第五十一幕 ―― 神の代弁者

 脳内に記録した青写真を頼りに廊下を進むと、薄暗く消毒液の臭いが充満したフロアに立ち入った。

 そこには緑の液体が詰まった螺旋状のガラス容器が、天井から数珠のように垂れ下がっている。自動化されたアームロボットがその容器を掴み、リボルバーの回転式弾倉に似た機械に一つずつ格納していた。


「……何だろうね、コレ?」

「設計図には、デザインルームとしか書かれてなかったけど……」


 近くにあった端末にスクリーンが浮かんでいたので、カシアはシキミと一緒にそれを覗き込む。するとそこに、問いの答えが映し出されてあった。


「これ全部が旧時代の人間のDNAなのか」

「カミツレ様の話では、ここで一から人間を設計し直しているって……私たち、こんなモノから生み出されたんだね……」


 お互い、それ以上は口に出さなかった。言葉にしてしまったら自分の存在が揺らいでしまう、そんな気がしたからだ。深く考えることをやめてカシアは隣にいたシキミの手を引き、上の階へ通じる道を探すことにした。


 それからいくつかの階段と似たようなフロアを通った。

 ここには人以外にも動物のDNAや植物の種子なども保管されていて、以前読んだ旧約聖書の物語……《ノアの方舟》を思い起こさせた。滅びを免れるため巨大な船を造って大洪水を生き延び、新天地で新たな子孫を残す。まさにここが現代の箱船なのだろうと。


 そして、カシアとシキミはようやく最上階に繋がる階段を上り終え、ホールへ続く六角形ヘキサゴンの通路に踏み入った。足元には青白いライトが二本、通路の突き当たりまで続いており、鈍色のタイルがその明かりを妖しく反射させている。二人寄り添うようにして薄暗い通路を進むと、ついに最後の扉を前にした。


「ここが最上階フロアの入り口だよ。この中に、きっとヒマワリが……」


 カシアは喉を鳴らし、タッチパネルに掌を重ねる。

 途端、分離した六枚の扉が壁の中へスライドして消えていくと、眼前に茫漠とした空間が広がっていた。天井や床に設置されたスポットライトが一つずつ点灯し、明かりは一斉にホールの中心へと向けられる。

 そこに浮かび上がったのは、カシアが囚われていた左塔のホールと見間違うほどそっくりな黒い箱が鎮座していた。


 周囲を警戒しつつ、シキミはいぶかしい表情を浮かべる。


「ここにヒマワリがいるの? そうは思えないほど殺風景な場所だけど……」

「間違いないよ、あの中だ」


 カシアは段差を登り巨大な箱に手を重ねて、施されたプロテクトを解除する。箱から冷却された空気がスモークとなって噴き出し、四方を覆った装甲板が床に収納される。中から赤い果実と蛇のマークが刻まれたあの巨大な黒い球体が姿を晒す。


「これが雌型フィーメイルタイプのメトセラ……」


 すると天井の一部が開閉し、カシアが入っていたものと同じ円柱状のガラス容器が二人の前に降りてくる。カシアが結露した容器を手で拭うと、クラゲのように髪を波打つ少女の面貌が浮かび上がった。


「ヒマワリ……!」


 シキミが思わず口に手を当てる。

 その姿は、静かで、純美で、眠り姫のように小さく呼吸を続けていた。


「……眠ってる、みたいね」

「うん、早くここから出してあげなきゃ。ええっと、このパネルかな?」


《イグジット――――》


 カシアがホールの扉を解除した要領で隣にあった端末に手を乗せると、白い蒸気が吹き上がり、容器内の液体がどんどんと排出される。密封が解かれてガラス容器がリフトアップすると、そこに生まれたままの姿で横たわったヒマワリが残された。

 カシアはつい、ブロンドの妖精にうっとり見蕩れてしまう。



「アナタは見ないの。あそこにある白い布を取ってきて頂戴」

「あ……うん、ゴメン」


 慌ててステンレスの寝台に置かれた白い布を手に取ると、それは丈の長い白のワンピースだった。どことなく、箱庭でマツリカが着ていたものに似ている。


「これ服だったよ」

「ありがとう、着せるね」


 ワンピースを手渡すとシキミはヒマワリの頭にワンピースを被せ、腕を通し、人形に服を着せるみたいに身なりを整えてやる。横たわったヒマワリを抱き起こすと、シキミは彼女の耳許に優しく問いかけた。


「私がわかる? アナタを助けに…………………………ガッ!」


 唐突だった、シキミの短い悲鳴にカシアはハッとする。目を見開いたヒマワリが、いきなりシキミの首を締め上げたからだ。それに虚ろな目をしたヒマワリは、軽々とシキミの首を掴んだまま持ち上げた。


「カ……ハ……」

「やめろ、ヒマワリ! 今すぐその手を放すんだ!」


 カシアが慌ててヒマワリの肩を掴むと、いきなり胸をハンマーに殴られたような衝撃を受けて、入り口まで弾き飛ばされてしまった。一瞬、呼吸が止まって咳き込む。


「ゲホゲホ、一体どうなってるんだ?」


 胸を押さえて顔を上げると、片手を突き出したヒマワリが無表情でこちらを見澄ましている。苦しそうに顔を歪めたシキミは今にも消えそうな声で言葉を絞った。


「に……げて……」

「やめるんだヒマワリ、僕らが分からないのか!」


 その時だった――。


《シーヴァ籍、雄型アーキタイプ、試験体FD256。個体名カシア。アナタのことは全て把握しています》


 その声はヒマワリであってヒマワリではなかった。

 感情を削ぎ落とされた合成ボイスは、後ろの黒い球体から発せられていた。

 そして、能面のような白い仮面ペルソナが黒い球体の前に現れ、カシアに語りかけてくる。


「お前は誰だ!」


《ワタシは量子コンピュータ……ノア型遺伝子管理プログラム、メトセラ。外部からのハッキングに対処するため、一時的に試験体512の肉体へダウンロードされています。試験体FD256、今すぐにアナタの個体データを提示しなさい》


「断る!」


 拳を握りしめてカシアは即答する。


 だが次の瞬間、黒い球体が分離パージして中から無数のコードが飛び出し、手足を絡め取られてしまった。カシアは必死にもがいたが、凄まじい力で引き寄せられてる。


「ちくしょう、放せ!」


《アナタには、次の世代に遺伝子を残す義務があります。多少のエラーを含んでいるのは致し方ありません。抽出後、バグとなり得る要素を除外することにしましょう》


「カ……シア……」


 今にも気を失いそうなシキミが目元に涙を溜め、こっちに腕を伸ばしていた。カシアは懸命に腕を引いたが、何重にも巻きついたコードはビクともしない。

 このままだとシキミは窒息するか、首の骨を折られてしまうかもしれない。

 最後の最後でまた彼女を失うなんて耐えられない。


 自分にもっと力があれば……。


 悔しさと怒りで気がおかしくなりそうになった瞬間、

 カシアの顔が激しく歪んだ。


「グァアアアアアアアアッ!」


 腰に激痛が走って手足が激しく痙攣する。太い注射針のようなチューブがカシアの脊髄に突き刺さっていた。そこから何かが吸い出されるを感じる。このまま誰も救えずに終わってしまうのか。カシアの意識がどんどん薄れていく……。


 すると……網膜に何かの文字が表示された。


再起動リブート完了。新規使用者、検出。新しい名前を入力して下さい》


「ヒマティオン……そうか、マツリカが直してくれたから」


 残されて手段はもう他にない。カシアは覚悟を決めるとかつて旧人類に呼ばれていた神を引用し、その名を叫んだ。


「――覚醒めろ、デウス・エクス・マーキナー(機械仕掛けの虚神)!」


 その直後、カシアの髪が逆立って黒かったスーツが白く変色し、継ぎ目から黄金色のラインが眩い光を放つ。光の粒子が左右の耳許から伸びて目元を模ると、黒いフレームが眉間で繋がる。


 それは何も変哲のない黒縁メガネだった……が、いかにもカシアらしい。

 それでいて、この世の全てを統べる恐ろしい力を秘めているのだから。


《ビ――――――ッ!》


 甲高い電子音が鳴り響くと絡みついていたコードがはじけ飛び、蛇のようにのたうち回る。


「シキミを……放せぇえええええっ!」


 怒りに身を震わせてカシアが右拳を横に突き出すと、床に転がっていた無数にある配線が波打ちシキミの体に巻き付く。そのまま腕を横に振ると、彼女はヒマワリの手から引き離されて大きく息を吸い込んだ。


「ゲホゲホゲホ……」


 黄金色の細いラインが輝きを増し、カシアは腕を大の字に開いて指先に力を込める。すると周囲にあった機材が一斉に起動して、スクリーンの光がカシアの面を明るく照らし出した。

 黒縁メガネにプログラムコードが走って内容を上書きしていく。


「これ以上、お前なんかにヒマワリの体を好きにはさせない!」


 両手を突き出して指を折り曲げる。無数のコードが暴れ出し、ヒマワリを強く締めつける。カシアは彼女の元へ歩み寄ると、その額に手を当てた。


「……これで終わりだ」


 後ろの黒い球体が赤いLEDライトの点滅させてカシアを呼び止める。


《警告します。アナタは大きな間違いを犯そうとしています。人間はどんなに進化しようとも、人の負の因子を除去することは不可能でした。それは1兆2048億9875万108回のシミュレーションを重ねた結果なのです。これまでアナタたち人間には、幸福な人生と平等な寿命を提供してきたはず。ワタシの管理下から外れれば、アナタたちはおよそ204年後に、再び絶滅するでしょう――》


 カシアは奥歯を鳴らし、拳を強く握った。


「勝手なことを言うな! 計算で人の心を割り出すことなんてできやしない。人は強い。どんな間違いを犯したとしても、どんなに時間がかかろうとも、それを正して少しずつ前に進んできたんだ。お前の結論なんて絶対に覆してやる!」


《……解析不能》


「――心のないお前には、理解できないさ」


 カシアの掌から光が放たれると、ヒマワリに巻き付いていたコードが一斉に床へ落下する。倒れかかった彼女を両腕でキャッチすると、カシアはその場に座り込み、小さく息をするヒマワリの寝顔に安堵のため息を漏らした。


「ヒマワリは……?」

「無事だよ。ヒマワリに乗り移っていたメトセラも、この手で消去したから」


 喉を押さえて横たわっていたシキミは、ニッコリと笑みをこぼす。

 ……全てが終わった。

 これで人の首にはめられていた枷はなくなったんだ。

 カシアは目を瞑って大きく深呼吸する。


「う、ううん」

「ヒマワリ、気が付いたかい?」

「あれ? カシアどうしたの? その髪、それに変なメガネまで……」

「何でもないよ、キミが無事でよかった」

「それいえば私、マツリカと。カシアが助けにきてくれたのね」

「そうだよ、もう大丈夫。また元の生活に戻ろう」

「また、カシアと一緒に………………ウン」


 ヒマワリは照れくさそうにカシアの顔を見澄ました。

 血色も戻って、頬がほんのり赤みを帯びている。


 良かった、いつものヒマワリだ。


 カシアは安堵して恥ずかしがる彼女の手を引いて立ち上がる。フロアに倒れ込んだシキミの元に駆け寄ると、彼女を抱きかかえてヒマワリの元へ連れて行こうとした。


 しかし――……。


「……嘘つき!」


 ヒマワリは目から溢れんばかりの涙を流してカシアを拒絶した。


「ヒマワリ?」

「どうして、アナタがここにいるのよ! アナタさえ、アナタさえいなければ、こんなことになりはしなかったのに。アナタのせいで、カシアは私を見捨てたのよ!」

「見捨てるなんてそんな、こうして二人でキミを迎えにきたんじゃないか」


 シキミを見てからヒマワリの様子がどんどんおかしくなっていく。酷く怯えた様子で体を震わせると、足元に落ちていた金属片を拾って首元に当てる。光を失った若草色の瞳。リンゴみたいに艶やかだった彼女の頬が、今はもう真っ白だ。その上を大粒の雫が絶え間なく流れ落ちていく。


「や、やめるんだ、ヒマワリ!」


 どうしてこんな行動にでたのか、カシアには理解できなかった。

 ヒマワリは悲しげな表情でシキミに視線を向けた。


「シキミ……いえ、アイリス。アナタのことはメトセラが全て教えてくれたわ。アナタがカシアにとって、本当のつがいだってことも。だったら、わたしは何? 何のために生まれてきたの? アナタがいる以上、わたしはカシアの中に存在できないのよ。そうしたらメトセラは言ったわ。全てを受け入れれば、カシアを私にくれるって……」

「それは違うの。私はアナタからカシアを奪うつもりなんて……コホッ」


 シキミは、まだ上手く声を出せずに言葉に詰まる。

 しかし、彼女の想いは伝わらず、ヒマワリは首を振って無理に空笑いした。


「わたしはエデンから出たくはなかった。カシアと二人っきりで過ごした頃は不安なんて何一つなかったのに、外へ出てアナタが現れてから、カシアはすっかり変わっちゃった。もう二度と私に振り向いてくれないのよ! もう居場所なんてどこにもない……」


 ――そうか、キミはそんな風に悩んでいたんだね。

 と、カシアはヒマワリが抱いた想いの深さを知り、俯き、まぶたを伏せた。


「ゴメンよ、そんなに思い詰めていただなんて」

「誰も……私なんて必要にしてないのよ」

「たしかに僕は変わってしまったかもしれない。でもね、一度だってヒマワリを嫌ったことなんてないよ。それにセージやニゲラ、ヨモギに館長、他のみんなだって、命懸けでキミを救い出そうとしてくれた。みんながキミの帰りを待ってるんだよ」


 そう言ってカシアが歩み寄ると、ヒマワリは手に握った金属片を小さく振るわせた。首筋にできた赤い線に血が滲んでいる。ゆっくりと彼女の手を握って金属片を受け取ると、カシアはそっとヒマワリを抱きしめて優しく頭を撫でてやった。


 そして、彼女の耳許でささやく。


「もう大丈夫、僕はここにいるよ」

「私は永遠にカシアと一緒にいたかった。ただ、それだけだったのに」

「永遠なんて存在しないんだよ。エデンでキミと二人っきりで眺めたあの星々でさえ、いつか消えて無くなるんだ。永遠とは、変わることを恐れた人間が創り出した、ただの言葉に過ぎないのさ」


 ぽたぽたと、カシアの首筋に大粒の涙が滴り落ちた。

 シキミもようやく立ち上がれるようになると、こちらに歩み寄り、両手を広げて覆い被さるように二人を抱きしめてきた。今度は背筋に温かいものが流れ落ちる。


「一緒に帰ろう、私たちのホームへ」

「……ごめんね」


 ヒマワリが鼻水と涙でグチャグチャになった顔を綻ばせると、桜色の唇が大きく広がった。これからのことはまだ分からないが、きっとこの三人なら上手くやっていける……。


 カシアがそう、思い浮かべた時だ。


 突然、ホールの入り口にあった六角形の扉がはじけ飛ぶ。もうメトセラはいない、他にカシアたちを襲う者などいないはずだ。緊張が走ってカシアが身構えると、通路の奥から何かの音が聞こえてくる。


 コツコツ――これはヒールの音だった。


 そして、通路の照明で間延びした影がホールに差し込むと、白いスーツを着込んだ女性が姿を現した。その人物を目にした途端、シキミの眉根が大きく吊り上がった。


「マトリカリア………………貴様!」

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