第八幕 ―― 望まない選択
夕食を終えてみんなで後片付けを済ませる。
カシアはソファに寄りかかり腹を押さえて食休みすると、最後に飲んだ味噌汁の温かさが胃の辺りにまだ残っているのを感じる。いつも美味しいものを食べていたが今回の料理は格別。すっかり和食が好きになってしまった。
いくら知識を積んでもカシアにはあの料理を作ることは出来ない。
絶対味覚――きっとこれがデザイナーチャイルドとして、セージに本来備わっている能力なのだろう。
ただシーヴァでは衛生面の問題から料理の腕前を披露できる職はない。
食事のできる店は幾つか存在はしているが、全て過去のレシピと統計によって選ばれたメニューが出されるだけのもので、ほとんどの住人がそれだけを食べている。
以前、セージが寝坊して弁当無しで出勤した時に一度だけ利用したことはあったが、味の中に隠された化学調味料の味に馴染めず三口ほどでかたしてしまった。
セージの料理無しではもう生きていけない体にされてしまったと気づき、カシアは肩をすくめて身震いした。
《ピピッ》
「こんな時間に?」
ふと聞き慣れた電子音が耳をノックする。カシアが背もたれから身を起こして腕輪をタッチすると、顔前にスクリーンが展開して職業更新の案内というメッセージが表示された。
「そういや稀に、更新の通知が来ることがあるって俺の職場の誰かが言ってたぜ」
大きく後ろに仰け反ると、明日の仕込みを終えたセージがカシアの座った椅子の背もたれに手をかけ、勝手に画面を覗き込んでいた。
まったくデリカシーのない奴だと思いつつ、カシアはふと今日の仕事中に掘り出した《旧約聖書》のことが頭を過ぎる。
自分とよく似た物語、あの夢に繋がる唯一の手がかり。
ようやく見つけたチャンスを捨てて他の職を選ぶ理由など、カシアにありはしなかった。画面で赤く点滅するボタンを押す。
「考える必要もないよね、更新っと」
《ビビー。アナタはこの職業に必要な基準を満たしていません。おすすめリストから再度、職業を選択して下さい。第一候補、情報部……、第二……》
予想だにしなかった結果で途中から音声ガイドが耳に入らなくなり、カシアの顔から一気に血の気が引いた。何度も更新ボタンを押したが、延々と同じセリフが繰り返されるだけだった。
やり場のない不安と焦りがカシアの胸中を黒く染め上げていく。
「どうしてなんだよっ!」
普段声を荒らげることのないカシアに驚き、セージが心配そうにカシアを宥める。
「まぁ、落ち着けって。次回の更新で戻れるかもしれないだろ?」
「そうかもだけど、でも……」
ようやく掴んだ、唯一の手がかり。
神が作った楽園エデン。禁断の果実と赤い実。
そして、夢に現れる少女の正体――。
全てが振り出しに戻ってしまったことを悟りカシアは酷く落胆した。大きく肩を落として背中を丸めてソファに体を沈めると全身が脱力感に包み込まれていく。喪失感に苛まれてボーっとスクリーンを眺め続ける。
「はぁ、明日からどうしよう。第一候補の情報部って言えば、たしかマツリカの……」
「その前にちょ~っと話があるんだが、いいか?」
「わわっ」
突然、生暖かい息が耳にかかって鳥肌が立つ。セージに後ろから小声で耳打ちされたからだ。その彼がソファの背もたれを跨いで隣に座り込むと、図々しくカシアの肩に腕を回してくる。
「実はヒマワリのことなんだが……。今朝はちょっと、俺も言い過ぎたって思ってな。それでアイツに何かお詫びを……なんて考えたんだが、何が好みかさっぱり分かんなくってな。そこでだ……お前の知恵を貸してくれ、頼むう!」
彼の口から出た言葉は意外なものだった。
「セージ」
「何だ?」
「君って本当に残念だけど、実は最高にいい奴だったんだね」
「ウッセェ、当たり前だ。そんなことダンディーな俺様が一番よく分かってんだよ」
カシアがニヤリと笑うと、照れくさそうに鼻を掻いたセージがグイっと顔を寄せてくる。近い近いと身を引くと、彼はお構いなくその間をズイズイと詰めてきた。
「で、どうなんだよ~?」
「うーん、女の子が喜びそうなものは人並みに好きだけど、それで機嫌が直るかと言われると……そうだ! ヒマワリって、意外と土いじりが好きなんだよね」
「おうおう。たしかに最近、庭に花壇とかこしらえてたな。そうなるとここはフルーツの王様、ドリアンかっ!」
「いや、そこは花でしょ」
女心を理解しないセージに呆れ、カシアはため息を漏らす。腕輪をタッチしてシェルの交換レートを開き、そこから《花》で検索をかけてみる。無数の品種が画面にリスト化されて上へ上へとスライドしていると、割って入ったセージが指差して画面を静止させた。
「これなんてどうだ、
それはラン科の花で白い花弁に薄い紫がかった秀麗な姿をしていた。
「良さそうだね、コレいくらするのかな。ええっと……一、十、百、千、万……に、20万CP~っ!」
「たっか! 俺がもらってるひと月分のポイントと同額だぜ」
「え、そんなにもらってるの? 僕なんて8万だよ、8万!」
「アンタ達、男同士で何コソコソやってるのよ。気持ち悪いわねぇ……」
「はひぃいいっ!」
再び、背後からの声に二人の尻がソファから浮く。
声の主はこともあろうかヒマワリ本人だった。
彼女は興味津々に二人の顔の隙間から首を突っ込み、開いていたスクリーンを覗こうとしたため咄嗟の判断でカシアが腕輪を手で覆い、寸でのところで計画が露見するのを防いだ。
《ピッ》
「あーっ! 何で消しちゃうのよ!」
簡単に諦めるような子ではないことをカシアは誰よりも知っている。
疑念を抱いた眼差しが痛いほど右顔に突き刺さり、ヒンヤリとした汗が首筋を流れる。弾力のあるリンゴ色のほっぺが大きく膨らんで、睨んでいた箇所に体当たりしてきた。
「まさか、如何わしいものでも見てたんじゃないでしょうね?」
「そそそそ、そんなワケないよね、セージ?」
「そそそそそ、そーだぜぇ~? おっぱいは堂々と見るもんだよなぁ?」
残念なほどにフォロー失敗だった。
「……本当にぃ?」
「本当に本当だよ~?」
半信半疑のヒマワリはさらにキツく眉間にシワを寄せるが、膨らませていた頬の空気が抜けた。もしかしたらこのまま上手く逃げ切れるかもと、カシアは僅かな希望をいだいた。
が、しかしその願いは叶いそうになかった。
後ろにもっと恐ろしい人物が控えていたからだ。
「セージ、アナタまさかカシアをそそのかして悪い遊びを教えてないでしょうね?」
小耳に挟んだマツリカがキッチンからニッコリ微笑むと、手に握られた包丁がギラリと鋭い閃光を放った。
絶体絶命――というよりも悪いことなど微塵もしていない、むしろ慈善心から始めた男同士の密談だったが、全てが悪い方向へと流れてしまっていた。
普段から善行を積んでいない者が良いことをしようとすると、余計に懐疑心を抱かせてしまうというアレだ。
「めめめ、滅相もございません! そ、そうだ、カシアの奴が解雇されちまったから、俺んとこに来ないかって話してたとこだったんですっ!」
「えっ? どうするかなんてまだ何も……」
笑顔を引きつらせたセージが左腕に肘鉄を入れてくる。そんな気は微塵もなかったが血走った彼の目に気圧されてしまい、ここはひとまず口裏を合わせておくことにした。
「そうだよねぇ~、たまには体も鍛えなくっちゃ! ハハハハ……」
「えっ! クビって……何かあったの? 大丈夫?」
「ううん、たいしたことじゃないよ。ちょっとした気分転換だから……」
「……カシアがそう言うのならいいけど」
――ああ、しまった。
ヒマワリはカシアが職を失ったことに驚いて酷く悲しげな顔をする。
カシアはこのことは黙っておくつもりだった。ただでさえ自分のことで精一杯のヒマワリに、余計な心配をさせたくなかった。普段、あれだけの本を読んでいるくせに、こんな時に限って上手い言葉が見つからない。
バツが悪そうにしていると、ヒマワリはカシアを気遣ってか小さく頷いてくれた。
しかしまだ、納得していない者もいる。
「カシア、アナタは本当にそれでいいのかしら?」
普段はカシアに優しいマツリカだが、納得がいかないようでこの時だけは少し怒っていた。無理もない。いつもカシアを気遣ってくれている彼女のことだ。こんな時こそ、自分を頼ってもらいたかったのかもしれない。
「ごめんね……もう決めたことだから」
「――アナタがそう望むなら、好きにしなさい」
マツリカは哀愁のこもった表情を浮かべてカシアを注視すると、瞼を伏せてそれ以上の追及しなかった。けれど彼女の気がまだ収まらなかったようで、怒りの矛先は別のところへ向けられると再び包丁が禍々しい光を放つ。
「セージ、いいかしら? もし、カシアに擦り傷一つでも付けて帰ってごらんなさい。どうなるか理解しているわよね?」
「わ、分かってます、分かってますとも! 安全第一、カシア様第一でお守りさせていただきます!」
「よろしい。カシア、何かあればすぐ私に言うのよ?」
「う、うん……そうするよ、ありがとう」
こうして妙な流れで明日からセージと一緒に働くことになってしまった。
本当にこれで良かったのか?
多少の不安と後悔はあるが仕方ない。
この騒動はひとまず一段落ついた。
しかし、まだ一つ気がかりなことが残っている。
それは職を解雇された理由だった。
もしサルベージのことがバレていたならもっと大きな騒ぎになっているはずだし、カシアに何かしらのペナルティがあってもおかしくはないはずだが、それ以降何も通知は来ていない。謎は深まるばかりだったが、カシアはしばらくそのことを胸にしまい考えないことにした。
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