第三十幕 ―― 懐かしき声

 轟音が鳴り響く暗がりの中、石ころを蹴り、人一人が通り抜けられる細い道を抜け、アキヴァルハラ図書館の正面玄関へと抜け出る。大通りには数台の古びたバスと周囲からかき集めた家具やガラクタで歪な壁が築かれ、バスの中では弾除けになる分厚い鉄板が取り付けられていた。

 飛び散り消える溶接の火花が、追い込まれた自分達の有様を連想させる。

 こんな弱気でどうする……と、首を振ったカシアは部下に報告を受けているシキミの後ろに立った。


「――状況は?」

「敵の戦力は陸戦型マーキナー20、空戦型ドローン4、一個大隊規模の人型戦闘マーキナー……それと敵の管理者の姿も目撃されています」

……やはり出てきたか!」


 あの女――その呼称を耳にするたび、カシアの記憶が混濁する。

 だが、それ以上にシキミから発せられる殺気と動揺がひしひしと肌に伝わってきて、この後に起きるであろう衝突が苛烈なものになると察した。あれほど精強な彼女これほどまでに緊張し、額に汗を流させる敵とは一体何なのか? カシアは知らずにはいられなかった。

 すると、ニゲラが間に割り込んできて……、


「そういや館長はどこにいるんだ? あの数じゃあ俺達だけでは防ぎ切れないぜ……」

「あの……その……」


 報告していた部下が言いにくそうに目を逸らす。


「実は館長、今日は隣街でアンティーク市が開かれるとかで、朝からお忍びでおでかけに……」

「か~~~っ! あのロリ婆、こんな大変な時に!」

「口を慎まんか、馬鹿者が!」


 つい口を滑らせたニゲラをシキミが小突くと、周囲からどっと笑いが沸く。ここにいるみんなは互いに信頼し、苦楽を共にしてきた仲間であることを再認識する。少し緊張が解けて全員に笑顔が戻り、それに釣られてカシアの頬もほころんだ。


「来ました! 隊列を組んで大通りからこちらへまっすぐ向かってきます!」


 しかし、双眼鏡を手にした仲間の一人が大声で敵襲を知らせた途端、全員の顔色が険しいものへと変わる。銃器を携えたメンバーが一斉にバスに乗り込み、窓枠に銃口を乗せて敵を威嚇する。カシアも近くにあった小銃を手に後へ続こうとすると……それをシキミが制止した。


「待ちなさい、カシア! アナタどうするつもり?」

「これは……僕が招いたことでもあるんだ。みんなの背に隠れて一人安全な場所にいるなんてできないよ!」

「だからこそよ、アナタが捕まったらなの! 例えここにいる全員の命を天秤にかけても、カシアだけは奪わせるわけにはいかない!」

「……分からないよ! どうしてみんな、僕だけ特別扱いするんだよ!」


 これが初めてだったかもしれない。

 シキミと正面切って言い合うのは。

 でもこれ以上、蚊帳の外にされるのだけはゴメンだ。


 カシアはじっとシキミの碧眼を見つめると、シキミもカシアの碧眼を見返した。

 彼女はそっと瞼を伏せて再び持ち上げる。


「いいわ、でも一つだけ約束して。もし私があの女に負けたり、殺されたら、アタナだけは必ず全てを犠牲にしてでも生き延びて……お願い」


 俯いて肩を震わせるシキミの両肩に手を添えて、カシアは答える。


「僕にそんなことできるわけないじゃないか……もしキミが死ぬなら僕もここで死ぬよ。もう一人にはしないから」

「…………ズルいよ、絶対に死ねないじゃない」


 目許を赤くさせたシキミがカシアに抱きつく。

 そして、カシアが紫黒色の髪を掻き上げ額に口づけすると、彼女もお返しに頬へ唇を当ててきた。




 白一色で統一された機械兵団の隊列が大通りの途中で進行を止める。無数のモーター音が消えると、辺りには燃える家屋以外の音が全て静寂へと帰した。バスの中では隣り合う者同士の緊張した鼓動が響き、全員がじっと銃口の先を見据える。

 これが戦場――張り詰めた緊張で思わず吐きそうになるほど、胃を揺さぶられた感覚に陥る。いや、実際に吐く者さえいた。


 しばらく沈黙が続くと先にあちらで動きがあった。ギデオン達が隊列の中心に道を作り、そこを一台のホバー式車両がゆっくりとこちらへ向かってくる。隊列先頭の少し前辺りで停車し、リーフ部分が持ち上がって左右に分かれると、昇降台に乗った二人の人影が姿を現した。

 カシアはその後ろで照らされる眩しい照明に目を細めながら、その人物達を仰望する。


「ヒマワリ……それにマツリカ?! どうしてあの二人が!」


 セージとカシアが思わず窓から身を乗り出すと、熱く熱せられた外気が風を生み二人の髪を大きくなびいた。

 そして、マツリカがロングスカートを横に払って長く細い足を覗かせると、白くしなやかな指を耳に装着した黒いヘッドマイクに当て、カシアに呼びかけてきた。


「――久しぶりね、カシア」

「マツリカ……本当にキミなのか?」

「ええ、そうよ。悲しいわ、私の顔を忘れてしまったの?」


 彼女はいつもの優しい笑顔でこちらに微笑んでくる。

 だが、ヒマワリはずっと俯いたままこちらを見ようとはしない。


「ほらご覧なさい。ヒマワリもアナタがかまってあげないから、こんなにしょぼくれてるじゃない。さぁ三人で一緒にシーヴァへ帰りましょう」

「どうして……こんな酷いことを」


 もうカシアには、みんなが言っていたの正体が分かっていた。だが、こんな事実を簡単に受け入れられるものではない。ガラスの無いバスの窓枠をギュっと握りしめ、下唇を噛む。

 マツリカはそんなカシアを不思議そうに眺めると、追い打ちをかけるように耳を疑う言葉を吐き出した。


「どうしてって決まっているでしょう。としてアナタに這い寄る悪い虫を駆除するのは当然じゃない。アナタがいなくなってしまってから、ずっと心配していたのよ。本当に本当に、心配してたわ」


 カシアは思わず面食らった。


「……ほ、保護者? 何をワケの解らないこと言ってるのさ。僕はデザイナーチャイルド。親なんているはずがないじゃないか」

「フフ、仕方ないわね。これならどうかしら?」


 マツリカは子供をあやすように口元を緩めると、首に巻いていた黒いチョーカーを指で押さえる。

 次の瞬間、カシアは自分の耳を疑った。


「一緒ニ帰りマショう、

「……………………!」


 それは忘れもしない、あの合成ボイス――。


 カシアと十四年間一緒に過ごしてきた、《マトリカリア》の声だった。

 しばらく沈黙が続き、どうにか気を落ち着かせたカシアは声を震わせて一言呟く。


「キミがマトリカリアだったのか……」


 マツリカは何も言わない、その沈黙が問いの答えであるように思えた。

 彼女は育ての親であり、一番長い時間を過ごした家族でもあり、そしてこの惨状を作り出した張本人だなんてどう受け入れればいいのだろう。

 急に足が震えて崩れるように膝を突くと、マツリカの告げた真実が心臓に巻きつく蛇のようにカシアの心を締め潰していった。

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