第三十五幕 ―― 反撃の狼煙

 マツリカの襲撃を受けてから2ヶ月――夏が終わって肌を刺す日射しがほんの少し和らぎ、焼け残った稲がこうべを垂れて黄金色こがねいろに変わり始めた頃。


 その日、アキヴァルハラの主な役どころが図書館に集まり、今後について協議が行われていた。汗臭い男達がひしめくカミツレの部屋。ランプの明かりに照らされた黒檀のテーブルを囲み、思い思いの言葉を投げかけ合っていた。

 主な議題はマーキナーによって荒らされた田園の被害が甚大で、冬を越せるだけの収穫が得られないというものだった。だが、次第に怒りの矛先が箱庭へと向けられると、マツリカに対する怒りと憎悪が入り混じり、とても協議と呼べるものではなくなってしまった。


「せっかくここまで街を大きくしたのに、また散り散りになるのか……」

「5年前に一度故郷を失ったんだ。アキヴァルハラまで捨てる訳にはいかねぇぞ」

「今度はこっちから攻め込んでやろう。シーヴァの連中にも同じ目に合わせてやるんだ!」

「そういや、シーヴァには自動化されたマーキナーの農園があるって話じゃねぇか。そこを襲撃すれば全て解決だ!」


 沸点の低いニゲラを筆頭に血の気の多い連中が騒ぎ立てる。中には泣き寝入りして、言わず、触らずで、ことを済ませたい人もいるようであったが、そんな発言をすれば背信者扱いされかねない。


 カシアとしては彼らの気持ちを理解できたが、その言い分に賛同する気にはなれなかった。それはマツリカへの情とか、自分が箱庭の住人であったとか、そういうことではない。これまで常人が一生かけても読めない量の古文書を記憶し、自分なりに導き出した信念があるからだ。


 人は自らの炎によって焼かれ滅びる――。

 つまり、憎しみは争いしか生み出さないとういうことだ。


 旧人類は互いを憎悪した果て、行くところまで行って滅んでしまった。一度、復讐という甘美な酒の味を知ってしまえば、もう負の連鎖は断ち切れなくなってしまう。

 大好きな街の人達にそんな十字架を背負わせたくなかった。


 カシアはちらりと隣に視線を移す。


 恐らくこの場を収められるのはただ一人、シキミしかいなかった。

 一時、色素が抜けて変わり果てた髪はすっかり元の紫黒色に戻り、後ろで一つに束ねて左肩から胸に垂らしている。いつもの着物はあの火災で無くしてしまい、今はあり合わせでラフな麻地のシャツを身につけていた。

 そして、珍しく彼女は彼らの罵倒を淡々と聞くだけで何も喋ろうとしなかった。


「はぁ、どうしたもんかな……」


 ぼーっとシキミを眺めていると、鼻息を荒くしたニゲラがいきなりカシアに議論のバトンを投げ渡してきた。


「カシア、おめぇも言いたいことがあんだろ? ヒマワリを拐われちまったんだぜ。ガツンと言ってやれよ」

「それはそうなんだけど、でも……」


 一斉に注目を浴びて、思わず言葉に詰まる。本音を言うと、あの惨状からずっと考えていたことがある。それはカシアが箱庭に戻ることこそ最善の策かもしれない、ということだ。

 マツリカの狙いは自分だ。自分さえいなくなれば、彼女がアキヴァルハラに干渉する理由もなくなる。あとはマツリカをどう説得し、全人類を滅ぼすような凶行をやめさせるかだが、そこまでの知恵や自信はまだ持ち合わせていなかった。それに……。


 すると、沈黙していたシキミが口を開いた。


「言われるまでもない、このままでは済まさない。だが、箱庭の人々は無関係だ。それだけは忘れるな、彼らとて私達と同じ人間なのだと。それに敵の目的はカシアだ。彼をのこのこと敵地に送り込む気か? それだけは私が許さない!」

「すまねぇ……熱くなり過ぎたぜ」


 シキミの言葉にニゲラは肝を冷やして頭を下げる。だが、そう言い放ったシキミも冷静さを欠いており、俯いてテーブルに両手を突き抑えきれない気持ちを吐露した。


「二度と、もう二度と、あの女にカシアを渡すことだけは……」


 するとそこへ、議論の成り行きををうかがっていた人物がロッキングチェアから飛び降り、とことことテーブルの前まで歩いてくると、


「――そのくらいにしておきたまえ」


 見た目とは裏腹に長として貫禄あるカミツレの一声で一同は静まり返った。


 ただ残念なのは高すぎるテーブルのせいで、彼女の面がすっぽりと隠れていたことだ。それを哀れに思ったニゲラが足元に木箱を寄せてやると、カミツレはそれを踏み台にしてやっと頭一つ分をテーブルの上に覗かせた。

 手にした赤い煙管を一吹きすると、彼女はドヤ顔でこちらに視線を送ってきた。相変わらず、何がしたいのか解らないお人だ。


 あと、ここは禁煙になっていた筈だ……。


 そして、カミツレを神棚に祀り上げたニゲラは士気を上げるため、バンッと机を叩いて叫んだ。


「ようし、我らのご神体もこうして顔を出してくれたことだ。本格的に箱庭を襲撃する準備を始めようぜ! 前回は不意を突かれちまったが、今度こそあの女にギャフンと……」


 すると、彼女は嫌気が差した顔つきで、煙管に溜まった灰をニゲラの手に落とした。


「ワッチャッチャッチャ!」

「馬鹿かね、キミは。あの戦力差を見せつけられてまだ理解できぬのか。まともにやり合えば、こちらは一溜まりもないのだよ。もっと知恵を絞りたまえ」

「チチチ……それじゃあ、館長には代案があるのかよ?」

「うむ、ないこともない」


 カミツレの指示で、黒檀のテーブルに古びた紙が広げられる。

 それは《路線図》と書かれており、カシアにはこれが旧世界の地図だと分かった。

 小さな文字に目を細めると以前見かけた千代田区の文字を見つけ、そこが現在地であると確認できる。


「我々の足元には《地下鉄》という、旧世界の交通網が張り巡らされていたそうだ。この地下道を辿って行けば……シーヴァの真下に出るのではないかね?」


 誰も想像し得なかった彼女のアイデアに、その場にいた全員がどよめく。

 旧世界の地下道、竜の伝説……なるほど、とカシアは手を叩いた。あと利点はそれだけではない。この地下道を使えば、生い茂ったジャングルに入ることなく楽に移動ができる。これは嬉しかった。


「やってみる価値はありそうだな」


 シキミが地図を覗き込んで地下道が通る場所を確認する。彼女が前屈みになると、大きく開いたシャツから豊満な胸元がチラつき、カシアはそれが気になって視線を右往左往させた。


 こんな絶景を逃したニゲラは、またもや勢い任せに拳を振り上げると……、


「よっしゃあ! ありったけの兵隊かき集めて大攻勢をかけてやるぜ!」

「待て待て、何百年も放置されてどんな状態なのか分からんのだぞ?」

「…………」


 カミツレの指摘で彼が描いた壮大な軍略は一瞬で頓挫した。

 代わりにシキミがいくつかのポイントを指で示しながら、綿密な計画を立案していく。


「地下道からは少人数で四人、ツーマンセルで陽動とヒマワリの救出にあたる。主力の部隊は箱庭外縁で待機。陽動班が箱庭の電力網を破壊した後、中枢を一気に制圧してマーキナー達を無力化させる」


 カシアは彼女の話に耳を傾けながら、もう一つのことを考えていた。

 それは恐らく、シキミはカシアの参加を認めないだろうということだ。

 けれど、あの時ヒマワリに約束した。

 必ず自分が助けにいくと。


 テーブルの下で拳を握りしめ、いつ言い出そうかとまごついていると、ニゲラがこちらにチラリと視線を送って白い歯を見せた。


「ってことは、この地下道に入る面子の役割は相当なものになるぜ。やっぱり内部に詳しい人間が必要になるよなぁ、ここぜひカシアに……」


 だが急にシキミの表情が険しくなり、力任せにテーブルを殴った。


「ダメだ、カシアはここに置いていく。代わりにセージを連れて行くことにする。ヤツも道案内くらいはできるだろう、それに――」

「……いや、僕が行くよ!」


 思わず、声に出してしまった。

 せっかくニゲラが作ってくれたきっかけだ。

 今言わなければ、二度と同行するチャンスはない。

 シキミが怒るのを承知でカシアは席を立った。


 シキミは酷く辛そうにうつむくと、もう一度念を押すように繰り返す。


「ダメよ、連れてはいけない。もしアナタが捕まってしまったら……」


 シキミは口を紡ぐ。彼女が心配に想ってくれるのは嬉しいし、大切だからこそ安全な場所にいてほしいのも分かる。だが、一つだけハッキリと言えることがカシアにはあった。


「僕の他にシーヴァの内情を知っているのは、たしかにセージだけだ。でも、よく考えてみなよ。セージだよ? みんなはあの男に、自分の命を預けることができるのかい?」


「――無理だ」


 男達は即答する。


「それにキミ達が失敗してしまえば、どこにいても一緒さ。僕には役立つ膨大な知識がある。足手まといにはならないからメンバーに加えてほしい。もう一人で安全な場所にいるのはまっぴらご免なんだよ!」


「何とか言ってください、カミツレ様……」


 全員が賛成に回り、困り果てたシキミがカミツレに助けを求めたが、


「好きにしたまえ。男がこうと決めたのだ、それを支えてやるのも女の役目でもあろう?」


 カミツレは軽く頷くと、カシアの決意を尊重して片目をつむる。

 納得いかないシキミは無言のまま席を外すと、出口に向かって歩き出した。

 鬼のような形相で眉根を吊り上げ、口をへの字にしてだ。

 しばらくして廊下から鉄製のドアを蹴破る音が聞こえると……、


「カシアの……大馬鹿野郎ぉおおおおっ!」


 彼女の怒号が地下のホールに響き渡り、男達は一斉に震え上がった。静寂が広がり、薄暗闇からカツカツとかかとを鳴らす音がこちらに近づいてくると、シキミは朗らかな表情で元いた場所に戻った。


「気が変わった、カシアは連れていく」

「ええっ?」


 あっさりと心変わりしたシキミに周囲がザワつく。


「カシアの言う通り、内部に精通していて信頼がおける者が必要だ。これはこの計画の要だ。仮に成功したとしても、裏をかかれてカシアが奪われる可能性も捨てきれない。だとすれば、常に彼を安全な場所に置いておく必要があるのだ」

「だがよ、お嬢。コイツを連れて行けば、結局は危険に晒すことになるんじゃねーの?」

「問題ない、カシアとは私が組む。つまり、ということだ」


 ――すごい屁理屈だった。

 だがそれ以外、全員が納得できる条件はない。


「救出は私とカシア、陽動はニゲラとセージ。以上、この四名で実行する」

「おう!」


 人員も決定して士気が上がり、ヒマワリを助けにいける。

 そして、シキミも満面の笑みで微笑みかけてくる。

 カシアも沸々と闘志が湧いてきた。


 全てが上手く転がり始めたかに思えた矢先、シキミの刺さるような視線がカミツレへと向けられた。


「それはそうとカミツレ様。昨日は職務をほったらかして、どちらに行かれてたのですか?」


 ギクリとしたカミツレは咄嗟に咳き込む。


「いや、それはだねぇ、私好みの家具を作る職人が隣町におってだね……どうしてもほしかった品が……」

「アナタは当面、外出禁止です。私がいなかったら誰がこの街を守るのですか? もっと長としての自覚を持って下さい」


 この部屋を見返すと、たしかに初めて目にするアンティーク調の家具が目立たないように置かれていた。頼りになるのか、ならないのか。火急の用と言っては雲隠れするカミツレにカシアは空笑いした。


 そして、隣で耳打ちする男たちの会話が耳に入ってくる。


「おい、また始まったぜ。お嬢の館長いびりが」

「機嫌が悪い時はいつもああだからな、おっかねぇ……」


 女性って恐ろしい、先ほど見せた笑顔はどうやらフェイクだったようだ。後で二人きりになった時、どんな責めを受けるのかとカシアは子鹿みたいに膝を震わせた。


「では、この地図は接収させていただきます。ニゲラ、ティオダークスのメンバーを全員招集しろ、作戦の準備に取りかかる!」

「了解だぜ、お嬢!」

「そ、それは私の大切なコレクション。一枚しかないのだ、大事に扱っておくれよう……」


 シキミはカミツレが大切にしている地図を雑に掴み上げると、ズカズカと部屋を出て行く。緊張が解け、どっと疲れを見せるむさ苦しい一団も彼女の後を追い、次々とホールから立ち去る。


 そして、無下に置き去りにされたカミツレはまたもや楽しみを奪われ、一人途方に暮れていた。

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