第九幕 ―― 新しい仕事、新しい仲間
翌日の朝、カシアはモノレールの中で車窓からいつもと違う景色を一望していた。
進む先には白く霞んだ先に見える巨大な外壁。
よくよく思い返せば、市街地の外へ出るのは初めてだった。
眼下に広がる緑の絨毯。ここには碁の目のように区画分けされた農地があり、種まきから収穫まで完全に自動化されたシステムによって、年中安定した食糧をシーヴァに供給することができる。この日もマーキナーたちがインプットされたプログラムに従い、実りを迎えた作物を収穫していた。
続けて、反対側の窓を覗き込む。
こちらには収穫後の畑が点在していて放牧された家畜が残された干し草を貪っていた。箱庭でキジやウサギなどの小動物を見かけたことはあったが、ここに放逐されている動物は人より一回りも二回りも大きい。
しかも群れで動いてる様は何よりも圧巻で、カシアが物珍しい光景に興奮してガラス窓に張り付いていると、セージも隣に顔を並べてこう言った。
「どうだ、ゴミゴミした街中とは一味違うだろ?」
「セージっていつもこんな遠くまで通ってたんだね」
「だろう? 偉いだろう? こうやってお前たちの食いぶちとマツリカの胸の維持に貢献してるんだぜぇ」
「勘違いしてたよ、セージって本当に――」
「本当に?」
「とことん残念な奴だったんだね」
「おいっ!」
たわいない会話が続く。
セージと二人だけで話すのは久しぶりだった。次第に話題がヒマワリやマツリカの前で話せない悩みや愚痴に移ると、カシアはつい踏み入った質問をセージに投げかけてしまった。
「そういえばさ、マツリカがよく同じ寝室で寝るのを許したよね。いつもの様子だと絶対に拒絶されそうなのに」
「何だ、他人様の夜の営みが気になるのかよ」
「べ、別にそういうわけじゃないけど……!」
少し失礼だったと思い返してカシアは口篭もる。
何故こんな話を持ち出したかというとずっと気にしていたからだ。
マツリカに好意を寄せられる自分を彼はどう思っているのかと。
普通ならば嫉妬されて当然だ。
それなのにセージはカシアを親友のように扱ってくれる。
もしかしたら二人は、誰も見ていないところで上手くやってるのかもしれない。
そう思いたかったからだ。
カシアが気まずそうに顎を下げると、セージはそれをまったく気にする風でもなく目を伏せて淡々と答えてくれた。
「床だ――」
「ゆ、床?」
「そうだ、床だ。俺は毎日、床で寝起きしている」
「…………」
「出会った時からの取り決めでな。マツリカのベッドに入り込むと男としての機能を奪われるという、おっかねぇ誓約書にサインさせられたんだ。それ以降、俺は床からマツリカが寝返りを打つ音や寝息に耳を立てて、どんな露わな格好で寝てるのかと想像するだけでもう……ディヒヒヒヒ」
それはもう予想のはるか斜め下をいく、酷い回答だった。
「――悪いこと聞いちゃってゴメンね、君ってほんと残念な奴だよ」
やはり彼はただの馬鹿なのか?
理解しがたい真実ではあったがカシアはこの話から二つのことを読み解く。一つは、セージはカシアと張り合う気など微塵もないということ。もう一つは、彼が褒められて伸びるタイプではなく虐げられて伸びるタイプだということだ。
そして、男同士の語らいに終わりが訪れて走り続けていたモノレールが外壁に到着した。
外壁のターミナルは辺地ということもあり、まだ建設途中で鉄骨やコンクリートがむき出しになっていた。足場には所々に金網が張られていて30メートル下の地面がぼやけて見える。
ホームにぞろぞろと男ばかり数十人が下車すると、その半分が外縁に沿って走る別のモノレールに乗り換えていった。
「殺風景な場所だね、それに造りかけだし……」
「まぁ、大丈夫なんじゃねーか。作業は俺たちが帰った後、建設用マーキナーがもりもり組み立ててるって話だから、その辺りはちゃんとしてるだろうよ」
「なるほどね……」
ここは何もかも揃っていた以前の職場とは大違いだった。ホコリっぽい空気にペンキが剥がれてザラつく足場、窓も風除けもない開かれたホーム。もちろん案内標識などありはしない。
「こっちだ、ついてきな」
セージの後を追って外壁の方へ足を進める。そこには人だかりができていて、外壁にへばりつくように設置された簡易階段を一人一人順番に下っていた。
「ここ降りるの? エレベーターは?」
「馬鹿野郎、そんな上等なもんあるか。お前は便利さに馴れすぎてんだよ。それにいざって時に自分の足が使えるってのは重要だぜ。俺は勝手に動くあの箱の方が怖ぇえよ」
セージはそう言って笑ったがどうも気が進まない。そのいざという時に身を守ってくれるのは、仮止めされた鉄パイプ一本。何かの拍子に足場が崩れたらと思うだけで膝の震えを押さえることができなかった。
「さぁ、いったいった。日が暮れちまうぞ」
「分かったから押さないで!」
回りから失笑する声が聞こえる。
カシアは恐怖と恥ずかしさを堪えると外壁のコンクリートに両手を付けて、一歩、また一歩と心許ない足場を降りていく。10分ほどかかってしまったが、どうにか物資保管施設のある一階まで無事たどり着くことができた。
「カッカッカ、ワーストタイム更新だな。初めてここへ来た奴はみんな怖じ気づくんだが、ここまでとは思わなかったぜ」
「……頭脳派なんだよ、僕は」
人気がなくなったホームに発車のベルが鳴り響く。
再びモーターが唸り、外縁行きのモノレールは市街地へ折り返すようだ。
ふと、その音に釣られてふとホームを見上げると、そこにカシア達とは異なる風体の人物が独り佇んでいた。袖無しの白いパーカーを頭に深くかぶり、白くか細い腕がだぶついた腹部のポケットに差し込んでこちらを見下ろしている。
丁度ドーム内の気温を調整する巨大な空調が動き出すと、その人物は強い風に巻かれて脱げそうになるフードをサッと手で押さえ――そのまま姿を消してしまった。
「僕以外にも降りられなかった人がいたのかな……」
「おーい、ちゃんと付いてこーい!」
「ゴメン、今行くよ」
セージが働いていた物資保管施設は半円状をした巨大なトンネルの中にあった。
このトンネルは緩やかに左へと曲がり、直径数キロはあるシーヴァ外壁に沿ってぐるりと円を描くように繋がっていた。
「ふぁ~、中はこんな風になってるんだ」
「スゲーだろ」
「すごいね、人間ってこんなものを造り出せるんだ」
「建設や増築は全てマーキナーがやってるからそんな実感はねぇけどな。人間は危険な仕事をやらせてもらえねぇし」
「まぁ、それはそうなんだけどね」
ここは前の職場とまるで様相が違っていた。
無骨な鉄の機械、騒々しい駆動音、鼻につく潤滑油の臭い。
特に目を引いたのは地下から搬入された物資がベルトコンベアの上を血液のように流れていて、種類や用途に合わせて細かく分類されている様子だった。これらはやがて施設の心臓である市街地へと送られ、シェルを介して人々に消費されていく。
これもカシアの知り得なかった街の裏側であり、仕組みの一つだった。
「ほら、ボーッとしてねぇで行くぞ。俺らの担当はあっちだ」
「うん」
セージに背中を押されてある扉の前にまで連れて行かれる。その横にはロッカールームと書かれたプレートがあり、同じモノレールで居合わせた同世代の青年たちが白いつなぎに着替えているところだった。
セージが自分の指を追ってプレートのナンバーに目を走らせると、
「あった32番。ここがお前専用のロッカーだ。必要なもんは全部ここに入ってっから」
「ありがとう」
正面にあった青いボタンを押すとエアーの音とともにロッカーの扉が開かれる。
白いつなぎとタオル、黄色いヘルメット。
それとさまざまな工具が入ったベルトポーチが吊されていた。
「これは?」
「支給品だ。一応、規則だから全部身に付けておけよ」
「これどうやって使うのかな? 何だかワクワクしてきたぞ」
それから5分経過する――。
と、物資運搬路に青年達の笑い声が木霊した。
「だぁ~ははははっ、何で前後ろ逆に着てんだよ! 用を足す時どうすんだ。お前のは後ろに付いてんのか?」
「アレ、アレ?」
カシアはまごついて背中を覗き込む。
上げきれなかった半開きのファスナー、身体情報に不備があったのかヘルメットが大きすぎてスッポリと隠れてた顔……。
「まてまて、手伝ってやるよ」
すると、見るに見かねたセージがニヤけ顔で手を差し伸べる。カシアはつなぎを脱いでタンクトップ姿になり、前後を裏返して白くひ弱な腕に袖を通し直す。可怪しいと思いつつ自分なりにアレンジしてたつもりだったが、やはり間違っていたとカシアは赤面した。
「あ、ありがとう」
「しかしまぁ、なんだ。思ってた以上にヒョッロヒョロだなぁ、お前……」
「だって、運動嫌いだし」
「馬鹿野郎、男にあって女に無いものは何だ? それは鍛え抜かれた筋肉! 体力つけねぇといざって時に女を守ってやれないぜ」
馬鹿に馬鹿と呼ばれるほど滑稽なことはなかったがここは素直に頷いておく。さらにセージは偉そうにつなぎの袖を腰に巻いてタンクトップ姿になると、鍛え抜かれたという上腕二頭筋に力を入れて男を誇示する。
が、そんなに自慢できるほどのものでもなかった。
せっかく凛々しく整った顔立ちになのに性格がこれでは宝の持ち腐れだ。旧人類が信じていたという《神》が実在するならば、ぜひ一度カシアは問うてみたかった。
どうしてこんな不毛な男をこの世に創造したのかと。
《ピピッ》
そして、腕輪が新たな仕事の開始を知らせる。
仕事の内容はというとベルトコンベアで地下から流れてきた物資をリフトや台車、運搬用マーキナーに積んで倉庫に運ぶという、いたって単純なものだった。袋詰めされた穀物に収穫された野菜、何かの電子部品や衣類などなど。ラインごとにさまざまな品物が目まぐるしくカシアの前を流れていく。
そこで一つ気になることがあった。
床には白と黄色のラインが引かれていて人とマーキナー、扱う物が分けられていたためだ。カシアはあちらには何が流れているのか……と興味を抱く。
「ねぇ、セージ」
「あーん、今度はどうした?」
「黄色い線より向こうにはどうしてマーキナーしかいないんだい?」
「そんなことか。白は人、黄色はマーキナー、扱う荷が別けられてんだ。マーキナー共が運んでるのは俺らの目に触れちゃいけねぇ代物らしいけどな」
「へぇ……それってどんな?」
「よし、見に行こうぜ!」
「ちょ、ちょっと、今見ちゃダメって言ったばかりでしょ」
セージが戸惑うカシアの手を引っ張って黄色い境界線を踏み越える。限りなく人に近い形状をしたマーキナー達が高速でタグを貼ったり、物品のIDを読み取ったりしていた。
恐る恐るマーキナーの顔を覗き込んでみたが、彼らは自分に与えられた命令をひたすらこなすだけでこちらに何の関心も抱いていないようだった。
「なーにビクついてんだ。とって食われりゃしねーよ」
「うん……それにしても凄い速さだね。とても人間じゃこうはいかないや」
と、その時だ。カシアの網膜に信じられないモノが映り込む。
「本! 本だよ、本物の本だよっ!」
それは紛れもないデータ化される前の原本だった。
「お前、こんなのが珍しいのか?」
「だって今まで、電子化されたものしか閲覧できなかったんだよ? それに事前に検閲も終えてない代物だし……」
「ほらよっ!」
話を最後まで聞かずにセージがラインに流れていた一冊を拾い上げ、こちらに投げ渡してくる。カシアはそれを危なっかしく受け取った。
「触っていいの?」
「平気だろ、苦情なんて来たことねぇしな。それに俺はここで覚えた知識で料理のレパートリーを増やしてんだから。電子端末でちまちま見るの好きじゃねーんだわ、俺」
「へぇ……」
カシアは感無量だった。
本来なら検閲に引っかかってお目にかかれない原本がここには無尽蔵に存在する。
それに運さえ良ければ旧約聖書のような本も見つかるかもしれない。
高鳴る鼓動を抑えきれそうになかった。
感動しつつ受け取った本を指で感触を確かめて丁寧に……めくった。
「ぶはぁっ!」
途端……カシアの鼻から赤いモノが滴り落ちた。
そこに描かれていたのは胸を隠した女性の裸だったからだ。
「お、すっげぇモン見つけたな! こいつは大事なモノだから俺が預かっておこう」
「君ってほんとに残念な奴だよっ!」
セージが辺りを見回してサッと懐に本を収めると、とんでもないモノを見せられたカシアは鼻を押さえて彼に軽蔑の眼差しを送った。
近くの水道で顔を洗って鼻に栓をする。濡らしたタオルで鼻頭を冷やし、火照った顔と心を静めていた。あまりに刺激が強かったためかイメージが脳裏に焼き付いて離れない。それに家に戻ったらヒマワリとマツリカにどんな顔で接すればいいかも分からない。少しずつ、着実に、自分があの男に穢されていることをカシアは悟った。
そこへ諸悪の元凶が戻ってくる。
「治まったか?」
「うーん、なんとか」
「まぁ初日だし、マツリカから怪我をさせるなって釘も刺されてるからな。今日は大人しくここで本でも読んでろ」
「でも……」
「今度は大丈夫、俺が検閲して理解不能な本だけ持ってきたから安全だぜ」
「……いいのかな?」
セージに数冊の本を手渡されて気まずそうに周囲を見回すと、他の仕事仲間もセージの言葉に頷いていた。カシアは申し訳なく会釈して、彼らの気遣いをありがたく受け取ることにした。
ぽかぽかと、陽気が磨りガラスを抜けて古びた本の上を明るく照らし出す。
温まった本からは電子書物では味わえないインクと紙の匂いが鼻先に漂ってくる。
改めて手にした本物の本は冒険記だった。
縁の回りを日焼けした紙から歴史を感じると手にずっしりと重みが伝わってくる。電子化された後では味わえない感触だ。
「昔の人は視覚だけじゃなく、五感、全てを使って本と向き合ってたんだな――」
それが当たり前であった時代に思いを馳せると、カシアは指をペロリと舐めて一枚一枚大切に読み解いていった。
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