第三十二幕 ―― 命、燃やして

「シキミ……その髪は?」


 カシアは目を剥いた。驚いたのはカシアだけではない、その場にいた全員が同じ反応をしていた。彼女の髪色が白銀に変化し、瞳もマツリカと同じ暗紅色へと変質していたからだ。

 さらにズタズタに引き裂かれた黒いスーツから胸元が露わになり、マツリカと同じ刻印が浮き上がっている。


「誰にも見せるつもりはなかったけれど……大丈夫、ちゃんと元に戻るから」

「で、でも、その胸の刻印は……」


 マツリカやカミツレ、シキミまでもが持つ謎の刻印――。

 その持ち主であるマツリカが、含み笑いしながら手を上げ進軍を止めさせると、シキミに代わってカシアの問いに答えた。 


「その刻印は《ヒマティオン》という、バイオナノファイバーの集合体。古代語で《一枚布》という意味よ。終末戦争で人造兵士に使用された禁忌に属する技術で、体内成分、主に銅や鉄分、セロトニンなどを起爆剤にして自己増殖する生体繊維。その強度は鋼鉄の五倍に達し、負傷した傷に入り込んで瞬時に修復することもできる、だけれど――」


 マツリカはチラリとシキミを一瞥して、言葉を重ねる。


「それは最適化された管理者、《バイオノイド》であればの話で生身の彼女は別。使用する度、肉体に相当な負荷がかかっているはずよ。その証拠に反動で体の色素が抜け落ちて、急激な白化現象を引き起こしているわ」


 まるで悪魔と交わした契約の代償のようだった。使えば使うほど体を蝕み、人から逸脱した姿に変貌してしまう。もしかしたらシキミは、そんな姿を見られるのが嫌であの黒いマスクを被っていたのかもしれない。


「あと、その刻印と炎の刀――《ヴャクダン》のモノよね。こんな小娘に力を譲ってしまうなんて愚かな真似を。彼はどうしてるのかしら?」


 苦悶に満ちた表情を浮かべ、シキミは強く拳を握りしめて重い口を開く。


「亡くなった――お前がティオダークを襲撃したあの日、私を庇ったばかりに……」

「あー、思い出したわ。彼はアナタを守ろうと串刺しになったのよね。アナタの体ごと貫通したから、てっきり始末したとばかり思っていたけれど……自分の刻印を移植してまでアナタを生かしただなんて、泣かせる話じゃない」

「黙れ! 貴様が現れた以上……師匠の無念ここで晴らさせてもらう。やれ、ニゲラ!」

「アイ、サー!」


 シキミの号令を待ちかねたようにニゲラが威勢のいい声で返事をすると、手に握った無線の爆破スイッチに指をかける。すると、左右から鈍く地鳴りのような爆発音がして、二棟の廃ビルが大通りに向かって折れ重なり衝突。こちらへ攻め込もうとしていたマーキナーの頭上に大量の瓦礫が降り注いだ。装甲が潰れる音、むき出しになるフレーム。巻き込まれたマーキナーは為す術もなく、数十トンのコンクリの塊に押し潰されていった。


「へへ、ざまぁみろやい。オラ、もういっちょ!」


 続けてニゲラが二発目のボタンを押すと、今度はマツリカの頭上めがけてビルが交互に倒れ込み、彼女とヒマワリに太く巨大な影が覆いかぶさる。


「こんな小細工で私が倒せるはずないでしょう」


 眉根を寄せたマツリカがホバー車両ごと地面に槍を突き立てる。次の瞬間、大通り下に流れる地下水が左右から吹き出し、巨像の如く大きな二本の氷柱となって倒壊するビル押し支えた。だが、その氷柱にゆらりと屈折した橙色の炎が映り込む。


「カグツチ、遠慮はするな。私から絞れるだけ絞り取れっ!」

《リミッター解除、出力最大……生命維持限界まで残り600秒――》


 ビルに気を取られたマツリカの隙を狙い、シキミが渾身の一撃を放つ。マツリカは寸でのところで斬撃を受け止めると、堪えきれずに少し後ずさりする。シキミは口元を歪めたマツリカを一瞥して笑うと、その勢いを横へと流し、ヒマワリに向かって腕を伸ばした。


「掴まって!」


 俯いたヒマワリと目が合い、彼女の手が少し動く。

 だが、途中でその手は引っ込められてしまい、シキミの腕は虚しく空を切った。


「…………」

「どうして……?」


 彼女が選んだ決断の意味を理解できず、振り返ってもう一度ヒマワリの顔を見る。

 その唇は小さく《ごめんなさい》と言った。

 そしてマツリカもまた、その隙を見逃さなかった。白く長い足がシキミの横腹に蹴り込まれて肋骨ろっこつが悲鳴を上げる。そのまま勢い任せに足を振り抜かれると、シキミは石畳みを何度も跳ねて転がった。


「うう……」

「まったくアナタは、何故こうも私の邪魔ばかりするのかしら。マーキナー、カシア以外の全てを蹂躙じゅうりんしなさい!」


 機械仕掛けの殺戮者達が命令を受けて一斉に動き出す。ギデオンがバスや図書館に向けて発砲し始め、ドローン型マーキナーが倒壊しかけたビルと氷柱の隙間を縫い、次々にシキミの頭上を通過していった。


「シキミ!」


 無力でやり切れなかったカシアがシキミの元へ駆けつけようとすると、ニゲラに呼び止められる。


「おい来たぞ、カシア! 早く戻ってこい!」

「でもシキミが……!」

「お嬢はこのくらいじゃくたばりはしねぇ。あの人はお前のために戦ってんだ。そのお前が怪我でもしたらどうするよ」

「でも……」


 もう一度、シキミへ視線を移す。

 彼女はよろめきながら脇腹を押さえ、カグツチを杖代わりにして立ち上がる。

 たしかに足を引っ張るだけかもしれない。

 でもこれ以上、傍観者でいることはもうできない――。

 カシアは前へ進むことを選択した。


「チッ、馬鹿野郎が……カシアがお嬢を連れ戻るまで援護だ!」


 ここから苛烈な銃撃戦が始まる。バリケードの左右に設置していた高角機銃が、飛来するドローンを撃ち落とす。機械歩兵であるギデオンがガトリング砲で応酬すると、図書館3階に身を潜めていた狙撃手が一体一体、祈りの言葉を唱えながら確実に彼らを仕留めていった。

 辺り一面に硝煙の臭いと煙が立ち込める中、カシアは瓦礫を駆け登ってシキミの元へと走る。途中、撃墜されたドローンが頭上を過ぎりビルにぶつかって爆発する。爆風に飛ばされ転んでしまうが直ぐさま立ち上がり、今にも膝を折りそうなシキミの元へとたどり着いた。


「シキミ!」

「ハァハァ……アナタって人は……」


 怒った彼女の腕を肩に乗せると、カシアは申し訳なさそうな顔をする。

 けれど、シキミは血の気が引いた顔でほんの少しだけ微笑む。


「とりあえず、今は早くこの場を離れよう」


 白煙でようやく1メートル先が見えるかという中、シキミを連れて来た道を懸命に戻る。崩れたビルの残骸に足を取られながら一歩ずつ進むと、前方にゆらりと人のシルエットが浮かび上がった。その影はヒールの音を立てながらこちらへと近づいてくる。ビルの隙間から差し込んだ風で白煙に切れ目ができると、そこに――。


「マツリカ……」

「さぁ、そんな古い玩具は捨てて私の元へいらっしゃい。今からでも遅くはないわ、こちらに来ればその娘の命も見逃してあげる。これが最後の譲歩、最後の警告よ」


 蛇に睨まれたカエルのようにカシアの足はすくんで動けなくなる。

 彼女から流れ出てくる冷気が背筋を凍りつかせ、冷えた汗が横顔を伝って落ちた。

 するとそこで、ニゲラが大声で叫ぶ。


「喰らえやっ!」


 彼はマツリカの背後に向かって対戦車ライフルの引き金を引いた。

 一際大きな砲音と共に25ミリの徹甲弾が高速回転しながら空を裂き、白煙の中に鋭い一本の線を引く。

 だが、彼女はそれを振り向きもせず……いとも簡単に素手で掴んでしまった。弾丸は使命を果たせず、ほんの少しバイオナノファイバーの表層を焦がすことしかできなかった。


「ば、化け物か……」


 ニゲラがそう吐露したが、マツリカにとってはヤブ蚊を払った程度でしかなかったのだろう。再び暗赤色の瞳がカシアを覗き込む。焦げ跡が残る掌がカシアの顔に影を作り、今にも触れられそうになった――刹那。


 突如、上空から数本の稲妻が落ちてカシアとマツリカの間に焼け焦げた線を引いた。続けて生き物のように地面を跳ねた電撃は激しい発光と音を立て、次々とマーキナーへ襲いかかっていく。そこら中で爆発、ショートを起こし、マツリカの連れた軍隊は一瞬で壊滅状に追い込まれた。


「雨雲もないのに、落雷……?」

「チッ……少し遊びすぎたかしら、もう戻ってきてしまったわ」


 突然の出来事に誰もが驚倒したが、一人、マツリカだけがその落雷の正体を見抜いていた。彼女の視線が図書館の屋上に向けられると、そこには赤い煙管を吹かした少女が佇んでいた。人差し指に残った僅かな放電を小さな口で吹き消すと、声高々に弁じた。


「いい加減にしたまえキミ達。私の大切な街をさら地にする気かね?」

「お元気そうで何よりです。セブンス・スペルビア(傲慢)のカミツレ。200年振りかしら?」

「どの口がそれを言う。私のいぬ間を狙い好き勝手やらかしたくせに。相変わらずだな――セブンス・インウィデア(嫉妬)のマトリカリアよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る