第六幕 ―― 隠された秘密
中央塔64階、南側、窓に近く見晴らしのいいフロア。全体が白く無機質な造りで、格子状に区切られたデスクに小さな端末が一つだけ置かれた実にシンプルなレイアウト。
ここがカシアに与えられた仕事場だ。
遅れて到着したカシアが申し訳なさそうに休憩室を横切ると、名前も知らない女の子達が就業ベルが鳴ったのも気にせずお喋りに盛り上がっていた。
カシアはそそくさと自分のデスクに席に腰を下ろすと、
「キャハハ、ヤダそれぇ~」
「でしょお? それでさぁ……」
「あ、おはようカシアくん」
「おはよう……ございます」
グループの一人だった名前も知らない女の子に挨拶されて、そっけなく返事を返した。職場には20人の仲間が働いていてその内、17人が女性で占められて彼女達はみんなおしゃべり好き。仕事中でも流行りの洋服やスイーツの話で盛り上がっていた。
そんな和やかなやり取りを目にしていると、いかにうちの女性陣が特異な存在なんだと思い知らされる。
以前、ヒマワリもあの輪に入れればと考えたこともあったがすぐ思ったことをすぐ口にしてしまうので、きっと煙たがられてしまうだろう。
カシアは首を横に振る。
それにセージがこの内情を知れば歓喜して、俺にも紹介しろよなどと言われかねないので家では同僚の一切できなかった。
「さぁて、お仕事始めますか」
気を取り直してカシアは何も置かれていない真っ黒なテーブルに手を伸ばす。と、卓上に埋め込まれたセンサーが人の気配を探知して、自動的に八個のスクリーンを立ち上がる。
正面にあるメインスクリーンから埋もれた乱雑に蔵書を適当にタップすると、紙の状態でスキャニングされた画像が表示された。電子化されたテキストではなく、紙に印字された文字は新鮮ではあったが実物の本が手元にあるわけではないので、すごく味気ない。
カシアはいつも本物はどんな感触で、重さで、匂いがするのだろう?
と妄想し、いつかこの指で実物のページをめくることが夢だった。
「さて始めるか、今日のお題は《続・家庭の医学書》《実践サバイバル、森がお前を呼んでいる》《サイキック、目覚めるキミの潜在能力》《ザ・盆栽》……どれもつまんなそうだなぁ」
そして、意気揚々と選んだ四冊を確認したカシアだったが、期待はずれなタイトルにガックリと肩を落として次の行程へと移る。それぞれ別のスクリーンに移すと、ページが一斉にスライドして電子テキスト化が始まる。
それと同時にカシアの眼球が複雑な動きをし、映り込んだ内容を次々に網膜へ転写すると、ものの30分ほどで全ての内容を暗記した。
最近までカシア自身も知り得なかったが、生まれつき《直観像記憶》という能力を持ち合わせていたらしい。
簡単に言えば目にした映像を写真のように精密に記憶しておけるということであり、デザイナーチャイルドとして植え付けられた能力なのだろう。この能力のおかげでカシアは他人が一週間かかる作業を一日でこなし、職場では常にトップの成績だった。
次に読み取った文章を電子化されたテキストから不適切な単語の排除したり、虫食いや染みで失われた箇所に注釈を入れたりと、直接スクリーンに指先でなぞって再編集していく。
特に過度な性的描写や残虐な表現がされた書籍もあり、カシアたちが検閲する前段階で排除されて人目に触れることはまずない。
しかし、システムがいかに優れていても全てを分別しきれるものではなく、稀に閲覧禁止本が流入する事故があるのだ。
当然、当たりを引いたブースでは人集りができてお祭り騒ぎになる。
が、カシアがその輪に加わったことは一度もなかった。
そうこうしている内にカシアは抜き出したページに指示を加え終える。
あとは改稿プログラムが処理する間、外の景色を長めながら時間を潰すだけだ。
《ピピッ、本日の作業が完了しました。連続クリアボーナス、プラス1000CP》
一日分の作業を終えると同時にちょうど正午を迎えた。
「ふう、もうお昼か」
カシアが頭の上で腕を組んで大きく伸びをすると、カバンからズッシリと重みのある平らな箱を取り出す。出かける前にセージから渡されたお手製の弁当だ。
箱の横にある小さなタッチセンサーに指を乗せると、プシューっと空気が抜けるような音がして蓋が外れる。真空状態で金属保温材加工された弁当箱からは作りたてと変わらない香ばしい匂いと湯気が立ち上り、カシアの胃袋を強烈に刺激する。
ただ一点を除けば完璧と呼べるキングオブ弁当だ。
カシアは恥ずかしそうに背中を丸めて周囲に人がいないことを確認すると、休憩室でおしゃべりしていた女の子達が背後に立ってることに気付いて筋が凍りつく。
「ねぇねぇ、カシアくん。いつも一人でお昼してるじゃない? 32階に美味しいパスタのお店ができたんだけど、一緒にどうかな?」
カシアが慌てふためき額に脂汗をにじませて、握った拳を膝に乗せてくるりとイスを回転させる。声をかけてきたのは朝一番に挨拶してくれた栗毛のボブカットの子だ。その後ろでは、彼女の友人の二人がニヤニヤしながらこちらを伺っている。
「あの、その……お弁当、あるんだ……」
上手い断りの言葉が見つからずカシアが口籠もっていると、三人はやっぱりねといった顔でお互いを見やった。
「ほらねぇ~、ダメだったでしょ? つがいの子がしっかり手綱を握ってるんだって~っ」
「ゴメンね~。そうだよね、そんな豪華で可愛らしいハートのお弁当作ってもらってるんだし。きっと愛が一杯詰まってるよね」
「いや、違うんだけど……こちらこそゴメン。また機会があったら」
「うん、じゃあね~彼女さんとお幸せに~!」
カシアは乾いた笑顔で三人を見送ると、廊下から響く彼女達の笑い声を耳にしながらもう一度、愛情弁当と向かい合った。
「はぁ……男が作った弁当だなんて口が裂けても言えないな」
そう、決してこれは世に言う《愛妻弁当》などではない。君たちみたいなか弱いを女性を魔手にかけようとする
恥を喰らわば皿まで、悶々とした気持ちと一緒にカシアはセージの愛情弁当を口の中へと掻き込んだ。
再び午後の作業を知らせるタイマーが鳴る。すでに作業を終えていたカシアは周囲に誰も見ていないことを確認すると、にんまりと口元を吊り上げる。カシアにとってはここからが本当のお仕事であった。
小さなスクリーンの一つを手前に引き寄せて、管理者でしかアクセスできない閲覧禁止本が眠る、メインライブラリにアクセスする。
《パスワードを入力して下さい……》
スクリーンに文字が浮かんでカーソルが点滅。手元に映像で作り上げた疑似キーボードを展開させると、苦労して見つけたあるキーワードを入力した。
「オリジナル・スイン――《原罪》」
クリア――カシアがあらかじめ用意しておいたバックドアが開かれて膨大なデータが視覚化されると、スクリーンに古代の図書館が浮かび上がる。
そこには閲覧が禁止された旧世紀で起きた戦争記録、宗教の聖典、哲学書や個人の手記などの希少な蔵書が眠っていた。
なぜカシアがこんな場所を知っているかというとそれは7日前のことになる。
システムの不調で蔵書データのサーバーが再起動したことがあった。
その時、カシアがうっかり手でスクリーンに触れるとバチッと静電気のようなモノが走り、管理者用のアクセス画面が出現したのだ。
もちろんカシアは目を疑った。すぐ誰かに知らせようとしたが声が喉の辺りで止まり、浮かせた腰をそっとイスに落ちつけた。
それから2日かけてコンピュータ関連の蔵書を何十冊と読破し、コンピューターに関する専門知識を蓄え、3日目でパスワードを解読。あとは足がつかないように自分専用の裏口を作り出すのに一日を要していた。
そして発見から七日目、今日は2回目のサルベージを開始する。
「今日は宗教関連を覗いてみようか。仏教、道教、ゾロアスター教に、ジャイナ教などなど……いっぱいあるな。特に情報量が多いのはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教って辺りかな」
本棚に列ぶ一つの蔵書に指で触れると関連する本が光の筋で繋がり、楽に検索ができるようになっている。それら三種類の宗教の関連本は赤・緑・青の色分けで分類されていた。
サルベージを始めて5分が経った頃、ふと気になるモノがカシアの目に留まる。
「あれ? 一つだけ全部の色が重なり合ってる本がある。かな~り深い場所だな……」
興味を惹いた蔵書の場所をチェックして指を使って画面を拡大させると、そこは
「旧……約聖書?」
とても、重い響きがあるタイトル。三つの光が指し示した古書は、分厚く、薄汚れていて、相当な年代物であることを主張している。沸き立つ好奇心、カシアは吸い寄せられるように画面を指で弾いて表紙を開いた。
「うわ、何だコレ。いつの時代の文字だよ?」
出てきたのは、初めて目にする複雑怪奇な文字。
翻訳プログラムにかけて、文字を理解できる言語に変換しようとしたのだが……。
《ピー…………エラーコード2048、該当なし》
「ひえ~。それじゃ言語の種類を判別、ていっ」
《ピ……ピピ……検索中…………判明、古代ヘブライ語。翻訳プログラムなし》
「ですよねぇ~。じゃあ、古代ヘブライ文字に関連する著書を検索、言語は英語で」
《ピピ…………検索完了》
一二八冊の該当アリ。
さらに古代文字研究の著書に絞り込みをかけて二冊が残る。それを手にしたカシアは一時間かけて二冊の著書を読破し、古代ヘブライ語を頭に叩き込んだ。
「それでは、改めて――」
旧約聖書を開き直して自前で翻訳しながら読み進める。
そしてついに、カシアは無意識追い求めていたあの記述に辿り着いた。
創世記、第三章――アダムとイヴ。
神は死のない楽園、エデンを創った。この地の管理者として土から《アダム》という人間を創り、彼のろっ骨から《イヴ》を創った。二人は仲睦まじく幸せに暮らしていた。
ある時、イヴは楽園にいた蛇にそそのかされる。イヴは神から口にすることを禁じられた《禁断の果実》に手をつけ、アダムにもその果実を食べさせてしまった。
そのことを知った神は怒り、人はその罪によって楽園から追放され――……
カシアはすっかり読み入っていた。
あまりに自分たちと内容が酷似していたからだ。
《禁断の果実》と《赤い果実》それに同じ名を持つ二人だけの楽園……エデンと追放された二人はどうなってしまうのか?
それはまさにカシアとヒマワリが過ごしたあの場所、そのものではないかと。
続けてカシアが息を呑んで次のページを開こうとした、その時だった。
《ピピッ――。17時になりました。本日の作業は終了です、お疲れ様でした》
「えぇ~、いいところだったのにぃ……」
時間が経つのをすっかり忘れて旧約聖書に没頭してしまっていた。終業のアナウンスに横やりを入れられ、スクリーンが強制的にシャットダウンされてしまう。
「くっそう……もう少しだったのに。でもあの話、すごく僕らのことに似てたかも。また明日、じっくり調べてみよう」
それでも今日は充分な収穫だ。
カシアは初めて手がかりらしい手がかりを見つけて少し浮かれていた。夢中になって読み解いた内容を腕輪の端末にまとめていると照明も落ち、いつの間にか一人きりになったことに気づく。
最後にフロアを一瞥して誰もいないと確認して、カシアは仕事場を後にして早足にマツリカが待つターミナルへと急いだ。
誰もいなくなった64階のフロア――。
《カタ……カタカタカタ…………》
夕闇の中、カシアが座っていた席のスクリーンが無人のまま再起動するとメインスクリーンに読みかけの旧約聖書が開かれ、スクリーン上に削除確認のコマンドが現れる。
そして、何者かがその選択肢を選んだ。
《イエス――》
データベースから旧約聖書のデータが完全に消去されると、これまでカシアが閲覧してきた本の記録、データベースにアクセスするための自作のプログラム、監視カメラの記録までがリスト化されてどこかに転送される。
最後にプログラム言語が画面上を無数の線となって走ると端末に残された全てのデータがフォーマットされ、最後に一行の文字がスクリーンに浮かび上がた。
《強制執行終了。実行者――マトリカリア》
次の瞬間、全てのスクリーンがブラックアウトし、部屋は再び静寂に包まれていった。
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