第三十四幕 ―― 明かされる真実

 街に燃え広がっていた炎は夜を徹して黒煙を吐き続け、朝になってようやく鎮火された。襲撃の犠牲者は街外れにあった共同墓地に埋葬されることになり、慎ましいながらも一人一人の墓に花が添えられた。マツリカの襲撃で出た犠牲者は十三名。犠牲者が出た以上、この街の人々は彼女を決して許すことはないだろう。

 葬儀の列に加わり、カシアも胸に手を当て黙祷を捧げた。その心中は複雑で申し訳ない気持ちと共に、囚われたヒマワリの最後の言葉が頭から離れなかった。

 そして、シキミはかなりの重症で一ヶ月は安静にしなければならないが、外傷よりもマツリカに敗れた心傷の方が深いようだった。



 ようやく落ち着き、自室で一人きりになったカシアは古びた丸椅子に腰を下ろす。頭上の裸電球を眺めると、温かみのある向日葵色ひまわりいろの明かりが、優しく頭を撫でるように揺らめく。彼女の笑顔を不意に思い出すと頬を一筋の雫が伝い落ちた。


「ごめんよ……ヒマワリ……」


 こんな時、誰かかたわらにいてもらいたい。

 けれど、今はヒマワリもシキミもいない。

 カシアは背中を丸めてひっそりと泣き崩れた。


 すると、誰かにシャツの裾を引っ張られて少し後ろに仰け反る。振り返ってみると、そこには小さな手に銀髪と暗赤色の瞳。カミツレの姿があった。


 カシアは慌てて袖で涙を拭う。


「館長……?」

「ふむ、ここは客に茶の一つも出さないのかね?」

「え、あ、はい……ただいま」


 予期しない彼女の来訪に動揺したが言いつけどおり湯を沸かし、よもぎにもらったカモミールティーの茶葉をティーポットに入れた。

 カミツレはというと勝手に人のベッドへ座り込み、お気に入りの煙管を吹かしてくつろいでいる。自由気ままな彼女にカシアは苦笑いし、お茶を蒸らすまでの間、白地に赤縁のティーカップを小さなウッドテーブルに並べた。


 ほど良い頃合いを見てカモミールティーを注ぐと、彼女は小さな手でティーカップを掴み、二回息を吹きかけてから口に寄せる。ほっこりとした顔で頬を緩めると、再びティーカップを机に戻した。


「こういうことがあった後は、温かい飲み物に限るな」

「あの……どういったご用件でしょうか?」


 来訪の意図が読めないカシアが困惑しつつ彼女に尋ねると、いつも半開きだった彼女の瞼が見開く。それは今までに見たことのない真剣な表情だった。


「キミには伝えておくことがあるのだよ」

「何でしょうか……?」

「それはね。キミが知りたがっていた、全てさ――」


 二人きりの部屋に静寂が広がる。

 カシアは丸イスを彼女の前に置いて尻を乗せる。よくよく思い返せば、こうしてカミツレと二人きりで話をするのは始めてのことだ。どんな言葉が飛び出してくるのかと、緊張した面持ちで身構えた。


「五年前にも同じような襲撃があったことは知っているかね?」

「はい、ある程度のことはニゲラが話してくれたので」

「ほう。あの小僧共がキミにねぇ。では、私が箱庭の管理者セブンスであったことも、すでに聞き及んでおるのだな?」

「知っています」

「よろしい、ではさらにその先の話をしよう」


 それを聞いたカミツレは笑みをこぼすと、人形のように小さく可愛らしい口元を緩め、その口で知られざる真実をゆっくり、丁寧に紡ぎ始めた。


 終末戦争末期。世界は破壊と汚染で極めて過酷な環境に追い込まれてしまい、旧人類は後世に種を残すため、自分たちの遺伝子を保存した。保管場所に選ばれた一つが《ジューク》と呼ばれる二つの巨塔だった。左右の塔に男女それぞれ、数百万人分の遺伝子が保管され、世界が再び人の住める環境に戻る数世紀の時間を経て――再起動したと。


「僕達もそこで生まれたんですね……」

「うむ。目的に応じてDNAをデザインされた個体は、七つあった教育施設へ自動的に振り分けられ、成人するまでの過程を分析される。つまり箱庭とは、二度と争いを起こさない無害な人間を生み出すための《実験場》なのだよ」


 徹底した検閲と教育、過保護ともいえる生活の保障、外界を知った今だから感じる、この違和感。カシアは以前、自分に向けられた言葉を思い返した。


「だから……ここの人達は、僕らを籠の鳥って呼んでいたんですね」

「私は、人を区別するその呼び名は好きになれんがね」


 そう言ってカミツレは吐いた煙で輪っかを作ると、言葉を重ねていく。


「そこを任されたのは私を含めた七人のバイオノイド。後に管理者と呼ばれるようになったが、誰が言い出したのかは私も覚えてはおらん。元々この七人は先の終末戦争の生き残りでね、当時はその残虐さ故にこう呼ばれていた枢要罪すうようざい(エビルソウト)と」


 枢要罪……それは人の業を定めた七つの大罪。醜い欲望や感情、悪魔になぞらえた古代宗教の言葉だが、つい先ほど見せられたマツリカの強さを思えば納得できる。その皮肉めいた名を付けた人物は、よほど世界に悲観していたのだろう。


「まぁ、今となってはどうでもよいことだ。名など観測する者によって、いくらでも変わりえるものなのでな。そして、管理者達はジュークの中枢、量子コンピュータ《メトセラ》の指示に従い、人の子を育て、見守り……そして送り出していた、そんなある日のことだ。私の元に特別な子供が託された。その子達は人を次の世代にバージョンアップさせるために造られた特別な子供で、アーキタイプ(元型)と呼んだ。キミとシキミも、そうなるはずだったのだがね」


「アーキ……タイプ……」


 アーキタイプ――次世代の人類の元となる人間。

 カシアには自分にそれほどの価値があるとは思えなかった。けれど、マツリカの過剰な態度を思い返すと、カシアの中で全てが一つに繋がっていく。アーキタイプ、自分達の前任者。そのカミツレが授かった子供達は今どこにいるのだろうか? 自分たちの未来にも関わることなので、カシアは息を飲んで彼女が紡ぐ次の言葉を待つ。


「もう、あれからどのくらいの時間が過ぎ去ってしまったのだろう。当時、私が預かった子供。一人はセラノ、やんちゃな男の子でいつも私の手を煩わせてくれた。もう一人はローリエ、泣き虫で私の背中にくっついて離れない可愛らしい女の子だった。私は二人を我が子のように愛情を注ぎ、それはそれは大切に育てたものだ。丁度、マトリカリアがキミを溺愛するように」


 それは言われるまでもなく身に染みていることだった。マツリカに向けられていた感情は、好意とか恋愛とかそういうものではなく、思い返せばもっと温かい……そう、母性と呼ばれるものに近かったかもしれない。

 そういう意味では、カシアを一番大切にしてくれていたのは彼女だった。


「でも、マツリカは何故あんな凶行に走ってしまったのでしょうか。ちゃんと事情を話してくれれば、争いを回避することだってできたはずなのに……」

「うむ。だがね、私は彼奴あやつを責めることはできぬ。私も手段さえあれば、セラノとローリエのために同じことをやったかもしれん。それに……マトリカリアは何かがあるようだ」


 カミツレは少し言葉を濁す。


「……《赤い果実》のことは覚えておるかね?」

「はい」

「ふむ、ではまずここから話そうか。この崩壊後の世界を再生するためには、従来の生物にはあまりに過酷すぎた。そこで人、動物、草木に至るまで、環境に適応するため全ての生命には遺伝的に《ナノマシン》が組み込まれておるのだ」

「ナノ……マシン……たしか、ものすごく小さな微生物サイズの機械みたいなものですよね?」

「うむ、そのナノマシンは別の役割があって人間に本来備わっているテロメア、細胞の分裂回数を制限する機能があり、箱庭にいる寿しているのだよ。そして、《赤い果実》にはその機能を解除する情報体が含まれておって、その実を口にした者を《失楽者》と呼んだ。彼らは老化の研究や標本、家畜のエサから畑の肥料にされてしまう過酷な末路が待っている。恐らく、旧人類はこう考えたのだろうね。人類は今のまま復活を遂げても同じように過ちを繰り返すと。ならば改良を重ね、従順で暴力性を排除した無害な品種を創造しよう。つまり、キミらは理想の新人類誕生ために必要な贄なのだよ」


「そ、それじゃ、僕らは実験動物だったということですか!」

「うむ……」


 恐ろしい、あまりに恐ろしい真実を知ってカシアは思わず絶句した。自分達はただ観察しデータを取り続けられるだけの存在で、この胸にある想いや尊厳は全てまやかしだと突き付けられたのだ。


「質問してもいいですか? 館長」

「何かね?」

「箱庭に子供や若者しかいないのは何故ですか? それ以外の人間は一体どこへ行ってしまったんですか?」

「それはね……ユメノシマ、と呼ばれる最終処分場さ。20歳になると、全ての子供たちが送られる場所の名前。試験体のデータは若いほど良い結果が得られるかね。だが、それ以上に恐ろしいことはまだある」


 紅茶を一口だけ口にすると、カミツレは語りを続ける。


「アーキタイプ、それはその世代で造られた最高傑作。だが、その誕生を意味するのは全人類のが到来したこということだ。つまり、キミとシキミ、あるいはヒマワリがジュークへと送られた時、ナノマシンが全ての人間に《アポトーシス》(自殺命令)を送るのだ。そうして死に絶えた人類の後、キミ達を元にした新人類が生産される。これが今の人類を永続させているシステムの正体さ。あの二人を失って気付いたよ。旧世界から続く負の連鎖は未だ続いているのだと。養育施設の白い部屋、つがいが暮らすエデン、箱庭……そして、外界でさえ巨大な実験室に過ぎないのだ。だからこそ、キミをマトリカリアに渡すわけにはいかんのだよ」


 20歳までの寿命、使い捨ての実験体。

 多くの犠牲の上に造り出されたアーキタイプ。

 そして、リセットされる世界……。

 カシアは背負わされた重みで心が潰れそうになる。

 自分の命が、いかに汚れているのかを知ってしまった。


「僕に……そんな大勢の人と引き替えにするだけの価値があるんでしょうか。いっそ僕なんて生まれてこなければ、ここが襲われることもなかったんだ」


 今ここで心臓をえぐり出したい。

 やり場のない自己嫌悪に襲われ、カシアは握った拳に雫を落とした。


「生まれる境遇なんて誰にも選べはしない。それに価値のない命など一つとしてないのだぞ。私達は歳月をかけてこの矛盾に気付けたのだ。ならば正そうではないか。我々を縛る螺旋のいばらを引き千切り、この狂った秩序を破壊しよう。キミはこの真実を知る四人目の同志だよ」


 そう言って、カミツレが小さな手を差し出してきた。カシアは手の甲で目を擦ると、その子供のように小さな手を握る。見た目の白さとは裏腹にとても温かみのある手だった。


「そういえば、館長。今四人って言いましたけど、館長とシキミ、僕の……他にも誰がいるんですか?」


 するとカミツレは、ゆっくりと手を引く。


「ああ、キミは会ったことがないな。と言うよりもと言うのが正しい。シキミの師匠、ビャクダンのことさ」

「ああ、館長と死闘を繰り広げたっていう……」

「何、そんな尾ひれがついた話になっておるのか? まったく、あの小僧どもめ」

「ち、違うんですか?」

「違うというか、その……なんだね。私の早とちりだったのだよ。刺客と勘違いして、つい先手を。セブンスに勝てるのは、セブンスだけなのでなっ!」


 気恥ずかしそうにほっぺを赤くしたカミツレは、フイっと顔を背けた。普段からこんな風に喋り方や態度がこうであれば、可愛らしい女の子なのに。残念に思いはしたが、カシアはそれを口にしない。


「ビャクダン――語尾に《ござる》をつける可笑しなヤツだったが、先に逝ってしまってな。彼は自分の力の証しでもあったヒマティオンを、瀕死のシキミにインプラントしたのだ。それを失うのは死を意味することだと分かっていてな。それでも彼はシキミにそれを託した。満足そうな最後だったよ」


 そして、カミツレは最後にカシアへ想いを託す。


「当時、私は命令に従うだけの部品の一つに過ぎなかった。それがセラノとローリエに出会ったおかげで感情が芽生え、生きる楽しみというものを知ることができたのだ。人外の私だが、なればこそシキミには人並みの人生を送らせてやりたいのだ。私が助けてやれなかった子供達の代わりに、キミらだけでも幸せになっておくれ……」


 カミツレが両手を広げてこちらを見つめる。カシアは立ち上がって彼女の小さな体に抱きつくと、静寂した部屋に幼い女の子の泣き声が響いた。カミツレは自分が人間ではないと言ったけれど、カシアは人間味溢れる彼女の優しさを十二分に知っているのだ。

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