第四十一幕 ―― 死闘、その果てに……

 カシアの命令でイオンエンジンが唸りを上げると、エスペランサーはシキミの元へ疾駆する。ヘルヴィムの赤い片眼がフォーカスしてエスペランサーを襲いかかると、自己判断したAIがボディ側面にある射出式アンカーを発射。ヘルヴィムの腹部を直撃すると、そのまま対面の柱へ突き立てた。

 だが、ヘルヴィムは体を黒い流体に変化させて柱を流れ落ち、フォルムを元の球体へと戻す。再び造形し始めると、今度は鹿のような足と鋭利な鎌を持った四足歩行の魔物へと変化した。


《ピピピ……排除デストロイ……排除デストロイ……排除デストロイ……》


 その隙に、シキミは加勢にきたエスペランサーにまたがりハンドルを握る。


「ありがとう。行くぞ、エスペランサー……!」

《ユー・ハブ・コントロール――》


 アクセルを踏み込むとエスペランサーが横滑りしながら急発進すると、それと同時にヘルヴィムも蹄で床を蹴って平行に走り出した。


 後部に搭載された二門のチェインガンが甲高いアイドリング音を立てる。センサーがシキミの視線や顔の動きを読み取り標的を追従すると、チェインガンが凄まじい音を立てながら無数の徹甲弾を撃ち込む。

 排莢された薬莢が豪雨の如くフロアに降り注ぐと、ヘルヴィムは網の目に針を通すような精密射撃をかい潜り、立ち並ぶ柱と壁の間を駆け抜けた。撃ち砕かれたエントランスの柱が次々とポップコーンのように爆ぜる。


「くっ……速い!」


 すると次の瞬間、追い詰めていたヘルヴィムの白い頭が背部に露出し、片眼のレンズから強烈な赤い閃光が瞬く。


「危ない!」


 異変に気づいたカシアが大声で叫ぶと、レーザー光が地を走りながらエスペランサーに迫り、寸でのところでシキミがハンドルを横に切る。目標を外した赤い閃光は後方の噴水を直撃。水道管を破裂させると、そのまま真上に線を引いて渡り廊下を寸断した。

 さらにヘルヴィムは鹿のように跳ねて方向を変えると、黒い鎌をギラリと光らせてこちらへ突進してくる。

 シキミはそれに呼応して座席から腰を持ち上げるとカグツチに手をやる。風圧で銀髪が激しく揺れる中、膝を落として居合いの構えをとると、鞘と黒いボディスーツに赤いラインが浮かび上がった。


 そして、眉根を寄せたシキミが一呼吸の内にあの技を放つ。


ほむら――――!」


 すれ違い様、爆撃のような鳴動が轟いて周囲のガラスが一斉に割れる。

 エスペランサーがドリフトしながら停車すると、ヘルヴィムの上半身は丸ごと吹き飛んでいた。残された下半身が虚しくひづめの音を立てると、形を保てなくなったバイオナノファイバーが溶けるように周囲へ散らばった。


「やった……!」


 カシアが安堵の声を漏らすと、エスペランサーがシキミを乗せてゆっくりこちらへ戻ってくる。


 あと少し……あと少しでカシアの手が届きそうな距離まで近づいたが、突然シキミの髪色が元に戻り、バイオナノファイバーも硬化して肩や胸元から剥がれ落ちた。

 そして、彼女は力なく床に倒れ込み、エスペランサーも起動を停止させた。


 彼女はついに活動限界を越えてしまったのだった。


「ごめん……カシア」


 掠れた声でシキミがこちらに手を伸ばす。

 思わずカシアが彼女の駆け寄ろうとした、次の瞬間――。

 新たに三つの黒球が落下してきて、カシアの前に立ちはだかった。

 人型になったヘルヴィムが、カシアを捕らえようと太い腕を伸ばす。


 ……もう役立たずはゴメンだ。


 カシアはこの時、怒りで我を忘れた。


「……どけよ」


 突如――カシアの黒髪が、一本、また一本と、銀髪に変化して右手の刻印が右半身の衣服を吸い込み始める。破裂した水道管が周囲に霧雨を降らせる中、暗赤色の眼光をゆらりと屈折させて立ちはだかるヘルヴィムに掌をかざした。


《ビ――――……!》


 すると、刻印を向けられたヘルヴィムが小刻みに震え始め、カシアの足元にひざまずく。むき出しになった白い頭部を殺意を持って鷲掴みにすると、まるで砂の彫刻のようにパーツが分解して床に散らばった。


「カ……シア……アナタまでどうして……?」


 横たわったシキミは、顔にかかった髪の隙間から変わり果てたカシアの姿を覗き見ていた。その深く澄んだ碧眼には雫が溜まり、今にもこぼれ落ちそうだった。


 歯ぎしりしたカシアは拳を強く握り締め、残りのヘルヴィムを睨みつける。二体が油が切れたブリキ人形のように震えだすと、双方向き合いバイオナノファイバーの腕を鋭利な槍へと変形させる。互いの頭部を串刺しにすると赤いランプが消え、こぼれたオイルのように床へ流れ落ちた。


「シキミ……無事で良かった」


 視線を移すとシキミと目が合い、カシアは初めて彼女を守ることができて満足げに笑みを浮かべた。

 しかし、発現したヒマティオンに体力を吸い尽くされ、右手の刻印が肌に溶け込むと銀髪が元の黒髪へと戻る。急激に力が抜けてカシアがその場に倒れそうになると、白く流麗な手が優しく肩を抱き支えた。


「まさか、自力でプロテクトを解除してしまうなんて。アナタ、そこまでこの子のことを……。でも、これ以上この力を使わせるわけにはいかないわ。制御できなくなれば、アナタ自身がこの世界をのだから」


 マツリカはそう呟き、カシアを抱きかかえてきびすを返す。

 ヒールがタイルを蹴って音を響かせると、破裂した水道管が一瞬で凍りついた。

 それはまるで一輪の花を思い起こさせる見事な花びらを形成し、月明かりを受けて、妖しく、切なく、悲壮な輝きを放っていた。


「今度こそお別れよ、アイリス――」


 薄くなった霧雨の中にボヤけた光が差し込む。

 それは一台のホバー車両だった。


 フロア一面に広がる水溜まりを波立たせてマツリカの前に停止すると、彼女は後部の荷台にゆっくりとカシアを寝かせる。

 すると、広場に敷かれたレンガ調の床が傾斜し始め、あの地下道へ通じる通路が現れた。ホバー車両は青白い光を噴出させて、暗がりのトンネルへと降りて行く。


一人、エントランスに取り残されたシキミが最後の力を振り絞って声に変える。


「カシア……カシア……!」


 けれど、悲痛な彼女の叫びに答えようとしたが声が出なかった。

 その代わり、カシアはしっかりとシキミの姿を瞳に焼き付けた。

 彼女も同じようにこちらを見つめ続ける。


 ――ごめん、またこんな事になってしまって。


 車両は地下のトンネルへと潜り、シキミの姿が完全に見えなくなる。細長いオレンジ色のライトが地下道の先まで点灯すると、カシアの頭上を次々に流れていく。


 そして……隣に佇むマツリカは酷く悔しそうな表情を滲ませていた。

 理由は分からない。


 だた、あまり本音を見せない彼女がこれほど人間らしく見えたのは初めてだった。

 マツリカは少し考え込んで親指の爪を噛むと、風ではためく髪を左手で掻き上げ、呼び出した赤いスクリーンに告げる。


「管理者コード108……キャンセル。ナンバー6、セブンス・インウィデア・マトリカリアは《ピクシス・シックス・オブ・シーヴァ》の管理権限を放棄。ナンバー4、セブンス・スペルビア・カミツレに全ての権限を譲渡する」


 ……それ以降、彼女は一言も喋らなかった。

 聞こえるてくるのは、ホバー車両が放出するエアーの音だけ。


 彼女が心変わりした理由は知りようもなかったが、その時だけはいつものマツリカに戻ったような気がした。そうして意識を失う直前、地下道の壁に流れる文字に目を遣ると、そこには《大江戸線・新宿方面合流口》と書かれていた。

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