第三十一幕 ―― 宿敵

「カシア、その女に惑わされてはダメ!」


 突然、怒りのこもった足音がバスの天井にいくつもの窪みを作り、鋭い声がカシアとマツリカの間を切り裂いた。バスの上に飛び乗ったシキミはカグツチを抜いて鞘を投げ捨て、その刀先をマツリカに真っ直ぐ突き出した。

 今にも怒りが吹き出しそうな形相でマツリカを睨みつけると、対峙したマツリカの眉根が大きく吊り上がった。


「あらあら……これは驚きね。アナタはとっくに処分したと思っていたのに、まさか生きていただなんて。カシアが勝手にシーヴァを飛び出したりするものだから、おかしいと思っていたけれど、ようやく合点がいったわ」


「黙れ! 貴様が私やカシア、それにティオダークの住人にやった蛮行……。この宿怨を晴らさずして死ねるわけがない!」


「元は雌型のアーキタイプ(元型)だとはいえ、試験体ごときがセヴンスであるこの私に敵うと思って? ――――


 マツリカがふと《その名》を口にした途端、視界が真っ白になり、カシアの中で元の記憶と上書きされた記憶が混ざり合う。まるで二人分の人生を歩んだような錯覚をする。


 そう、全て思い出した――。

 アイリス……それはカシアが初めて箱庭エデンで過ごした女の子の名前。

 少しやんちゃで、泣き虫で、いつもカシアの傍らを離れなかった紫黒色の少女。

 そして、二人を常に優しく見守ってくれていたマツリカ。

 あの出来事が起きるまでは……!


「うう……」

「おい、大丈夫かカシア?」


 急激に開放された記憶の量に耐えきれず、カシアは隣にいたセージに寄り掛かる。

 するともう一人、その名に反応した者が口を開いた。それはシキミだ。彼女は俯いたままカタカタとカグツチを震わせると、これまでに見たこともない鬼の形相で絶叫する。


「その名で私を…………呼ぶなぁああああああああっ!」


 次の瞬間、カシア達が乗っていたバスが後ろへ横滑りする。シキミが屋根を踏み込み、蹴り跳ねたからだ。タイヤ痕を引いて後ずさりしたバスの中は男達の悲鳴であふれ返り、カシアもまたその一人となった。


 疾走するシキミは地面を三度跳ねると、あっという間にマツリカの頭上に影を作り、炎を帯びたカグツチを渾身の力で振り下ろす。


「マトリカリアァァァ――――ッ!」

「……相変わらず短気で愚かな子ね」


 マツリカは大蛇の如く冷徹な視線でシキミを睨む。


 その刹那――彼女がチョーカーを指で引っ張ると銀髪が一斉に逆立つ。首筋にはカミツレと同じ刻印があり、それが身に着けていた衣服を喰らい始めた。更にかざした右手に冷気が集まると、彼女の背丈より長い氷の槍を形作る。


「凍てつけ、ブリュンヒルデ――」


 怒りを込めた一振りが眼前に迫ると、マツリカは手にした槍を視界に入った虫を払うかのように薙いだ。身の凍るような風圧が湧き起こると、空気中の水分が氷結してダイヤモンドダストが吹き荒れる。

 シキミは氷の塵旋風に巻き込まれズタズタに切り裂かれると、左側の廃ビルに叩きつけられ、凄まじい激突音と共にコンクリートの壁へ大きな穴を空けた。


「――所詮は人間ね」


 もはや、人とは呼べない圧倒的な力の差。それは旧世界での大戦末期に存在していたという、倫理や規制を無視し、ひたすら人を殺すために造られた技術の一端を見せられた気分だ。

 たった一撃。たった一撃で倒されてしまったシキミを見つめ、カシアは本当の意味での敗北を悟った。彼女と交わした約束が鋭利な刃物となって胸に突き刺さる。最後に見つめ合ったあの顔が、何度も、何度も、頭の中でリピートされた。


 次第に視界を遮る鮮血を吸った細氷が緩やかに静まると、植物が根を張るように繊維がマツリカの体を包み込み、純白のボディースーツへと変貌する。

 首を覆う高い襟、ボディーラインにピッタリと貼りいた革の質感。胸元は大きく開かれ、その縁を細く青いラインが流線を描いて光る。足首まで伸びたロングスカートには、太ももの付け根から大きくスリットが入っていた。


 そして、静まり返った敵陣に向かい、マツリカは声高々と勝利を宣言する。


「さぁ、茶番はこれでお終い。よく分かったでしょう、アナタ達に勝ち目などないわ。出ていらっしゃい、カシア。シーヴァに戻ってアナタが入れたお茶を楽しみながら、これからのことを語らいましょう」


 まるで貴族の茶会にでも誘うかのように、マツリカが丁寧なお辞儀をしてみせる。

 その仕草に誘われるように、カシアは窓枠から身を乗り出して大通りに飛び降りると、数歩手前に進んで歩みを止めた。


「ば、馬鹿野郎……戻ってこい!」


 後ろでニゲラが小声で呼び止めたが、敢えてそれを無視する。

 カシアはじっとマツリカの暗赤色の瞳を見据え、はっきりと、大きく、力強い声で答えた。


「それはできないよ、マツリカ。僕はもうあそこへは戻らない。それにアイリス……いや、シキミを手にかけたキミを絶対に許さない!」


 ギシリと奥歯が擦れる音がする。


「私を困らせないで。そんな悲しいことを言うのなら、この場にいる全てを駆除して、アナタの記憶をまた消し去るしかないわ。それは嫌でしょう?」


 彼女が手をかざすと一斉にマーキナー達の待機モードが解除され、武装のロックが外される。カシアの選ぶ道……それは言いなりになってここにいる全員の命を救うか、それともシキミの意志を継いで仲間を皆殺しにされるか。情と信念を天秤にかけられ、カシアはしばし俯き、考え、悩み、苦悶し、顔を上げてマツリカを見る。乾いた唇を震わせて心に決めた言葉を吐き出そうとした時だった。


 今まで沈黙を守り続けていたヒマワリが、マツリカの腕に飛びついた。


「逃げてカシア! わたしのことはもういいの。どうせだったんだから!」

「やめなさい、アナタも調が必要ね」

「作りモノ……って、どういう……」


 答える間もなくヒマワリの腕が振り払われると、マツリカはヘッドマイクを口を寄せて命令を下した。


行進マーチ――」


 一斉に赤いランプを点灯させたマーキナー達は、一歩、また一歩とカシア達に近づいてくる。ガトリング砲が高速回転し始め甲高い音を立てると、照準がニゲラ達が籠城するバスへと向けられた。迎え撃つティオダークスの面々も手にした銃を構え直し、一触即発の事態に備える。もう止めるとこは誰にもできない。

 カシアはまぶたを伏せ……ただ一人、彼らの間で両手を大の字に広げて立ち尽くした――。


 だが突如、大穴が空いた廃ビルの中から爆風と炎が吹き出す。暗がりの中で赤い眼光が揺らぎ、熱せられたコンクリートを黒い腕が掴む。焦げた煙が立ち昇る穴から出てきたシキミは、その変わり果てた姿を晒した。


「……勝手に殺さないで、それに私はその呼び名が大嫌いなのよ!」

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