エデンの箱庭で

誠澄セイル

プロローグ ―― 遠い日の夢

 僕はいつも同じ夢を見る――。

 小高い丘で傘みたいに枝を広げた立木の下で寝そべり、背中で柔らかい草を感じながら天を仰ぐ。

 風に揺れてざわめく青々とした葉。そこから日差しが漏れてまだらな影が顔の上を小さく揺らめいている。天幕みたいな広葉樹の葉を眺めていると、ぽつぽつと深紅の輝きを放つ無数の《赤い果実》が見え隠れした。


 それは手を伸ばせば今にも届きそうで……。

 渇いた喉をあの実で潤したいという、欲求にかられた。


「まぁ~た、こんな所で昼寝しちゃって」


 大きな瞳が僕の顔を見下ろす。

 紫黒色しこくいろの長い髪がさらりと左頬に撫で落ちてきて、ふわりとラベンダーの香りが鼻を掠める。

 僕は屈託のない彼女の笑顔が大好きだった。

 紫黒色の少女が僕の手を取り、隣で大の字になる。

 そして――穏やかな時間がしばらく続いた。


 まぶたを持ち上げると、陽が西に傾いていた。

 目を擦って体を横に向ける。

 隣にいたはずの彼女がいつの間にか姿を消したので、慌てて周囲を見澄ました。

 すると、頭の上から無邪気な笑い声が降ってくる。


「ココだよ、ココ~っ」


 澄んだ声に惹かれてアゴを上げると、紫黒色の少女がこちらに向けて足をバタつかせていた。その姿は立木に宿る妖精と思えるほど、あどけなく、愛らしい姿だ。

 そして毎回繰り返される、このセリフ。


「ダメだよ、そんな所に登っちゃ。――に怒られちゃうよ!」


 怒られる――いつもこの言葉が胸に引っ掛かるのだが、誰を指しているのかは未だに分からない。夢には僕と彼女の二人しか出てこないからだ。


「今はわたしたちしかいないでしょ。バレたりしないよ、大丈夫っ」


 そう言葉を返した紫黒色の少女はさらに枝の細い方へと登って、枝の先に実った果実に手を伸ばした。


 すると……背筋に何か冷たいものが走り、鼓動が急激に加速する。

 言葉に表せない不安感。

 声に出してやめさせようしたが、吐き出す空気が声に変わってくれない。

 そうこうする間に、彼女は小さな手で《赤い果実》を鷲掴みにして枝からもいでしまった。

 危なっかしく紫黒色の少女が木の幹から滑り降りてくると、手にした《赤い果実》を身に纏った白いワンピースで軽く拭う。


 不吉な予感――僕はまるで心臓を鷲掴みにされたかのように、息を止めてそれを見守るしかことしかできなかい。


 すると、彼女は僕の眼前にあの実を差し出してきて、


「エヘヘ。前から美味しそうだって思ってたんだよね、ハイ」

「ダメだよ、絶対にダメだよ。食べちゃいけないって、あんなにキツく言われたじゃないか」

「もう、また良い子ぶっちゃって。だったら、わたしが先に味見しちゃうもん」


 そう言って紫黒色の少女は頬を膨らませた。


「やめておこうよ、ね?」


 僕は彼女を必死に説得しようとした。

 でもそれは無理だ、これは夢だと分かっているから。

 茫漠ぼうばくとした記憶の底から沸き上がる不安が、僕を縛り付けて指先一つ動かすことができない。

 それでも僕は彼女を止めなければならないと。


 ――でも彼女は、無邪気な笑顔で実の側面に小さな歯を立ててしまった。

 シャリシャリと噛み砕かれて、ゴクリと喉を通る果実……。


「ほらね、大丈夫でしょ? それに、すっ……ご~く甘くて美味しいよ! ほらほら一緒に食べよ、ね?」


 ――再び、差し出された《赤い果実》。


 どうしてか、夢の僕は震える手でゆっくりとその実を受け取る。

 芳醇な甘い香りがそよ風に乗り、鼻を通って食欲を刺激する。

 ダメだと分かっている、分かっているけど本能から沸き立つ欲望を抑えることができない。


 そして求めてしまうのだ、食べたい――と。


 次第に思考が混濁し始めて僕は流れに全てを委ねる。

 息を呑みゆっくりと《赤い果実》を口元に寄せた。

 開けた口に唾液が糸を引き、真っ赤な皮に歯を突き立てようとした――瞬間。

 いつもここで視界が暗転してしまい、夢から現実へと引き戻されてしまうのだ。

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