第五幕 ―― セントラル

 空から柔らかい七色の光が目に飛び込み、カシアが思わずガラス天井を仰ぐと、ここが箱庭とは比較にならないほど巨大なドーム状の建築物なのだと再認識させられる。

 その傘の受け骨のような鉄骨が、緑に囲まれた住宅地に短冊状の影を落とし込み、庭を一歩出た先にある緩やかに曲がった煉瓦の坂道へと続いていた。


 道沿いにはカシアの暮らす住居と同形の建物が点在していて、カシアは仲睦まじいつがいたちが巣から飛び立っていくのを横目で見送る。ここでは穏やかな朝の風物詩だ。

 だが、長い一本の坂道を登り終えると、そこから先は住居区から市街地に早変わりする。カルデラのように凹んだ地形に幾何学的な白いビルや道路、鉄道網が立体的に交差し、ビルの屋上やテラスに木々が緑の屋根を作っていた。


 文明と自然が絶妙のバランスで入り混じった不思議な森のようにも思える。


 カシアはエデンを出てしばらく立っていたが、毎回この情景を目にするたびに自分がまだここの住人に成りきれていないのだと認識してしまう。


 しかし、隣にいる銀髪で凛々しい容姿の持ち主は違っていた。まるで自分の城を散策するかのように踵を鳴らし優雅に歩くものだから、行き交う者全てがマツリカに振り返る。

 まだ多数の視線に慣れないカシアは肩を小さくし、彼女の斜め後ろを申し訳なく付いていった。


 しばらく道なりに進むと最寄りのターミナルに到着する。定期的に運行していた環状モノレールに乗車すると、カシアは誰もいない赤い長イスに腰を下ろした。

 斜め掛けしたポーチを膝に置いて固めのシートに背中を預けると、隣に特大のマシュマロみたいな物体が二つ降りてきて、片方がカシアの腕に寄りかかった。


 至極……柔らかい。

 ゴクリと息を呑む。


「まだヒマワリのこと、心配してるのかしら?」

「……多少はね」

「――フフフ」


 マツリカが心を見透かしたように小さく微笑むと、彼女の顔が急接近して耳許に口を寄せると妖美な声が耳を撫でた。


「あの子なら大丈夫よ。新しい環境に馴染めずにいるだけ。きっかけさえあれば、すぐにここにも適応できるでしょう」

「だと、いいけど。エデンにいた頃は、もっと楽しそうにクエストをこなしてたんだけどな。何か良いきっかけさえあればなぁ……」

「あの子はつがいのアナタがしっかりと支えてあげなさい。カシアのことは私が支えてあげるから」

「ほんと大人だなぁ。マツリカには敵わないよ」


 全てを委ねたくなってしまうような一言を返され、カシアは肩が少し軽くなった気がした。彼女には揺るぎようのない安定感とオーラがあり、困っている時いつもカシアの望むことを言い当て手を差し伸べてくれる。


 この街へ移住して数日、マツリカとセージに出会った初日のことだ。カシアが一年も放置していた前髪をうっとうしく掻き分けていると、後ろからマツリカのしなやかな指が肩に掛かり、その手はこう語りかけてきた。


「随分と伸びたわね、アナタの好きな読書をするのも大変でしょう? 今日は陽が暖かいわ。中庭でその髪を切ってあげましょう。さぁ、いらっしゃい」


 日だまりの中庭でカシアの髪に彼女の指が優しく絡み、スッと下へと流れる。

 それはどこか懐かしく安らぎを与えてくれる手だった。

 カシアはその時のことを不意に思い出して、照れくさそうに前髪をいじる。

 本当にセージにはもったいない素敵な女性だ。


 そして、モノレールは思い出の蓋を閉じるように扉を閉めると、ゆっくり中心街へ向けて動き始める。


 車窓から朝の陽が差し込み窓枠の影が何度も顔の上を通過していくと、窓に巨大なビル群が目前に迫る。その中でも一際大きなビルに差し掛かってモノレールが風穴のようなビルのトンネルに潜ると、オレンジのライトが何度も明滅して数秒後には再び開けた場所に飛び出す。

 すると、一瞬眩い光に目を細めたカシアの瞳にドームを支える巨大な柱が目に飛び込んできた。


 みんなが《セントラル》と呼ぶその主柱塔はシーヴァの中枢であり、職業選定プログラムによって選ばれた優秀な人材が集まる場所でもある。

 カシアとマツリカの職場もセントラル内にあったので、いつもこうして二人一緒に通っていたのだった。


 カシアに与えられた仕事は主に過去の戦火を逃れた歴史資料や古代文学などを検閲、翻訳し、電子データ化すること。

 ここで作られる書物には閲覧ランクのタグが割り当てられて各ステージ、つまりカシア達が以前いた育成区画のランクごとに振り分けられる。一人部屋やエデンでは閲覧できる情報が制限されていたこということだ。


 そして、今では原書を読める読書好きのカシアにとっては今の職場は願ったり叶ったりの居場所だった。


 実はこの適材適所な仕事も全ては職業選定プログラムのおかげでもある。

 カシアはシーヴァに連れてこられたあの日、マトリカリアから自分たちが人からではなくAIによって生み出された《デザイナーチャイルド》であることを知らされた。


 デザイナーチャイルドとは受精卵の段階で遺伝子操作受けて外見や身体能力など、意図的にプログラムされて生まれて来た子供の総称だ。


 ある者はスポーツに優れ、ある者は芸術的な才能を発揮し、ある者は溢れる知性で新たな発明をする。誰しもが《何か》特別な能力を与えられていてカシアの読書好きもその影響下にあるのかもしれない。


 方やマツリカはさらに選考基準の厳しい《情報部》という部署に配属されていて、シェルの流通、交通状況、人工雨の散布情報など、重要な情報を扱う所らしい。

 彼女の担当はシーヴァ内におけるシェルの消費量を読み取って流行やブームといったキーワードを作り出し、大衆の価値観を共有させるという、難解な仕事をやっているそうだ。


 ついでにセージはシーヴァの外壁に造られている物資保管施設で肉体労働に勤しんでいる。簡単に言えば、倉庫番だ。

 そして意外にも三人の中で一番の稼ぎ頭はセージだ。シーヴァでは能力よりも身体的な危険が伴うほど、獲得CPのポイントが高い。

 実際、毎朝あれだけ種類に富んだ朝食を用意するには膨大なCPが必要となり、それらを食べることができるのは彼がいてこそ成り立っているのだ。



 束の間、カシアがここ最近のことを思い返してうとうとし始めた頃、モノレールが減速して体がマツリカの方へと傾く。乗車中物静かだった彼女がぽんとカシアの膝に手を置いて微笑んだ。


「到着よ。さ、降りましょう」

「あ……うん」


 すっかり見慣れた中央塔のターミナルに到着する。

 カシアはマツリカの後に続いて車両から降りる。地面に足を着けた途端、エアーが洩れる音とともに扉が閉まってモノレールは次のターミナルへと再び走り出した。


 アーチ状のホームにたくさんの人が行き交い、その流れは中央塔の中心に向かっていて左手に見える大きな通路へと吸い込まれていく。


 カシア達もその最後尾に加わってしばらく幾何学模様の細かなタイルを踏みしめて進むと、湾曲した壁に沿って光る楕円の照明があり、その明かりを等間隔に区切るようにしてカプセル型のエレベーターがズラリと設置されていた。

 人より数が多いのではないかと思えるエレベーターに人集りはあっという間に姿を消していく。


 そして、カシアはいつものようにマツリカを一際目立つ赤い扉の上級職員専用エレベーターの前まで見送った。


「夕方、ここで落ち合いましょう」

「うん、分かったよ。マツリカも頑張ってね」


 別れ際にそう言葉を交わすとマツリカの口元が微かに緩み、カシアの頬に唇を軽く押し当ててきた。

 カシアは突然の出来事に目を白黒させると、彼女は銀色の髪をサラリと靡かせながらエレベータに乗り込むと軽く手を振った。


「いい子ね、アナタも頑張りなさい」


 惚けた顔でカシアも少し遅れて手を振り返すと、エレベーターは微かなモーター音と共にマツリカの乗せてあっという間に上層階へと姿を消していった。


 一人、通路に残されたカシアは接吻された頬を指で覆う、と遅れて聞き慣れた電子音が意識を現実へ引き戻した。


《ピピッ》


「………………あっ、遅刻だ!」

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