第三十三幕 ―― 伝えたかった言葉
立ち上がってお尻を叩いたカミツレは、屋上から足を伸ばし壁を垂直に歩いてこちらへ降りてくる。可愛らしく口に咥えた煙管の煙が頭上ではなく、後ろへ流れる様子は実に奇妙。磁石みたいにくっ付いた足がコンクリートの壁を下り終えると、煙が上向きに戻った。
今日の装いは深紅のシュミーズドレスにストローハット、それと光沢のあるエナメルパンプス。その彼女が不機嫌そうに、咥えた煙管を上下させながらマツリカに告げた。
「本来、我々は互いに干渉することを許されていない。散々ルールをねじ曲げてきたキミだが、もう今度は見逃さぬぞ」
辛辣に語るカミツレを前にして、マツリカはわずかばかり動揺する。いつもの自信に満ちた表情はそこにはない。初めて見せる彼女の顔から、カシアは今までカミツレという存在が抑止力になって自分達が庇護されていたのだと知った。
すると、マツリカは口元を吊り上げ
「アナタとやり合うつもりはさらさらないの。私はカシアを返してくれさえすれば、大人しくシーヴァへ戻りますわ」
「散々人の花園を荒らしておいて、さらに一輪摘んで帰ろうなど虫が良すぎるのではないか? そちらこそ、ヒマワリをこちらに渡してもらおう」
手の甲に刻印が浮かび上がり、カミツレの持つ赤い煙管が電気を帯びて発光すると、彼女の身長よりもはるかに長い杖へと変化する。それはマツリカをここから逃さないという、意志表示でもあった。
大通りに緊迫した空気が張り詰めて、誰一人として動こうとするものはいない。次第に北から夜風が吹き込み、覆っていた白煙がキレイに流されると、マツリカはいつの間にかヒマワリの隣へ移動していた。
少し悲しそうな眼差しでカシアを一瞥すると、視線をカミツレに戻す。彼女にはまだ何か自信が残っている、そう感じさせる不敵な笑みを見せた。
「残念だけれど、相性の悪いアナタとはやり合いたくないの。それにそろそろ時間切れだわ」
すると言葉に合わせて、マツリカの顔前に小さな緑色のスクリーンが一つ表示される。それに数字が浮かんで時をカウントし始めると、コンマ秒が激しく流れ、刻々と残りの時間が減っていく……3……2……1、0秒。
「う……ぐ、アッ!」
突然、隣にいたヒマワリが震えだし、痙攣、嘔吐、そして方向感覚を失ってその場に倒れ込んだ。苦しそうにうずくまり小さく震え続ける。精一杯、顎を上げたヒマワリがこちらに視線を送ると、カシアに心配させまいと一生懸命に笑おうとする。
「ヒマワリ!」
急に熱いものが胸にこみ上げて思わず声を荒らげる。マツリカは無表情で彼女を抱きかかえると、子供をあやすような口ぶりでカシアを
「これはヒマワリのためでもあるのよ。いい子だからもう少し待っていて」
「ヒマワリのため? そんなに苦しんでるじゃないか、彼女に何をしたんだ!」
「あらあら、勘違いしないで。ヒマワリに今起きているのは発作。彼女は一ヶ月おきに薬を投与しなければ、生きていけない体なの。だからこうして、私は彼女を迎えにきたのよ」
発作……どういうのことだ? カシアには見当もつかなかった。
そんなものは今まで一度も起きたことがない、それに――。
「おかしいじゃないか。だって僕はヒマワリと一緒に、
マツリカはニヤリと笑い、手の甲にアゴを乗せた。
「アナタたちが過ごしていたあの小さな庭……。色々な生物も一緒に暮らしていたわよねぇ。例えば、遺伝子操作されたミツバチとか――」
「あ……っ!」
思わずカシアはハッとする。
二人だけの楽園、見方を変えれば二人だけではなかった。鳥や魚に小動物、蝶やバッタ……それにミツバチもそこにいた。気が付かないうちに、ヒマワリはミツバチによって何かを投与されていたことを理解する。
でも、なぜ――?
すると、事情を察したカミツレがその問いについて語り始めた。
「恐らくだね、ヒマワリは見かけ通りの年齢ではないのだよ。私の見解では彼女はシキミの代用品。他に適応者がおらず、急ぎ培養したせいで身体機能に異常が出てしまった。そんなところだろう」
カシアにとってその言葉は酷く残酷だった。
よりによって、シキミの代用品だなんて……。
でも考えないようにしていたが、疑念は頭の隅でくすぶっていた。
全てを納得すると同時に、カシアは己に課せられた業の深さと運命を呪った。
「これで理解できたかしら。この子はシーヴァを離れては生きられない、籠の鳥よ。たった5歳で死なせたくはないでしょう?」
「ご……5歳っ?」
ニゲラ達が唖然として一斉にヒマワリを直視する。
「嫌……そんな目で私を見ないで」
異質なモノに向けられる視線に、ヒマワリはこれ以上耐えられそうになかった。
本来なら自分が守ってやらねばらない子なのに、カシアはいつもいつも端から見ていることしかできない。無力な自分が許せず目頭が熱くなってしまい、次々と涙が溢れ出した。
だが、そんなカシアの気持ちを代弁するように誰かが叫ぶ。
「それがどうした!」
それは他でもない――マツリカのつがい、セージだった。
彼は手にしていた銃を投げ捨てバスから飛び降りると、カシアの隣まで歩いてくる。悔しそうに下唇を噛み締めて、マツリカへ向かって懇願するように叫んだ。
「マツリカ、もうやめろ。いつものお前に戻るんだ!」
「………………」
「お前は、楽しんでこんなことをするヤツじゃない! 俺はずっとお前を見続けてきたんだ。普段は顔にも態度にも出さないが、お前は面倒見がよくて、人一倍思いやりがあることを俺は知っている。だからもう、こんなことは……やめにしよう……」
セージの声が力なく萎んでいく。
マツリカは少し俯いて何かを呟くと、それは次第に笑い声へと変わっていった。
「あー、アナタって本当におめでたい人だわ。私がアタナのつがい? 未だにそう信じているようね。いいわ、真実を教えてあげましょう」
含みを持たせて、マツリカが言葉を続ける。
「
「嘘だろ……なぁ、嘘だろマツリカ。嘘だと言ってくれ! あの時、一度だけ見せてくれたお前の笑顔が、今も胸ん中に残ってんだよ。ありゃ偽物だっていうのか――……」
セージはその場に膝を折ると、何度も額を地面に打ちつける。
「胸を張りなさい。そんなアナタでも役にたったのよ。頭皮に仕込んだバイオナノファイバーで、ここの情報を逐一収集できたのだから。彼女の不在もね」
マツリカが人差し指を立てると、バイオナノファイバーが生き物のようにうねる。
そして、セージの頭から白髪が一本抜け落ちると地面に溶けて消えた。
「貴様……どこまで人の心を弄ぶつもりだっ!」
セージへの仕打ちに対してシキミは怒りを抑えきれず、今にもマツリカに飛びかかりそうになる。だが、カミツレの一声がそれを制止した。
「シキミ、ここは抑えるのだ」
「くっ…………」
ニヤリと、マツリカが微笑む。
「さすが、セヴンスのアナタは理解が早くて助かります。薬の成分が分からない以上、アナタ達にこの子を救うことはできない。私に預けるほかないということを」
瞬きもせず、カミツレはじっとマツリカに視線を投じる。その表情は怒りよりも、どこか物悲しさを感じさせていた。まるで彼女を憐れんでいるかのように。
そして、彼女は俯きストローハットで面を隠した。
「よかろう、マトリカリア。その子はキミに預けておくとしよう。だが、キミはまだ気付いていない。キミはかつての私と同じなのだ。いつかきっと後悔……いや、分かるまいな。さぁ早く、ここから立ち去りたまえ」
思いつめたように言葉を濁すと、カミツレは黙ったまま図書館の中へ戻っていく。
彼女がマツリカに何を伝えようとしたかは知りようもない。でも、カシアにはあの言葉の続きに何か重い意味があるように思えた。
「撤収よ」
マツリカも残りのマーキナーに撤退を命じる。
そして、長く流麗な銀髪をはためかせてカシアに告げた。
「もうしばらく我慢して。改めてアナタを迎えに来るわ、必ずね――」
その声は冷徹さと暖かさの両方が感じられるものだった。
憎みきれないカシアは返事はせず、じっと彼女を見送る。
その際、苦しそうに呼吸をするヒマワリと視線が合う。
彼女は震える唇で小さく言葉を呟くが届かない。
でも、カシアはしっかりとその唇の動きを読んだ。
……だ……い……す……き。
あと少し手を伸ばせば届きそうな距離なのに、こんなにも遠く感じる。それは古文書で読んだ、
最後――カシアは悔しさを胸に刻み、遠のいていくヒマワリのために出せる限りの声で叫んだ。
「……必ず、僕が迎えにいくよ!」
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