第十幕 ―― 襲撃
《ピピッ》
腕輪が昼休みの合図を告げる。ちょっとした広場で汗だくになった男たちが廃材で作った大きなテーブルを囲み、昼食を取ろうとしていた。
和気あいあいとした雰囲気。粗野で下品な笑い声が響いていたが、前の職場で耳にしていた甲高い声と比べれば、気を遣わなくていい分、不思議と耳辺りがよく感じられた。
「カシア~! 皿持ってこっち来ーい」
「うん」
ロッカールームの隣にある配給カウンターの前に立つ。
いつもならセージお手製の弁当が用意されているはずだったが、今朝になって
「もっとすげーもん食わせてやるよ」
と、言われて手ぶらでここへ来たのだ。
「コレってまさか……?」
しかしメニューを流し見すると、手軽さ重視、体力重視、栄養重視、ゲロ不味い懐かし味が墓碑銘のように記されていた。
――もう二度と食べることはないはずだったのに。
口を歪め、ヨーグルト風味のゼラチンゼリーのプレートを指でタッチする。カシアは味気ない白で満たされた皿をトレーに乗せると、脱力してみんなが待っているテーブルへと赴いた。
「おまたせ……」
「律儀にそんなもん持ってきたのか? 皿がありゃいいんだよ。捨てろ、捨てろーい」
セージはいきなり、トレーに盛られていたゼラチンゼリーを後ろへ投げ捨てた。
べチャリと無残な音を立てて白いペンキみたく床にばら撒かれる。
「ああああ……」
「そんな顔すんな。これから俺たちが喰うのはコイツだぜ」
指差された方向に目を遣ると、冷凍庫から何かの箱が数人がかりで運ばれてくる。
それをセージがベルトポーチに入っていたナイフで封が切ると、中から脂身たっぷりの牛肉が現れた。
「セージ、まさかコレって……」
「その通りだ、皆まで聞くな~。おい、ちゃっちゃと鉄板に火を入れようぜ」
そう、彼らがやっているのは《横領》だった。
「着火!」
携帯用バーナーが小さな火をおして業務用コンロがボワッと青い炎を吹き上がる。
2メートル四方の鉄板を炙ると周囲の気温がグッと上昇し始めた。
「あー、解凍すんの忘れてた。まぁいいか、この陽気なら焼いてるうちに溶けるよな」
「マズイよこれ……バレたらどうすんのさ?」
「優等生くんよ、もう少し強かになれ。ここの倉庫にあるもんは、市街地に運ばれてから初めてポイント付けされるんだ。ってことは、多少の肉が減っていようが最初からなかったことになるのさ。どうだ素晴らしいだろ? 役得だろ~?」
「どうだ? じゃないよ、まったく……」
「ほれほれ、その小うるさい口に油が滴る肉を放り込んでしまえ。俺とっておきの秘伝のタレを分けてやろう。あと、この塩も使え。合成品じゃない天然モノだぜ」
「ええ~……」
脳裏にアウトの三文字が浮かんだが、時すでに遅し――。
飢えた雄の集団は市街地へ運搬されるはずの肉を貪り始めた。
食塩が入った瓶を投げ渡されると、ゼラチンゼリーが入っていた容器に食欲をそそるタレが波々と注がれる。和気あいあいとした空気と胃袋を誘惑する匂いに負け、観念したカシアは生唾を飲んで血肉が焦げた切り身にフォークを突き立てた。
そして――わずか30分で冷凍庫から20キロの肉が消失し、飢えた男たちは欲望を満たしきった。
「生きてる、生きてるぞぉ~い」
「もう無理、当分肉は見たくないよ……」
日差しが天窓から光の筋が何本か差し込み、寝転んでうわ言を呟くセージの容顔を照らし出すと、その隣でカシアも同様のポーズをとって食休みする。
――と、そこで内輪の一人がこんなことを口にし始めた。
「幸せって、なんすかねぇ~」
「今、それを実感してるところだろ?」
「いやーそうなんっすけど。何だか漠然としすぎてて、本当はもっと大事なモノのために使うための言葉じゃないかって思うんすよ」
「お前、頭大丈夫か?」
「いやいや……シラフっす」
そんなたわいない会話を耳にしてカシアも想いを巡らせる。
今の生活は目に見えない何か大きなモノに、守られ、与えられるだけで、自ら勝ち得たものではない。それがいつか忽然と無くなってしまった時、自分たちはどうやって生きていけばいいのだろう?
そんな一抹の不安が胸中を黒くくすませた。
「そういや、以前ここにいた先輩に訊いた話なんだが……」
今度は別の男が口を開く。
「どうやらシーヴァには、さらに上位の施設があるらしいぞ」
「上位……?」
「ああ、なんて言ったか……。そう《ユメノシマ》って名前だったと思う」
「何だよソレ、ぱっとしない名前だな」
「名前のことなんて知らねぇよ。そういう呼び名だったんだから。それによく考えてみろよ。ここにはせいぜい15歳から20歳くらいの人間しかいないだろ? つまり、ある年齢になると……行くんだよ。その《ユメノシマ》ってとこに!」
「ふーん、ここよりも安気な場所か。想像もつかねぇな~」
ユメノシマ、そんな場所が本当に存在するのだろうか?
興味深い話に耳を傾けていると、他の仲間がまた新たな話題を持ち込む。
「別の世界で思い出した。先週、Dブロックの知り合いから聞いた話なんだがよ、外からやってきた人間に襲われたんだとさ」
「外? この外壁のか?」
「ああそれ、俺も聞いたことあるな。何でも黒ずくめの連中で自分たちのことを《ティオダークス》って呼んでたらしい」
「本当にいるのかよ、そんな連中?」
「聞いた話なんだから分かんねーよ」
「でも本当にそんな大事件があったなら、すぐにでも腕輪に情報が流れてくるよな?」
「ちぇ、眉唾かよ。ただでさえ話題に飢えてる場所なんだ。実際に怪我人が出てたら大騒ぎになってらぁ」
たしかにそれは現実味に乏しい話ではあった。
人が人を襲う――そんなことが起きたのは遥か大昔の話で
求めれば得られる――満ち足りた社会であるシーヴァではとても非効率な思想だったからだ。
『コツンッ』
「ん、何か落ちてきたぞ?」
すると、焼き肉をしていた鉄板の上にナットが転がり落ちてきた。
みんなで天窓を仰ぎ、真昼の日差しに目を細める。
「黒っぽいもんが動いてねぇか?」
「俺にもそう見える、人だ」
「あ、一斉に降りてったぞ」
その刹那――頭上で連鎖的な爆発が起きた。
「やべぇ、逃げろぉおおおお!」
轟音と共に瓦礫とガラス片が雨の如く振り落ち、仕事仲間たちが口々に叫んで四散していく。
いや、一人だけは違った。
命の危機が迫る中、長い話に飽きたセージは夢の世界へと誘われていた。
カシアが慌てて彼の首根っこを掴んで引っ張った。
「くぉの~、起きろセージ! 本当に残念な最後になっちゃうよ!」
しかし、自分より大きな彼を担ぐことは到底叶わない。
息を呑み、カシアはとっておきの呪文をセージの耳許で囁いた。
「大変! 裸エプロンのマツリカがロッカールームでキミを手招きして呼んでるよ!」
「……ぬぅわんだってぇええええええっ!」
効果適面だった、セージは目をカッと見開いて首跳ね起きをする。咄嗟にカシアを抱えるとロッカールームへ駈け出し、寸でのところで二人は落下する瓦礫から逃れた。
そして、血走った目でセージは叫ぶ。
「ドコだ、ドコだぁあああ! 裸エプロ~ン!」
「それどころじゃないよ、早く逃げなきゃ。誰かが襲撃してきたんだ!」
カシアの言葉通りその連中は現れた。黒ずくめの集団が武器を手にして、次々と坂になった瓦礫を駆け下りてくる。銃にナイフ、中には鉄パイプを握りしめた者までいた。
その中でも目立っていたのは、赤いスカーフを腕に巻いたリーダー格と思しき男。
悪趣味な茶髪のリーゼントを櫛で掻き上げると、澄ました顔で命令を下した。
「奪え、何一つ残すな!」
「おおうっ!」
「く、来るぞ、逃げろ~!」
号令とともに黒服たちが一斉に銃を乱射して仕事仲間たちを追い散らす。さらにはロケット砲を持ち出して倉庫の扉を吹き飛ばすと、運び込んだばかりの物資を次々と略奪していった。
――倉庫で反響する歓喜の声。
「いやっほう! 今回も大当たりだぜ」
「グズグズするな、保安マーキナーが来るぞ!」
《エリアA3に外敵の侵入が確認されました。付近にいる方はB2シェルターへ避難して下さい、繰り返します……》
黒服たちの言った通りけたたましい警戒音が鳴り響く。セキュリティーが異変を察知して、ものの30秒で二体の自立型保安マーキナーが現場へと駆けつけた。
無機質な白い流線型のボディ。上部に格納されていた赤い警告灯が眩い光を放っている。足はなく円形の特殊な電磁コイルから青紫のイオン風を吐き出し、機体が地面から一メートルほどの高さを浮遊していた。
《ピピピピピ……》
「ちぃ、もう来やがったか」
継ぎ目の見えないボディが複数のパーツに別れて、格納されていた腕や頭、対人用インパルス銃(放水砲)が姿を現す。縦横に赤い光を発して腕輪のない者をスキャンすると、銃口から高圧縮した水弾が発射して黒服たちが次々とはじき飛ばした。
「ぐわぁああああっ!」
「くそ、前回より手強いぞ」
「撃て撃てぇ!」
数人の黒服が手にした自動小銃を構えて保安マーキナーに向けて乱射する。
が、チタンフレーム製のボディが火花を散らすだけでまるで歯が立たない。
さらに保安マーキナーが後部に搭載したボックスから、人の頭ほどある銀色の球体を次々にバラ撒く。それが八本足の蜘蛛型マーキナーへと変形し、口に仕込んだ射出式スタンガンで侵入者を次々と感電させていった。
「やれやれ~、よく分からんが全員とっ捕まえちまえ!」
その有様をセージは拳を振り上げて楽しんでいた。
が、カシアは隣で呆然と立ち尽くして、黒服たちが侵入してきた瓦礫の先にある《外界》を仰望していた。
「下がりなさい、ここは私がやる!」
視線の先に人が立っていたからだ。
漆黒のボディスーツをまとい、黒い楕円形のヘルメットで面を覆っていてる。
腰に携えているのは刀。逆光で視界がぼやけていたが、ピッタリ張り付いた黒いボディスーツが体のラインからその人物が女性であることは間違いない。
――この気の高ぶりはなんだろう?
言葉では言い表せないこの胸の苦しさ。
激しく心臓が波打ち、カシアは体中の血液がマグマのように熱く滾る。
「セーフティー解除、起きろカグツチ……」
《生体認証完了、バイオナノファイバーとのリンク開始――》
カグツチ――彼女が腰に携えた刀はそう呼ばれると、合成音声でそれに応える。
ただの刀ではない。柄を囲うように複数の電子メッセージが浮かぶと、真っ白な蒸気が排出して唾に施したロックが解除された。
黒スーツの女は刀の柄を握ってグッと腰を屈める。
スーツの継ぎ目に細く赤いラインが発光した。
「うひょ~っ! マツリカには敵わねぇが、なかなかいい胸してるぜ。あのトップとアンダーの差……サイズは《F》と見た!」
セージが額に手を当て鼻の下を伸ばす。
途端、黒スーツの女は二、三歩助走をつけて踏み出すと瓦礫を蹴って宙を舞った。
体を回転させながら刀を抜刀し、落下の勢いと共に保安マーキナーの右腕に装備していたインパルス銃のホースを切り落とす。
圧縮された水が勢いよく噴き出して、外から差し込んだ光を乱反射させた。
「お嬢、後ろだ!」
後ろで声がする、さっきのリーゼント男が黒スーツの女に警告を発した。保安マーキナーは武器を失っただけで完全に沈黙していなかったのだ。
直ぐさまインパルス銃を切り離すと、フレームが剥き出た腕が彼女をめがけて力まかせに振り下ろされた。
ぶつかり合う金属音――。
それを予測していたかのように黒スーツの女が刀身を肩に乗せると、降り落ちてきた打撃を受け流し、鉄塊が火花を散らせて床に激突した。周囲を粉砕されたタイルとコンクリートが粉塵となって視界を遮る。
灰色の煙に赤い閃光が走り再スキャンが行われると、保安マーキナーが力まかせにもう片方の腕を横に振り抜いた。
二つに裂かれた粉塵が渦を巻いて消し飛ぶと、そこに黒スーツの女の姿はなかった。
しかし、殴り飛ばされたわけではない。
カシアは見ていた。彼女は襲いかかった腕に片足を乗せ、その力を利用して猫の如く後ろに飛び退いていたところを。あり得ない高さを舞い、宙返りして床に降り立った黒スーツの女は再び鞘に刀を収める。
その際、ゾッっとする殺気にカシアは身を強張らせた。
それほどの殺気を彼女が発したからだ。
そして、次の瞬間――それは繰り出された。
「斬……鉄……!」
橙色の閃光。一瞬、周囲の空気が歪む。
高速で抜かれた刀身は赤く熱を帯び、熱波の刃が保安マーキナーに襲いかかった。
赤い一筋の線が白い無機質なボディを斜めに焼き斬り、上半身がズシンと重い音を立てて地面に滑り落ちた。
「おいおいおい……嘘だろ? 鉄を両断しやがったぞ」
セージから驚嘆の声を漏らしていたが、カシアはすぐに別の言葉を吐く。
「あぶないっ!」
それは陽の当たらない薄暗闇から無骨な腕が忍び出てきて、黒スーツの女に襲いかかる。保安マーキナーがもう一体残っていたのだ。
漆黒のヘルメットの中でこもった声が漏れ出る。
「――筋力加算(ストレングス・ブースト)」
突如、黒スーツの女が身にまとっていたスーツが糸のようにほつれて無数の細い繊維になると、それが筋繊維となって再び彼女の体を縛るように貼りついた。
「ハッ!」
彼女は膝に力を込め、頭部に迫った金属の腕を蹴り上げる。弾かれた力に耐えかねて保安マーキナーの腕は無残に千切れ飛び、天窓を割ってダラリと鉄骨に垂れ下がった。
間髪入れず黒スーツの女は体をくるりと一回転させて元の態勢を戻す。
手にした刃先を白いボディの奥深くまでに突き立てた。刺し口から洩れる青白い火花が黒黒としたヘルメットのバイザーに映り込み、薄らと彼女の面持ちを浮かび上がらせる。
そのまま大型の保安マーキナーは沈黙し、灯っていた赤いライトが消える。
しかし、バラ撒かれた蜘蛛型マーキナーはまだ大量に残っていた。他の黒服たちも奮闘して何体かを破壊していたが、仰向けに倒れた一人が蜘蛛型マーキナーに押さえつけられて悲鳴を上げる。
黒スーツの女が引き抜いた刀をすぐさま投げつけると、弧を画いて飛翔する刀身が蜘蛛型マーキナーの胴体に突き刺さった。
そのまま遠心力まかせに男からマーキナーが引き剥がされる。
「ニゲラ、ちゃんとマーキナーの動向を見てなさい!」
「す、すまねぇ。撤収だ、急げ!」
リーゼントの男が号令を発すると倉庫内に残っていた黒服たちは荷を投げ捨てて、一斉に瓦礫の坂をよじ登る。一人、坂の前に残った黒スーツの女がしんがりを努めると、周囲を六機の蜘蛛型マーキナーに取り囲んだ。
彼女は首を鳴らして人差し指から順に指を握る。
キュイーンと電圧がかかる音がトンネル状の倉庫に響き渡る――青白い発光。
蜘蛛型マーキナーが発射したスタンガンの電極が左右から迫ると、黒スーツの女は咄嗟に開脚して地面に伏せる。
電極が互いのボディに跳ね返って虚しく地面に落ち、そこから彼女は美しく両足を揃えて逆さ立ちすると、靭やかな足を右から順に地面に着地させた。
その際、地面に延び落ちたワイヤーをつま先で素早く巻き取り、振り子にされた蜘蛛型マーキナーが三体を巻き添えにして壁に激突。
そこからはあっという間だった。
黒スーツの女が正面の敵に飛びかかると右から左へと手早い乱打と蹴りを浴びせ、蜘蛛型マーキナーのアームやボディを次々と粉砕すると、最後の一体に頭部へ強烈な掌打を喰せた。
もげた首がカシアの足元に転がると、彼女は鎮圧に現れたマーキナーのほとんどをたった一人で退けてしまった。
「お嬢、戦利品はいただいた。さっさとズラかろうぜ!」
「……ああ」
この時、カシアは思った。
デザイナーチャイルドとはいえ、こんな戦闘に特化した人間などいやしない。
こんな異質でバカげた力は見たことがない。
彼女は一体何者なのだろう?
眼前には平和と繁栄を象徴するシーヴァとは相反する、暴力的なまでの破壊。
もう二度と、あの生活には戻れない――。
そんな予感を覚えながらも、カシアは何故かこの女性から目を離せなかった。
カツカツとヒールの音を立てて彼女が投げつけた刀に歩み寄り、それを引き抜く。
スーツに浮かび上がった赤いラインが消えて彼女が首にあった固定具を外すと、鏡のように反射していた黒いヘルメットを脱ぎ取った。中から紫黒色の長い髪が溢れて、光沢を放つ絹糸のようにサラリと肩から流れ落ちる。
色白の肌に血の通った赤い唇。
大きな碧眼がこちらを流し見して、カシアは彼女と向き合う。
それは紛れも無く《夢の少女》が成長した姿そのものであった――。
「あっ……」
カシアは大声で彼女の名を呼ぼうとする。
けれど、声にならない。
名前が分からず言葉が喉に引っかかったからだ。
吐ききれない想いが込み上げて、グッと自分の胸ぐらを掴む。
彼女の方は動きを止めて、恐らく一度も切っていないと思えるほど伸びた前髪を指でよけると、静かにこちらを見澄ました。
二人の間に流れる――一時の沈黙。
実在していた?
彼女があの夢の少女なのか?
期待、喜び、驚き、不安、さまざまな感情がごちゃ混ぜになって押し寄せてカシアは今にも卒倒しそうだった。その戸惑うカシアを目にして紫黒色の少女が少し口元を緩ませると、こちらに手を伸ばそうとした。
「カ……」
――その時だ。
「カシア!」
突然呼び止められた声でカシアが後ろを振り向くと、白い塊が首元に飛びついてきた。その白い塊とはフードのようで、ぶら下がった重みに耐えかねたカシアがゆっくりと小柄な体を床に下ろす。
スッポリと頭を覆っていたフードを剥ぎ取ると、そこから長いブロンドのおさげが垂れ落ちた。
「ひ、ヒマワリ?」
「大丈夫? ケガしてない?」
目に滴を浮かべたヒマワリが体のあちこちをペタペタと触ってくる。
カシアは彼女の両手を掴むと若草色の瞳を覗き込んで言った。
「どうしてこんな所にいるんだい? 危ないじゃないか!」
「だって、カシアがセージと一緒に仕事なんて……心配して当然じゃない」
「おい待て、俺はそこまで信用に足りない男なのか? そもそも、これは……」
すると、あっけに取られていたセージも我に返って自分の正当性を主張しようとしたが、ヒマワリは怒り心頭でやり返す。
「当たり前じゃない! こんな危ない所にカシアを連れてきて……ヘタしたら大怪我するとこだったでしょ! カシアがいなくなったら、私はどうしたらいいのよっ!」
「いや、それは俺じゃなくてヤツらに言って……」
彼女の威烈した剣幕にたじたじとしたセージは汗を拭う。
崩れた瓦礫の上に指差すと――そこに立っていた紫黒色の少女は緩んでいた口元を下げ、柄に刀を収めると一言も発することなく背を向けた。
「き……キミ、待ってよ! キミにどうしても聞きたいことがあるんだ。あの夢に一体何が起きて……」
彼女は何も答えない。
「さぁ、帰りましょ。いつまでもこんな所にカシアを置いておけないわ……カシア?」
「…………」
これで終われるわけがない。
ずっと抱いてきた謎が、想いが、今目の前から消えようとしている。
夢が現実へと変わり、謎が確信に変わろうとしているのだ。
このまま紫黒色の少女を見送るなどカシアには到底できない。
袖を掴んだヒマワリの手を振り払い、危なっかしく瓦礫の坂を這い登った。
「戻って来い、馬鹿野郎!」
「何やってんのよ、危ないわ!」
「ごめん……。どうしても、どうしても行かなくちゃいけないんだ!」
何が起きたのか分からない様子でヒマワリはこちらを必死に見上げている。彼女の悲痛な面貌が胸に刺さりつつも、カシアは掴めるものは何でも掴み無我夢中で瓦礫をよじ登った。
そして、頂上で立ち尽くす。
「これが外界……」
生まれて初めて生で目にする蒼天の空。
湿気交じりの生暖かい空気にむせ返るほど濃い植物の精気。
今、目にしているのは紛れもなく本物の世界だった。
「さぁ、引き上げだ。今回も大成功だったぜ」
すると、外壁の下にまだ数人の黒服たちが残っていた。
彼らは靴に長細い板をはめると、小型のホバーバイクに引っ張られて湿地の上を滑走する。中にはソリみたいな大型の乗り物もあり、略奪した物資を満載して生い茂るジャングルの中へと姿を眩ませた。
「待ってくれ、僕はあの子に訊きたいことがあるんだ!」
叫んだ声はモーター音に掻き消されてしまい、連中の耳には届かない。
このままでは見失ってしまう。
そんな強迫観念が頭から溢れ出し、カシアは外壁を滑り降りて湿地に飛び込んだ。
彼女と話したい――だたその一心で。
先のことなど分からない、どうでもいい。
ただ長年、紫黒色の少女に恋い焦がれた想いだけがカシアを突き動かしていた。
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