第十五幕 ―― 書館の主

 10分ほどかけてシキミに連れて行かれた場所は、一際大きな廃ビルの地下だった。《ドバシ》と書かれた奇妙な名前の建物だが、看板が途中で壊れていたので恐らくそれが正しい読み方ではないのだろう。

 多くの鳥がむき出しの鉄骨に寄せてこちらを見下ろしている。

 ずっとこの地を見下ろしてきた彼らの祖先であれば、あるいは知っていたかもしれない。


 五人は一列になってビルに立ち入ると中はだだっ広いフロアになっていて、所々でつきの悪い電灯がフラッシュみたいに瞬く。それがカシアの影を何度も揺らめかすので不気味さをより一層際立っていた。

 さらに奥へ進むと今度はオレンジ色の光が瞬くのが見えてくる。

 飛び散った光がゆっくり地面に落ちる様は、昔ヒマワリと一緒に眺めた流れ星を思い起こさせる。が、同時に部品を焼き切る火花やハンダの焼ける臭いが鼻を刺激され、カシアとヒマワリは思わず鼻を押さえた。


「図書館って聞いたけど、ここってまるでスクラップ工場みたいだね」

「たしかに。呼び名は図書館となっているが貴重な古書の保存以外にも、あのような未発見の発掘品を持ち込み、解体して仕組みを究明している《知の宝庫》と呼ぶべきか。一度、理解してしまえば再び後世に残すこともできるし、何よりここの暮らしも楽になるからな」


 カシアの問いにシキミは淡々と説明してくれたが、彼女の表情からそれを好ましく思っていないようにも見える。

 すると、二人が話す様子を快く思わないヒマワリが嫌味を垂れた。


「フン、空気の悪い場所よね。カシアが病気になっちゃったらどうするのよ?」

「空調が一つ故障しているらしい、我慢してくれ」

「まだ着かないの、足がいたーい」

「……もうじきだ、その口を閉じていろ」


 シキミは態度に出しはしなかったが、明らかに答える声には憤りが混じっていた。

 こんな危ういやり取りが度々繰り返され、ピリピリとした空気にカシアは板挟みに合い、さらにその後ろをしかめっ面のニゲラが刃物をチラつかせていた。

 まさに三重苦、生きた心地がしなかった。



 狭い階段を何段も降りて、五人はようやく最下層にたどり着く。地上の光が一切届かない殺風景で剥き出しのコンクリートに囲われた広大な空間。

 そして、右も左も埋め尽くされた本の城壁。

 山を成した膨大な紙情報が今にもこちらに倒れてきそうな圧迫感がある。圧巻とも言える蔵書量に、カシアはポカンと口を開けて足元から闇に溶け込む天井を見上げた。


「これ全部が本なのかい……?」

「全て把握しているわけではないが、およそ10万冊はここに眠っているだろう」

「そ、そそ、そんなにあるの? 読み終えるのに何年かかるかな……」

「フフ、やはりキミは――」

「えっ?」


 一瞬――シキミが口元を綻ばせて何かを呟いたが、上手く聞き取ることができなかった。彼女がカシアに顔を覗かれていたと気づくと、そっぽを向いて早足で三歩先に進んだ。


 ホール片隅、書籍の壁で区切られたスペースに行き着く。

 そこは天井に吊された無数のランプによって眩い明かりが交錯し、古典文学に出てきそうなアンティークの家具が並んでいた。古ぼけた柱時計、磨き上げられたキャビネット、まだ音が出そうなオルガンに黒檀で作られた猫脚のテーブルにロッキングチェア……まるで古い館の一室のようだった。

 そして、ロッキングチェアには根城の主と思しき愛らしいアンティーク人形も腰掛けている。


 いや一瞬、見間違えた。

 人形などではない、彼女は人だった。


 真っ白い肌と、暗赤色の瞳。年齢にそぐわない体のラインを強調した黒いタイトなドレス。団子のように丸く結った銀髪を後ろに巻き上げていて、古風な言い回しをすれば貴婦人。

 そう呼べばしっくりくる。

 小さな少女はこちらには目もくれず、部屋とは不釣り合いな古代の電子機械と向き合うメガネ男と一緒に難しい顔をしていた。


「むう。その配線はあっちで……そのメモリ、と書かれたパーツをこっちに差すのではないか?」

「カ、カミツレ様、もっと大切に扱って下さい! それは滅多に手に入らない貴重な部品なんですから」

「あ、今バチって音が……」

「勘弁して下さい! アナタはただでさえ《帯電体質》なんですから、これ以上触れないで下さい」

「分かった、分かった。あとはキミに任せるとも。丁度、お客人も来たようだしな」


 小柄な少女はカミツレと呼ばれていた。彼女がようやくこちらに興味を示してシキミを手招きで呼び寄せると、それに応じてシキミが前に踏み出し軽く会釈した。


「お連れしました、館長」


 館長――シキミは今、このちびっ子をそう呼んだ。

 何故、シキミがこんな年端もいかない子供に心服するのか合点がいかなかった。

 が、一つだけカシアにも解かることがある。

 それは威圧感、彼女には何者も寄せ付けない気品と絶対的な自信に満ち溢れていることだ。それはまるで、カシアのよく知る《あの人物》に似ていた。


 カミツレがロッキングチェアから危なっかしく飛び降りると、黒いオペラパンプスの踵を鳴らしてこちらへ歩いてくる。

 そして、偉そうにカシアの面を指差した。


「この者達が噂の脱走者か?」

「はい、カミツレ様」


 シキミの手が軽く背中を押したので、カシアは半歩前に踏み出る。


「よろしくのう。私がこのアキヴァルハラ図書館の館長、カミツレだ」

「あ、いえ、こちらこそ!」

「こんなちっこいのに館長だなんて、ぷふふ」

「不敬なっ! このお方は――」


 またもやヒマワリが無邪気に茶々を入れると、とうとう我慢ならなくなったシキミが腰の得物をギラリと反射させ殺気を放った。

 それに対してヒマワリは眉根を寄せて、頬をリンゴのように真っ赤にしてシキミを睨み返す。


「何よ、やる気?」

「いいだろう。小うるさい雀のような舌を切り落としたいと思っていたところだ」


 ヒマワリがシキミに対抗心を抱いているのは知っている。

 自分こそがカシアのつがいだと示したかったのだろう。

 しかし、冷静だと思っていたシキミがヒマワリの挑発に乗るのは計算外だった。


 青ざめたカシアは考えた。

 どうする、止めに入るか?

 ここで彼女たち間に立つということは……。


 一、斬られる。

 二、噛まれる。

 三、その両方。


 どう転んでも損な役回りだった。

 こんな時、セージがいてくれたら喜んで犠牲になってくれただろうに。

 カシアが生唾を呑み込み決断を決め兼ねていると、別のところから救いの声がかかった。


「シキミ、そのくらいにしておきたまえ。周囲は本の山、カグツチを抜けばどんなことになるか察しがつかんキミでもあるまい? こう見えて私はここにいる誰よりも長生きしておるのだから。この程度の冷やかしには慣れとるよ」

「……申し訳ありません」


 カミツレに静止され、シキミが抜きかけた刀を鞘に収めると唾から火の粉が散る。

 もう勘弁してほしい。

 二人の女性に悩まされるカシアが膝を折ると……、


「ふむ。キミには女難の相が出ておるな。まぁ背中を刺されないよう、せいぜい気をつけたまえよ」

「は、はい……」


 小さなレディーから実に的を射た忠告を受けた。彼女はこの状況を楽しんでいるかのように水平に切られた前髪を左右に揺らすと、もう一度クスリと笑った。


「それはさておき、二人に合った仕事を与えるって話だったね。ではお嬢さん、右手を出してみなさいな」

「はいどうぞ、おチビちゃん」


 口悪くヒマワリが右腕を差し出すと、カミツレはその上に小さな手を翳す。

 すると、カミツレの掌に何かの黒い文様……いや、刻印が浮かび上がりヒマワリに軽く触れた途端――それは起きた。


「きゃっ!」


 ヒマワリのおさげがふわりと持ち上がってカシアの横顔を掠めると、バチバチっと静電気が走る。空気中では、ホコリがはじけて青白い光が明滅していた。


「こりゃ一体……」


 カシアは思わず言葉を失ったが、当事者であるヒマワリの驚きようはそれ以上だった。


「ふむ。なるほど……やはりそういうことか」

「な、な、なな、何がよ?」

「キミは自然と触れ合うのが好きなのだろう? 箱庭にはそういった職が無くて苦労したようだね。土地を与えるから、そこで好きなものを育ててみたまえ。ニゲラ、たしか農地の管轄は君だったろう。指導してあげなさい」

「うぃーっす」


 指示を受けたニゲラが額に二本の指を当てて返事をすると、カミツレは満足げに手を引く。浮かび上がっていたおさげが垂れ下がり、ヒマワリは口をパクパクとさせて目を剥いていた。

 カシアと二人だけしか知り得ないことをスラスラと言い当てられたことが、よほどショックだったのだろう。


「ア、アンタ……会ったばかりなのに、どうしてそんなことまで分かっちゃうの?」


 すると、カミツレの口元がニヤリと緩んだ。


「――年の功」

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