数の女性が……愛するっていう伝承を。そんな愛の形があっても、いいんじゃないかなって。もちろんその中で、私がアナタのことを一番想ってることに違いはないからっ!」

「――はっ?」


 頭が真っ白になった。

 シキミに告げられた言葉は、カシアの思考を遥かに外れた発想だったからだ。今まで箱庭で教えられてきた《つがい》という概念しか知らないカシアにとって、それはまるで夢のような解決法だった。


 けれど、本当にそれでいいのか?

 鼻から何かが垂れてきそうなほど、カシアの頭は疲弊した。

 すると、熱くなった体を冷やすように一滴の雫が首筋に伝い落ちる。


 その瞬間ハッとして、強張った肩から力が抜けた。


「ごめんね、急に変なこと言って……でもカシアが困らない、私なりに精一杯考えた答えだよ」

「こっちこそ、ごめん……僕に意気地がないから」

「ううん、私はそんな優しいカシアが好きなんだよ――」


 シキミが背中に顔を埋めると、彼女の吐息でカシアの心も温まる。

 ありがとう――そう心で呟き、腕を伸ばして軽く頭を撫でてやった。


「シキミの気持ちは受け取ったよ。ヒマワリとも話してみよう。あの子は強情だけど、ちゃんと話せば分かってくれる子だからね」

「……うん」


《ピピッ、解析終了》


 丁度、話し終えるとプログラムも暗号化されたディレクトリを解析し終えた。


「完了したみたいだ、ヒマワリのファイルを探そう」


 検索は、ものの3秒で完了する。


《検索該当一件。試験体TD512、ヒマワリを閲覧しますか?》

 ――イエス。

《ファイル解凍――データ開示》


「性別女性、年齢5歳――バイオノイドと人間のハイブリッド体……? 成長促進剤による副作用で心肺機能に異常を引き起こしたため、延命処置として試薬B75を投与が必要。なお、試薬B75に代わる新薬、B85の開発が現在――」

「その薬があれば、あの子は助かるんだね?」

「うん、すぐに薬の成分表をコピーしておくよ」


 スクリーンに浮かぶ薬名をタッチし、腕輪にデータをダウンロードする。その待ち時間、続けてヒマワリがどこに捕らわれているのか調べていると、奇妙な記述に目が留まった。


「以下、生殖機能を持たないバイオノイドの生体情報を継承させる方法として、人間とバイオノイドのハイブリッド化実験……DNA提供者……」


《ビ――――――――――ッ》


 スクロールする指を離した途端、スクリーンが真っ赤に染まる。けたたましい警報が鳴ると、サーバールームの扉や窓に防護シャッターが降りてしまい、カシアとシキミは密室に閉じ込められてしまった。


「ごめん、どうしよう。まだヒマワリの居場所も突き止めてないのに……」

「慌てないで、ここは私に任せて」


 彼女のヒマティオンが白い服を吸い上げて、黒いスーツへと変換していく。白化したその姿はまつ毛一本まで白くなり、碧い瞳の色素が抜け落ちて暗紅色に変化した。


「起きろ、カグツチ!」

《バイオナノファイバーとのリンク開始――》


 シキミが腰を落としてカグツチの柄に手を伸ばす。

 薄闇で発光する暗紅色の眼光が何かの動きを追っていた。


「少し、頭を下げてて」

「いいよ!」

「斬……鉄……!」


 高速で抜刀した剣圧が熱風の刃となり、分厚いチタンの壁を斜めに焼き斬った。赤く焼けた壁が床のタイルを焦がし、周囲に異臭が充満する。

 しかし、見通しが良くなった廊下に宙を浮遊する球型マーキナーが集結し、サーバールームの中へ大量に侵入してきた。球体のあらゆる場所からプラズマで発生させたエアーを噴き出し、ジクザグに高移動しながら迫ってくる。


「うわ、危ない!」

「私の後ろへ!」


 球型マーキナーがひし形の編隊を組むとボディから射出口が露出し、小さな針を連続で発射してきた。シキミが咄嗟にカグツチを左右上下に振り抜き、そのほとんどを弾き落としたが、何本かはすり抜けて足元の床に突き刺さった。


「少し熱いよ、我慢してね……」


 そう言って、シキミはカグツチを鞘に戻すと膝を落として前屈みに構える。

 鞘に赤いラインが流線を引いて浮き上がり、それは放たれた。


不知火しらぬい――!」


 瞬刻――赤く炎を帯びた刀身から無数の火影が走り、乾いた発砲音が響き渡る。

 たった一振りだった。廊下の壁一面に散弾みたいな無数の焦げ穴があり、球型マーキナーは粉々に破壊され、焦げたパーツが床に散らばっていた。


「すごい……」

「早くこっちへ、これからどんどん数が増えるよ、私の背中に掴まって!」


 その言葉どおり、廊下に再び集結した球型マーキナーで溢れかえる。これではいくら倒しても切りがない。言われるままシキミの背中にしがみ付くと、彼女はカグツチを鞘に収めて力強く床を蹴った。

 腕をクロスさせて廊下に群がった球型マーキナーに突っ込む。バイオナノファイバーのスーツが一気に凝縮し、繊維がギチギチと音を立てると、シキミは大きく腕を振り抜いて蓄えた力を左右に放つ。打撃と衝撃で弾け飛んだ球型マーキナーの部品がスローモーションのように宙を舞った。


 だが、まだ終わりではない。正面の通路には、暴徒鎮圧装備に換装した四体のギデオンがこちらにインパルス銃を向けて待機している。出口はこの狭い通路の先だ。


「どうしよう、他の退路を検索して……」


 カシアが背中に抱きついたまま黒い腕輪を操作しようとすると、彼女は――。


「突っ切る!」


 床のタイルが割れるほどの脚力で飛び出すと、シキミは壁を踏んで真横に走り出す。ギデオンがインパルス銃を構え、彼女に照準を定めて一斉に水弾を発射した。

 その瞬間、シキミは壁を蹴って側転し……カグツチを一閃させると、横一列に並んでいたギデオンの首が一斉に宙に舞った。


 しかし、敵の増援が次々と通路に溢れかえる。


 シキミは対面の壁に両足を着地させると、今度は天井に飛び移り、照明を踏み砕きながら疾風の如く侵入した道順を逆走した。カシアは掴まっているのがやっとで、まぶたを開くと頭上に天井……ではなく床があり、見上げるギデオンを次々に飛び越えていった。


「カシア、エレベーターホールに出るよ」


 最後の一蹴りで側転して着地、メディカルセンター入り口に飛び出す。

 だが、今度こそ突破は無理そうだった。


 正面入り口にはライオットシールドを装備したギデオンが、エレベーターホールに通じるガラス壁を背に、ズラリと隊列を組んで待ち構えていたのだ。その透明な盾には一部の隙間もなく、脱出できる可能性は限りなく低かった。


 しかし……シキミはそこでカグツチを鞘に収め、大胆な行動に出る。


「行くよ!」

「うわぁあああっ!」


 いきなりカシアを前方へ放り投げると、行く手に立ちはだかるギデオンに突貫。盾持ちのギデオンに背中から体当たりをかまし、衝撃で押されたライオットシールドが斜めに傾く。シキミはその傾斜を利用して体を回転させながら高く舞い上がり、ギデオン達の背後をとる。

 そして、カグツチの柄を掴むと再び鞘に赤いラインが走った。


ほむら――!」


 一瞬、視界が真っ白になるほどの閃光が発して、火球となった斬撃がギデオンを襲う。爆風に巻き込まれた彼らはフレームだけを残し、消し炭と化した。

 解放された熱エネルギーが四方に拡散して、入り口にあった壁一面の強化ガラスに細かなヒビが入る。一斉に破裂した破片が水晶のようにばら撒かれると、エレベーターホールに敷かれた大理石の床を滑るように散らばっていった。


「カシア、手を」

「投げるなら先に言ってよ~っ!」


 まだ宙を舞っていたカシアは困惑しながらもシキミの伸ばした腕を掴む。

 彼女はカシアを抱き寄せると、その場でステップを踏みながら一回転し、そっと床に着地させた。


「怪我はない?」

「はぁ、何とかね。これでどうにか脱出できそう…………」


 と、一息ついたその矢先だ。


《アナタのIDは、この区域への立ち入りを許可していません。ただちに――》


 とうとう、カシアがかけた魔法が解けてしまった。

 それだけではない。

 左右正面にあるエレベーターの扉が一斉に開くと、重装マーキナー四機が左右を挟み込むようにカシアとシキミへ銃口を向けていた。


「くそ、ダメだ。もう腕輪は認識されないし、どうすれば……」


 鼓動が激しく脈打ち、緊迫感で息が乱れる。

 すると、シキミはカシアに一言だけ告げた。


「……動かないで、


 飛ぶ……どこへ?


 ほんの一瞬、瞬きをするほどの時間だった。

 まぶたを開くと足元にあった大理石の床が無くなっていた。

 彼女がカグツチで円を描くように斬り落としたからだ。


「うわぁあああああああああああ――――っ!」


 想像を絶する高さ――。

 今、足元にあるのは200階あるエントランスの吹き抜けのみ。

 それにこれは決してとは言わない、ただているのだ。


「どうやって着地するのさぁああああ~っ!」

「……考えてない」

「えぇえええ~っ?」


 カシアとシキミは空中で手と手を取り合う。

 広場まで残り60メートル、侵入前に見かけた大きな樫の木が迫ってくる。


「カシア、あの木をクッションにするよ!」

「ままま、まかせる~!」


 シキミはカシアを抱きかかえ、すれ違う樫の木を今にも掴もうとした――刹那。

 死角から投擲とうてきされた鋭い氷の穂先が、彼女の左肩を貫いた。

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