第十七幕 ―― 真名

 シーヴァ――箱庭を出てから一ヶ月ほどが過ぎ去った。


 ヒマワリはニゲラの指導の下、借り受けた畑でのびのびと土と戯れる生活に馴染んでいた。シーヴァで自分の居場所がなかった彼女も、今では水を得た魚のように大好きな自然との営みを満喫している。

 ここでは娯楽ではなく、皆が生きるために働くので甘えも妥協もない。そんな環境は根は真面目なヒマワリにとって楽しくもあり、自信を付けさせてくれたのだろう。


 一方、カシアはカミツレの補佐として、図書館で過去の遺物の解析と修復に携わっていた。慣れないことも多く最初は四苦八苦したこともあったが、今ではすっかり古えの発掘品に新たな息吹を吹き込むことを天職に感じている。

 そして、本で知識を学ぶ以上に実際に手で触れ、組み立て、復元することが何より楽しかった。


 今日もカシアは図書館の地下に潜り、復活させたパーソナルコンピュータで新たなプログラムを書き上げていると、そこへご満悦なカミツレが小さな頭を覗かせてきた。出会った頃に感じた気品と威厳はもうどこにもない。


「やっとるのう。つい先月まで行き詰まっていたのが、嘘のようではないか」

「た、たいしたことは……それよりも注文通り部品を作ってくれる職人たちの方が、よっぽど凄いです」


 謙遜したカシアは恥ずかしげに頭を掻く。これほど修復作業が効率化したのは、やはり最初に組み上げたパーソナルコンピュータの存在が大きかった。

 複雑な古代語を翻訳プログラムで読み解き、ここに所蔵されていた書籍やデータを次々と解読したからだ。

 その結果――データ化された書物が次々と別の場所に移され、本の山だった場所にちょっとしたラボが新設されていた。最近は職人や学者、古物商までが最下層の図書館に出入りするようになり、ここも随分と騒がしくなった。


 いつものようにカシアがモニターに向き合っていると、ふと職人に弟子入りしている青年がカミツレの頭上からひょっこりと面を割り込ませてこう言い出す。


「それにしても、ぱーそなる……うんぴゅーたーって言いにくいよな。コイツに何か名前をつけようぜ?」

「たしかに愛着も一段と湧いてくるし、いいかもね!」


 青年の提案にカシアも直ぐさま頷く。

 口にする度に舌を噛みそうだったので略称があれば便利だ。

 それに何となく物足りなさを感じていて……。

 ふと、頭に浮かんだのはマトリカリアのことだった。

 彼女は教育用マーキナーではあったが、名前があったおかげで今でもカシアにとっては親友だ。それに実は前々から考えていた名前の候補もあったので、カシアはその名をここで披露しようと喉を鳴らす。


「それじゃ僕の考えてた名前だけど、パソコ……」

「まぁ、待ちたまえ」


 と、そこで銀髪の小頭がカシアの口元に立ちはだかりストップをかけた。


「ここは私が素晴らしき名を此奴に授けてしんぜよう」

「ああ……なんてこった」


 青年とカシアは顔を見合わせて首を振った。

 二人が悲壮な表情を浮かべたのには理由がある、それはこういうことだ。


「ゴホン。久々に私の出番ではないか、年寄りの楽しみを盗るでない」

「はぁ……」

「では命名しよう、パーソナルなコンピュータ――今日からお前の名は《パンピューたん》だ」

「エー……」


 それはそれは、とても残念な名が与えられた。

 最近知ったことだがカミツレは人を使うことと、人の才能を見出すことに関しては右に出る者がいない。が……ことネーミングに関してだけは、いたたまれないほどセンスがなかったのだ。


 そうして、今ここに新たな犠牲者の名が加わった。

 真名を授かり生まれ変わったパンピューたん。

 その名はこの新世界において、後世へと受け継がれていくことになるだろう。


「パン焼き器みたいな名だけど、僕はお前の本当の名前、忘れないからね」


 残念そうに言いかけた言葉を胸の内にしまうと、カシアはモニターの縁をそっと手で擦ってやった。


 業務は続く。

 毎日、外から持ち込まれる様々な発掘品は、種類も年代も疎ら。その中でも多いのは電子計算機や携帯ゲーム機。大きい物になると、自動車や軍事関連の兵器までが持ち込まれることもある。

 使えるモノは修理、損傷が激しいモノは分解して部品取りにと、ここではネジ一つまで徹底的に再利用されていた。


 そして今日は、ちょっとした大物がラボに居候している。


「よし、装甲以外は組み終わったぞ。副館長、お前さんが組んだプログラムを起動させてみてくれ」

「はい、皆さん下がっていて下さいね。行きますよ!」


 職人達を統括している《棟梁》に言われて、カシアはタンっと軽快にエンターキーを押した。プログラムの文字列が黒いカーボンフレーム装甲へと流れ込み、漆黒の猛獣に新たな生命が吹き込まれる。

 耳に響く高周波が発生して電磁コイルが臨界に達すると、周囲に青白い光が広がってイオン風が床から機体を持ち上げた。


「やったぞ、成功だぁ!」


 仲間たちは難物の修復に成功して大いに湧く。

 とはいえ、このホバー技術はカシアからしてみればそう大層なものでもない。

 育ての親であるマトリカリアや移動用車両、物資保管施設にあった運搬用リフトなどにも同様の技術が使われているため、基礎知識はすでにシーヴァで学習済みだったからだ。


 しかし、大きく異なる点が一つだけある。

 それは旧世界で人を殺すために造られた《兵器》という点だった。


 正式名称は、NTD64X可変式ホバーライド。

 全長4メートル、単座のホバー式軍用バイクで、搭載したイオンエンジンが後方にプラズマを放出して推進する。速度や状況の応じて三段階のモードに切り替わり、後部には7.62ミリのチェインガンを二門搭載していた。

 また小型の自走砲台としての機能も持ち合わせていて、停車時にメインフレームに組み込まれたレールガンで敵の拠点を砲撃することも可能だ。


「オートバランサー正常。可変システムを試してみよう、モード・ライド」

《ボイスコマンド認証、モード・ライドへ移行――》


 カシアの命令にAIが電子ボイスで答えて命令を実行する。

 むき出しのフレームを固定しているロックが外れ、油圧シリンダによって各パーツが押し上げられると座席のシートが前倒しになる。機体が前方に突出して、高速移動に適したフォルムになった。


「おおおおぉ……!」


 見物していた仲間たちから歓喜の声が洩れる。

 と――、そこで待ちかねたように小悪魔の鼻がぴくりと動く。

 口寂しく空の煙管を咥えていたカミツレが意気揚々と声を上げた。


「よし、やはりここは私が素晴らしき名を……」

「アッ~! 僕にいい案がありますよっ!」


 また可笑しな名前を付けられてはたまらないと、カシアは天井に指先を突き出しだ。隣で良くやった! と職人や学者たちが親指を立てている。

 代わりにカミツレの咥えた煙管が不機嫌そうに下を向いた。


「まぁ、たまには譲ってやるのも年長者に求められる器量だからな。言ってみたまえ、一応」


 赤暗色の瞳にジロリと睨まれると、カシアは肩を縮めながらその名を口にした。


「えーっと……こんなのはどうでしょう、エスペランサー。古代語の一つで《希望》って意味なんです」

「おお、いいじゃないですか。さすがは副館長。それに比べて館長の命名したパンピューたんなんて……げふん、げふん」


 カミツレのお目付役である司書が咳払いしてお茶を濁す。

 彼女は舌打ちしてロッキングチェアによじ登ると、フテ腐れてドスンと背もたれに腰を落とした。作業の邪魔をせずにずっとそこへ座っていてくれれば、どんなに作業がはかどることだろう。

 そう心の中で呟いたのはカシアだけではないはずだ。


 すると、口々に仲間内でこんな話題が持ち上がる。


「しかしまぁ、アレだな」

「ああ、こんなもん誰が操縦するんだ? ちょこっとアクセル踏み込んだだけでも、振り落とされちまうぞ」


 そう、直したのはいい。

 誰がこの猛獣を手懐けられるのかなんて、誰一人考えていなかった。

 そこにあるから直す、それがここのスタンスだったのだ。

 しかし、せっかく直した芸術品をこのまま倉庫で眠らせるはやはり惜しい。

 話題は誰が乗るかで盛り上がっていく。


「お嬢……しか、乗りこなせる人はいないでしょうねえ」

「やっぱりそうなるよなぁ。まともな人間に乗れる代物じゃねえし。でも、またこんな無駄なモノを造りおって~とか言われて、ドヤされるのがオチだぜ?」

「――誰が、まともじゃないだって?」


 背後から透き通るような声色が耳を通り抜け、カシアの激しく胸が高鳴る。

 あの日以来、シキミと会う機会が一度もなくずっと話せていないままだったからだ。

 けれど、シキミはカシアには目もくれず、代わりに司書や職人たちに鋭い視線を送った。


「まったく、ニゲラのせいで変な呼び名が定着してしまったではないか」

「いや、それって実はカミツレ様が……」

「エッ?」


 ギクリとしたカミツレがテーブルで顔を半分隠す。

 どうやら犯人は別にいたようだ。

 彼女の様子を目にしてシキミが呆れて首を振る。

 すると突然、シキミはカシアを指差してこう言葉を続けた。


「まぁいい。午後からこの男を借りるぞ」

「ぼ、僕を?」


 カシアは思わず自分の顔を指差して左右を見渡す。


「そ、そんなぁ~副館長がいねぇと、残りの作業が滞っちまいますよ」

「では、今日はこれで解散だ。館長の許可はすでに取り付けてある、ですよね?」


 ニヤケ顔のカミツレが片瞼(かたまぶた)を伏せ、舌を上唇に乗せ、グッと親指を立てた。


 ――何のサインだ?


 まったく、この人は今だに掴みどころが分からない。

 カシアは首を傾げ、訳も分からずカミツレのご満悦な面に会釈しておいた。


「あの顔、絶対に何か企んで……って、わわっ!」


 その途端、カシアの腕が柔らかな感触に包まれて強引に引っ張られる。

 ラベンダーの香りが風に乗って鼻先を紫黒色の髪が流れた。


「さぁ行くぞ」

「ちょ、ちょっと、行くってドコへ? ねぇったら……」


 シキミは何も教えてはくれず、無言のまま腕をグイグイ引っ張る。カシアはニヤけ顔の仲間たち見送られ、問答無用で図書館から連れ去られてしまった……。

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