第二十二幕 ―― 人と酒と

 光と闇のコントラスト――ここはとても静かな場所だった。

 床の一部が崩落して大きな吹き抜けとなっていた廃ビルがあり、崩れた壁から差し込む光が闇の中に線を引いてホコリや塵がキラキラと反射させている。まるで深海の底から見上げる魚の気分だ。


 今は地下5階付近にあたるエリア――。

 カシアは暗く大きな口を開いた穴を覗き込む。

 漆黒に塗りつぶされた完璧な闇……。

 得体の知れない怪物の胃袋を連想してしまい、小さく身を震わせる。


「本当にこんな場所に禁書なんてあるのかな?」

「おいおい、もう怖じ気づいちまったのか? 冒険談ってヤツは危険があってこそ面白みがある。困難こそが物語を彩る最高のスパイスだとは思わないかね? さぁ進め、不肖の弟子よ。古代の美女が俺達を呼んでるぜぇ~!」

「一体いつから僕はキミの弟子になったのさ……」


 相変わらずわけの分からない理屈……セージはどこにいてもセージだった。くだらない会話に飽き飽きしたところで、暗闇の先でマグライトの光が揺らめく。このフロアを捜索していたニゲラ達が渋い顔をして戻ってきた。


 ……これが4回目の空振りだった。


 それでも彼らの志気は衰えず、さらに下の階へと探検は続く。丈夫そうな太い柱にザイルを巻きつけると、残りはそのまま縦穴に投げ込まれる。場馴れした仲間の一人が先行して下へ下へと降りていった。

 次に縛った荷が宙に吊されると、振り子のように揺れながらゆっくり高度を下げていく。一番気が抜けない場面だ。

 だがその最中、いきなりニゲラが薄気味悪い面をして、カシアにこんな話を切り出してきた。


「お前知ってるか? 地下に住んでる巨大な竜、《ヤマテノオロチ》の伝説を」

「竜? それって旧世界では空想上の生き物だったよね」

「空想だと? いやいや、それが実在するんだよ……」


 ――彼は口元を吊り上げて懐中電灯をアゴに当てる。


「ここではない、別の街での話だ。盗掘するのを生業としていた男がいた。ある日、いつになく深い所まで潜ると偶然巨大な横穴を発見したんだ。その穴は円を描くようにどこまでも続いていて、人が踏み入った形跡もなかった。男は歓喜した。そりゃ未発見の地下空洞には、お宝がザクザク眠ってるから当然だ。道標を残しながら暗闇の中を何キロも歩き続けたんだ」


「そ、それで……?」


「だがな、まるで終わりが見えてなかったんだよ、その穴は。地獄まで続いてるんじゃないかと不安になった男は、ランプのオイルが持つ内に引き返すことにした。が、その時だ……強烈な二つの光が物凄い轟音を立てて男に迫ってきた。それは馬よりも早く、どんな動物よりもどデカい図体だった。男は必死に逃げた。長年愛用した発掘道具やリュックを投げ捨てて、命からがら走り続けた。それでも怪物はすぐ後ろまで迫り、今にも男に喰らいつこうとした、瞬間――」


 カシアは思わず喉を鳴らす……。


「男は横穴を飛び込んで窮地を逃れたんだ。男はそりゃ冷や汗ものだっただろうさ。だがな、ふと気付いたんだ。一生懸命起き上がろうとしてるのに地面が無かったんだ。いや、無かったの地面じゃねぇ、自分の両足の方だってなぁあああああっ!」


「ヒィエエエエ~ッ!」


 セージを含む仲間全員が一斉にマグライトで顔を照らしたので、カシアは女性のような悲鳴を上げて腰を抜かしてしまった。その有様を見た面々は腹を抱えて笑い出す。


「イーヒッヒヒヒヒ、お伽話だって言ったろう? 本当にそんなもんがいるなら、もっと大騒ぎになってるぜ。それにしてもセージの言う通りだったな、コイツのびびりは」

「はぁ、冗談はやめてよう……そういうの苦手なんだからさぁ」


 またお前の仕業か、と怪訝けげんな目つきでセージを睨む。

 カシアがフテ腐れた顔をしていると、イタズラの張本人に頭を鷲掴みにされて……、


「どうだ、本の虫。畑違いの奴らとつるんでみるのも意外と楽しいもんだろ? 何も本や電子データが全てじゃないんだぜ。実際に見て、聞いて、感じることこそが人間本来の在り方なんだからな」

「たしかに、そうだね……」


 上手く言いくるめられてしまった気がするが、カシアは納得したことにしておく。

 その後もニゲラたちと手分けして、さらに二つ下の階まで探索が何一つ見つからなかった。それに地上ではそろそろ太陽が西に傾き始める時間だった。


「ここいらで野営ビバークすっか」


 ニゲラの提案で荷の紐が解かれる。持ち寄った食料はビスケット、干し肉、チーズ、ピーナッツに赤い果物……さらに大瓶に詰められたラム酒まであった。ニゲラが干し肉を口に齧ったまま、回し飲みしていたラム酒の瓶を催促する。彼らはアルコールに刺激されて面を赤くほてらせると、陽気に唄まで唄い始めた。


 そんな中、カシアは彼らの奔放さに呆れ果てていたが、それとは別に自由な生き方ってこういうものかも、と……少し羨ましく思う。カシアがその輪に入りきれないのは、一歩身を引いてしまう性格のせいだという自覚もあった。

 揺れる炎を瞳に映し、心のままに騒ぐ彼らの声に耳を傾けていた。


 すると、丸まったカシアの背中にセージが寄りかかり、酒臭い息を吹きかけてくる。


「知ってるかぁ? 酒は人類の友って言うらしいぜぇ。人間ってヤツは、滅びるまで酒を造り続けるんだろうよ。ほうら、お前も食え食え。いざって時、力が出ねぇぞ」

「酒臭さっ! まったく酔っ払いの相手なんてゴメンだよ……」

「そうだ、いいもんがあるぜ」


 セージが自分のリュック手を突っ込み、取り出した赤い果物をこちらに投げ渡した。周囲が暗く危うく床に落としそうになったが、カシアは既のところで受け止める。その途端、手にした赤い果物から甘い蜜の香りが漂ってきて胃袋が小さくいなないた。


「何だろう、すごく懐かしい匂いがする」

「すっげぇうまいぞ、食ってみろよ」


 軽く、ひとかじり――シャリっと音を立てる。

 果汁が歯から舌、喉へと流れ込むと、その芳醇な甘みが脳に伝達されてカシアを満面の笑みにさせた。


「美味しい! 初めて食べたけど蜜が詰まってて最高だよ。どうして今まで教えてくれなかったのさ?」

「アレ? お前コレ食べるの初めてなのか、それエデンに腐るほど実ってただろう?」


『ブウ――――――――――――――――――――――――ッ!』


 思わず、吐き出してしまった。

 今、セージは何と言った?

 エデンにあった《赤い果実》だと言ったのか?

 あの実は絶対に手を出してはならない禁忌――。

 シキミはその実を口にしたがため箱庭から追放されてしまった。

 そんな危険な代物を今、思いきり頬張ってしまったのだ。


「なんてモノを食べさせるんだいっ! そもそも、どうしてこんな所に《赤い果実》があるんだよ!」

「あれれれれ~、聞いてなかったのか? 昔この近くに別の箱庭があって。コイツらみんな、その子孫だって誰かが……。おい、そうだったよな?」


 カシアは頭が真っ白になる。ニゲラは空き瓶を逆さにして中から垂れてきた滴をペロリと舐めると、虚ろなめつきでセージの問いに答えた。


「俺の爺様の時代。かつて、ここの近くにあった《箱庭ティオダーク》を支配していた《管理者》を他所からやって来た男が討伐し、住民を開放したっていう生ける伝説のことだろ」

「な、ななな、何だい、その世紀末救世主的な昔話は?」

「街外れに一本木の丘があるだろ? あれも箱庭の名残で木に実った果実を食うと、子宝に恵まれるとかで若いカップルのデートスポットになってる。俺もいつかお嬢と一緒に……ううっ。お嬢ぉおおお、何でこんなヤツとぉおおっ」


 ――ニゲラは皆がドン引きするほどの泣き上戸だった。

 酔っ払った彼は隣にいたセージの膝にしがみつき、延々と男泣きを続けていた。

 けれど、それ以上に驚いたのはここの住人も元は箱庭の人間だったこということだ。これほど重要な真実をこんな空虚な場所、しかも女性の裸が描かれた本に命をかける、残念な男達の口から告げられるなど夢にも思わなかった。


「……セージはいつ知ったのさ?」

「ここに来て二日目だったかな。尋ねたらみんな快く教えてくれたぜ。ていうか、そんなの常識だろ?」


 これは館長に弄ばれたのだろうか……?

 どうもあの人は、他人をわざと困らせて楽しむ節があるので、疑いの目を向けたくもなる。今まで不用意に口にしてはいけないと頑なに信じ、我慢し続けていたのはまったくの無駄だったのか?


「それじゃ、箱庭って一体いくつあるのさ……」

「俺は知らね、どうなんだよ?」


 セージが泣きじゃくるニゲラを介抱しつつ、別の仲間に問いかけると、


「館長の話だと全部で七つあったらしい。だから箱庭の管理者は《セヴンス》って呼ばれてたとか。他にも七つの罪がどうとか……忘れちまったが、まぁ元セヴンスの館長が言うんだから間違いないだろうよ」

「か、館長が管理者だったぁ……?」

「あのチビっ子か。妙に年寄り臭い喋り方だと思ったら、そんな歳くってたのかよ。お前に触れたら妊娠させられるとか言われて、すぐ追い出されたんだよな、俺」


 狐に化かされたような気分になり、肩を大きく落として俯く。カシアは虚ろな目で隣の男からラム酒の瓶を掠め取ると、三口分の酒を一気にあおった。


「全てが馬鹿馬鹿しくなってきたよ……ちくしょう、酒だ、僕にもっと酒をくれっ!」

「お~、やっとその気になったのかよ。そう思ってお前のためにもう一本……用意しておきましたっ!」

「よっ! さすがセージ!」


 すっかり本来の目的を忘れてしまった男達は、互いの想いや夢を語り合い、カシアを毛嫌いしていたニゲラも自然と打ち解けた。これが友達――こんなにも簡単なことだったのかと、酔いが回ったカシアは蒼天の如く清々しい気持ちで一杯になった。

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